子どもの門限にお悩みの方、多いのだろうなあ。
私もずいぶんと苦労した。
他の子どもたちは理解の範疇だったが、そういうことでは理解を超えていた長女。
その片鱗は小学校時代からあった。
中学でも、親の目を盗んであちらこちらに出没していたようだ。
高校に入り部活を始めたら、これが確信犯となった。
うちの旦那は、子どもの送り迎えを親がするのはおかしいと考える人だったので、
長男、長女の時には、他の親御さんの手前もあり苦労した。
だんだん下の子どもになるにつれ、そういう感覚が麻痺したのか余り文句を言わなくなったから気軽に車を出せたが、
そんな状況でも、上の子どもたちが迎えに来てというと旦那はいい顔をしなかった。
長女は、またこういう親だとわかっているくせに試すかのように遅く帰った。
これが門限だと言っている時間に電話をかけてきて
「話が盛り上がっちゃって、これから駅に向かいます。遅くなったから迎えに来て」
と平気で連絡をよこした。
彼女に携帯を持たせたのは私が病気してからだから、
「公衆電話が見つからなかった」というのも遅くなった言い訳の一つだった。
旦那の顔色をみながら車を出していたら、とうとう旦那が怒ってしまった。
その揚句に長女は連絡もなくおそくかえるようになってしまった。
この子にはこういうことではいけなかったのだと思った。
歯ブラシの習慣やゲームの遊び時間、携帯の使用など
子どもの躾にかかわるこういう見える事象の時に私が今感じるのは、
子どもの特性によるということだ。
携帯を持たせても、のめり込まない子もいれば、
どんなに厳しくいっても隠れてでものめり込む子もいる。
歯ブラシをどんなにしても虫歯が出来る子もいれば、
からっきし手入れをしなくても虫歯がよりつかない丈夫な子もいる。
今思えば“門限”もその類のことなのだ。
きびしく言わなくても身についている子もいれば、厳しく言わなければいけない子どももいる。
私は、親にきびしく言われた手合いだった。
実家にいる間中言われていたように思う。
働くようになり夜の遊びを覚えたら、そんなことを言う親が面倒くさくなった。
25を超えても、夜遊びして帰る娘を起きて待っている親がうっとしくてたまらなかった。
独立すればよかったのだが、何しろ実家の立地条件がとてつもなくよかった。
もっと言うと、父がのち添えを迎える何年間かは門限なんぞなかった。
勤め始めていた姉の帰りはときに深夜を回ったが、その頃の父親は気にもせずに寝ていた。
が、入ってきた人が 「親なら待っているのが当たり前」 とおっしゃったのだ。
違和感を覚えてしまった。結局それも分かり合えない一つの要因になってしまった。
このたびの帰札で、次女が何度か朝帰りをした。
10時を回ると眠くなる私は、帰ってきてないのも気にならずとっとと布団に入った。
友達と遊んで帰りにくくなっているのだろうと思っていたから、旦那も同様の仕儀だった。
朝起きると携帯に夜中に送信された「帰れないコール」が入っていて、
そこで初めて 「親なら待っているのが当たり前」 をふと思い出し反省したが、それでも次の時も忘れて寝た。
二十歳を超えてくれたから、東京で独立した生活をしてくれているからこその安心感なのだと思うが、
「親なら待っているのが当たり前」 というプレッシャーは、
子育てをここまで来るのに、子どもたちの門限について考えるたび私の心を逡巡させるものだった。
私が門限について一番に願ったことは、そういうプレッシャーをわが子に感じさせたくない・・・それだけだった。
今手元に残るは末っ子一人。 幸いなことに彼はあまり夜遅くまで出かけることがない。
夕飯時までには必ず帰るコールが入る。このことについて悩まなくていいので本当に助かる。
末っ子って、そういうものなのかもしれない。