なんと言ったらいいのだろうか。 確かに面白かった。
夕食後読み始めたら止まらなくなり、もういい加減にしようと残りを諦めたのは日付を大いにまたいでいたのだから・・・。
だが、それほど熱中したのに後味がそれほどよくない。なんだろう・・・?
この小説は5人のOLが登場する。二十代前半から三十代の彼女たちが、悲喜こもごもありながら、それぞれ人生を選び取っていく様を描いている。
5人の違う人物が交錯しあいながら物語が進んで行くのだが、どうも私にはこの5人が一人の人間にしか感じとれなかった。
どの人物も、根は同じように思うのだ。
どう説明したらいいか、女の子の人形遊びと言ったら誤解が生じるだろうか・・・?
小さい女の子は一つの人形を、日によって着るものを変え、シチュエーションを変えて、その日の物語を作り、楽しむ。
どうもそんな感じなのだ。
そしてその大元の人形にあたるのがこの小説の場合、篠田節子その人のような気がする。
先日読んだエッセイで、この作家に感じた「はっきりモノを言う」というところ。それが“女たちのジハード”の女性たちそれぞれに感じるのだ。
篠田節子がパイロットを目指したら、起業家を目指したら、リストラにあったらetc.etc.それを描いているように思えるのだ。
そういう描き方が無いかと言うと、それは面白かったんだからいいじゃないかとも思うのだが、どうももやもやする。
やはりもう少しそれぞれをしっかり描き分けて欲しいと思う。
作家として歩き始めたばかりの時のものだから今更どうのこうのとは言えないが、経験不足か、
作家の周りにこのタイプの女性が多く存在したのかもしれない。
この作品のあとそれがどのように育てられたのか、とても気になるところだ。
作家の育ちが感じられる・・・それもとても楽しいものだ。 おいおい読んでみようと思う。