うーむむむ…厳しいなあ
自己採点の結果を学校に提出→大手予備校がそれらを基に合格判定を予想
今年は、昨年震災のせいで進学を断念した浪人生がたくさんいるそうで、ハードルが随分上がったらしいです。
でも、それも仕方のないことで、今出来るせい一杯を努力することしか手がありません。
判定は長男の時と同じ「ミラクル」を起こすしかないというものですが、でも、0ではありません。
やっと、この大学に行きたいと決めて進めてきたことですから、はいそうですかと志望校をかえることもできません。
当たってぶつかってよじ登るしか道はないと、親子で覚悟しています。
で、勉強の手伝いができない私は、再度これです。
受験シーズンになると必ずでてくる“勝源神社” 普段はあまり買わないのですが、助けてくれるものはなんでもありです!!
先日、長男を見送りにいった新千歳空港にあった絵馬。パンパンと手を叩き拝んでいる。
覚悟を決めて、JKは願書の準備をした。
国立後期は手が届かないだろうということであきらめて、私立二校と国立前期。
明日受験料を払い込み、書類を作って送付する。
これでいよいよ志望校と向き合える。
なんと長い長い道のりだろう。毎年起こるセンター試験のごたごたは、この試験に何の意味があるのだろうと感じてしまう。
センター試験と何回か付き合ってきたが、うがったいい方をすると、大学側が足きりをしやすくするために行っていると感じることもある。
要は大人の都合だ。
就活でも思うのだが、社会は若い人を育てる気持ちを失ってしまっているのではないだろうか。
大人が大切にすべきは、若い人の気持ちであるべきではないだろうか。
対策対策で力尽き、気持ちが萎えた人材になってしまうよりも、可能性のある原石を求めるべきではなかろうか。
それを育てるのが、本来の教育ではないのだろうか。
子どもというのはどんな子どもでも “化ける” ことがある。その化けるときのゾクゾク感はたまらない。
教育はそうあってほしいと心から思う。
ただ、ありがたいことに、若さはどんな状況でも乗り越える力を持っている。
今のこんなわけのわからないシステムも受け入れてくれる。
でも、それに甘んじてばかりいてはいけない。
自分勝手な都合を、若い世代に押し付けてはいけないと考える。
JKは「絶対に負けない」と涙目になりながら、問題集に取り組んでいる。
私はこの娘が、人として私を乗り越えたと感じている。
結果がどうでようと、大学受験に取り組んで良かったと思っている。