本を読むことに関して、同じものを持っている人がいた。
直木賞作家に大変失礼な感想だが、偽らざる思い。
私が「本棚の前の奇跡」と呼んでいる、あの本との出会いの瞬間の、あのびりびりっとくる感じを
・・・そう、本は人を呼ぶのだ。
本屋の通路を歩くと、私だけに呼びかけるささやかな声をいくつか聞くことができる。私はそれに忠実に本を抜き取る。・・・
と書いている。これです。そうか本が呼んでいるんだ。
背表紙を目で追うあの時。 ふっと抜き出してみる。 この本はどうだろうと活字を拾う。
あのわくわくするひと時。 ドキドキするあの時間。 これから旅する世界はどんなところなんだろうと、心が躍る時。
そして出会った「さがしもの」という短編集は、“本を読む”ということをテーマにした旅する童話。
こんなこと、あんなこと、ちりばめられた“ものがたり”は本読みであれば誰もが思い当る“思い出”
私が気に入ったのは「彼と私の本棚」という一篇、びびっときた。
破局をむかえたカップルが住居を別にするに際して、共有していた本棚から本を抜き取ることで気がついた思いを描いている。
・・・だれかを好きになって、好きになって別れるって、こういうことなんだとはじめて知る。本棚を共有するようなこと。たがいの本を交換し、隅々まで読んでおなじ光景を記憶すること。記憶も本もごちゃまぜになって一体化しているのに、それを無理やり引き離すようなこと。・・・
私は “そこそこ本を読むやつ” だと自負していたが、誰かと本を、というか本の記憶を共有するという経験がない。
旦那は私の三倍も本を読むが、傾向が全然異なっているので「これ面白いよ」と勧めても、題名を見たとたんに返答に窮する様子を見せる。
私も同じで、そういう経験を何度かしてお互いに本を薦めることをしなくなった。
でもこの短編集の「初バレンタイン」にも “共有する本” がでてくる。 この感覚がちょっとうらやましい。
まだまだ“本を読む”世界は広いんだと思った。 角田光代 読み込みたい作家に出会った。