HAKATA PARIS NEWYORK

いまのファッションを斬りまくる辛口コラム

媚びない生き方から見えるもの。

2012-01-28 09:27:52 | Weblog
 ずいぶん書くのが遅くなったが、やはり論じておこう。1月7日付けの朝日新聞にコムデ・ギャルソンのデザイナー、川久保玲氏のインタビューが全1面の「特集記事」で掲載された。全国紙がファッションを取り上げるのはほとんど無いことだが、これも大衆迎合しない朝日新聞だからと言えば、そうかもしれない。

 川久保氏は慶応大学を卒業している。デザイナーなのに何でと奇異に感じるだろう。だが、服づくりに必要なクリエイティビティは、経験を積み重ねる中で発揮される。当然、それを生み出す感性も、日頃の地道な努力によって磨かれる。例えば、英単語をコツコツ憶えて長文を理解したり、数々の数式を頭に入れて一つの答えを導き出す受験勉強と、大差はないのだ。  
 70歳になっても衰えることのない創造力と感性は、高度な学力を必要とする慶応受験の過程で培われたと言っても、強ち否定できないのではないか。それをデザイナーを目指す若者がどう判断するかは自由だが、川久保氏の学歴は変えようのない事実である。

 もっとも、高学歴であるがゆえ、朝日のインタビューで語られたことは理路整然として、ズシリと重い。
 「最近の人は強いもの、格好いいもの、新しいものはなくても、今を何となく過ごせればいい、と。情熱や興奮、怒り、現状を打ち破ろうという意欲が弱まってきている。そんな風潮に危惧を感じています」
 まさに今の日本を憂いているコメントだ。事なかれ主義というか、その場しのぎというか。そこにあるのは絆という言葉に隠れた馴れ合いばかり。全く資源がない国なのに、人的なエネルギーさえ枯渇しようとしている。

 ユニクロの柳井正会長は「個性は服が出すものではない」と、大量生産的な工業製品と揶揄された自社商品を擁護した。しかし、ユニクロの快進撃以降は、業界でもファッションで個性を表現する必要はないとの考えが増えている。
 「…本当に個性を表現している人は、人とは違うものを着たり、違うように着こなしているものです」
 所詮、一着で終わらない既製服の世界。しかし、常に既成概念から脱却し、独創性を発信し続けるのがコムデ・ギャルソン。その服を簡単に「着こなせる人間」はそうそういない。だからこそ、着こなす人間にはその人なりの個性が投影されるのである。

 「日本国内にだって織りでも、染めや縫製でも素晴らしい職人技術があります。でも効率的な物作りや価格志向が優先される中で、そんな技術や工場がなくなりつつある」
 SPAが売上げを伸ばし、利益を稼ぎ出してから、「末端商品」「価格対価値」しか評価されなくなった。しかし、縫い手がいなければ服はできないし、織りや染めがあってはじめて生地や糸が生まれる。新興国の技術指導には日本の職人も携わった。
 もっと遡ってファッションを捉えていかなければならない。その意味でコムデ・ギャルソンの服には、プロセスの随所に「日本」が宿る。伝統に支えられえた織りや染め、大量生産になじまない技。効率や価格で語れない日本とは何か。それをじっくり考えるべきだとの「警鐘」である。

 最後に「クリエーターというものは真面目にやれば、たいていは貧乏になってしまうものです」
 このひと言にビジネスにも、時代の趨勢にも媚びないコムデ・ギャルソンと川久保氏の生き方が凝縮されている。こうしたメッセージを一般大衆がどう解釈するか。そこに閉塞脱却のヒントを見いだせなければ、先の日本に展望はない。
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