前回のコラムで、ファッションウィーク東京の冠スポンサーがメルセデス・ベンツ社だということを書いた。理由は事業に対する国の支援が2010年で終了したことで、コレクション事務局が運営に窮し、助けを請うた米国の「IMG」がメルセデス・ベンツ社を連れてきただけという。
筆者はメルセデス・ベンツ社だろうがどこだろうが、スポンサーについた意図や目的に大して興味はない。東コレにしても運営していく上では、谷町やご贔屓筋を選べる余裕なんてないだろう。むしろIMGがファッション事業に乗り出したことに興味があるので、書いてみたい。
IMGとは、いったい何ものか。作家のC・W・ミルズが著書「パワーエリート」の中で、その一翼を担うセレブリティ(著名人)に有名スポーツ選手を上げている。そして、彼らは「パブリシティバリュ=メディア価値を持っている」と、見事に言い当てた。1956年のことだ。その辺にIMGが誕生する素地があったと言えるだろう。
1960年、有名スポーツ選手に大きなビジネスチャンスを感じた一人の米国人青年がいた。名前をマーク・マコーマックという。名門エール大で法律を専攻したことで、スポーツ選手の「肖像権」に目を付け、契約代行、いわゆる「エージェント業」を始めたのである。
つまり、この人物は選手のマネジメントを行えば、スポーツビジネスの元になる「権利の源泉を押さえる」ということに目を付けたのだ。そして、その才覚はそれを莫大なカネにする野望に昇華していったということである。
まさに今はソチ五輪の真っ最中。浅田真央、キム・ヨナといったトップアスリートはみな、スポーツエージェントがマネジメントを行っている。言い換えれば、エージェントがあってこそ、選手活動が行え、メダルに手が届くのだ。そのビジネスシステムをマーク・マコーマックは、50年以上前に考え出したのである。
マコーマックはエージェント業に参入すると、すぐにゴルフ界のスター・アーノルド・パーマーと契約を結ぶことに成功する。これを下敷きに、インディアナ州のクリーブランドに設立したのがIMG(International Management Group)社だ。あのポロシャツについた傘の「ワンポイントマーク」は、同社があってこそブランド化され、レナウンもライセンス契約が結べたと言っても過言ではないだろう。
ニック・ファルドも、グレッグ・ノーマンも、同社と契約したからこそ、ゴルフ界で活躍できたと言われるほどだ。昨今ではタイガー・ウッズをはじめ、サッカーのロナウド、テニスのピート・サンプラス、ビーナス・ウィリアムス、マリア・シャラポア、MLBのデレク・ジーター、F1のミヒャエル・シューマッハーなど、今をときめくスター選手は、みな同社と契約をしている。 石川遼についても、海外ツアーでは同社がサポートするほどだ。
また、全英オープンゴルフや全米オープンテニス、ウィンブルドンなどのスポーツイベントの企画運営も行っているから、冠スポンサーの獲得も仕事のうちなのである。スポーツだけでなく、ファッション事業にも進出し、米国でNYコレクションのマネジメントでも実績を収めていたのだから、東コレに請われた理由も説明がつく。
さらに特徴的なことは、同社は「スポーツエリートの発掘・育成」も行っていることだ。同社が米フロリダ州にもつ若手選手育成機関「IMGアカデミー」は、東京ドーム16個分の広さで、50を超す屋内外のテニスコートにサッカー場、ゴルフ練習場から2つの野球場までもつ。
ここではプロスポーツ界の頂点目指して世界中から集まった10代の選手約600人が、日夜練習に励む。さながら米国版の「虎の穴」だ。マリア・シャラポアもそのプレーを見たコーチが素質を見抜き、父親とロシアから移住。施設内の寮に住んでエリート教育を受けた一人である。
同社はその後、プロテニスプレーヤーとして実績を上げた彼女と契約。アカデミー時代の先行投資をはるかに超えるマネジメント料を稼いでいる。
ただ、同社がファッション業界に参入したといっても、現時点ではイベント事業の冠スポンサーの獲得以外で、威力を発揮しそうとは思えない。だが、同社のこれまでの実績をみると、今後はデザイナーのマネジメントに触手を伸ばしていくことも十分考えられる。
デザイナーと言えば、クリエイティブ重視、独立独歩、数字に無頓着など、とかくビジネスとは相容れない気質をもっている。当然、感性、デザインにすぐれ、商品化、ブランド化すれば売れるかもしれないデザイナーであれば、経営面でのマネジメントは不可欠になる。
日本のファッション史を振り返ると、マネジメントを欠いて事業に失敗したケースは多々ある。昭和50年、菊池武夫氏はビギを独立し、「メンズビギ」を設立したが、事業に失敗し、55年にビギに舞い戻っている。
理由は売場の声やお客の反応を重視するなどMDをコントロールして、デザインを修正するというマネジメントを欠いたからと言われている。当時の大楠祐二社長も「タケ(菊池武夫氏)が思い通りにデザインしても売れるわけがない。失敗するのは目に見えている」と懐柔しているほどだ。
また、平成21年にはヨウジヤマモトも東京地裁に民事再生法の適用を申請した。それについて山本耀司氏自身が「歴代の社長に経営を任せる一方で、デザインには口を出すなという姿勢をとり続けてきた。その結果、会社は拡大路線を歩んでいった。海外の新店舗への多大な投資が財務状況の悪化を招いていた。しかも、僕にはいい報告しか上がってこない。自分は裸の王様だった」と語っている。
両ケースは、明らかにマネジメント=経営上で問題があったと言わざるをえない。他にもミュージシャンからデザイナーになった大口広司、ドン小西こと小西良幸などがいる。すばらしいクリエーターがすばらしい経営者であればいいのだが、実際はそうはならない。だから、マネジメントを担当する人間が必要になるのだ。スポーツ選手の活躍を通じて行ってきたIMGがそれを何より証明している。
と考えれば、今すぐにはないとしても、近い将来、IMGが東コレからアジアで有望な才能をもつデザイナーを発掘して、商標権からブランドラインセンス、コレクションショーの企画まで手がけることは、無きにしもあらずだ。
また、ファッション版IMGアカデミーを作って、世界の4大コレクションでデビューするデザイナーを発掘・育成するかもしれない。指ぬきをはめて針を持ち、運針の練習から始める。刺しゅうやボタンの穴かがりもやらせる。
それができれば、ようやくデッサン画が描け、パターンが引ける。採寸や仮縫いも実際のモデルを使って行う。世界中から取り寄せた生地で、実際に服を何十着も作る。完成度が高まるまで、何度も何度も基礎を繰り返す。そこで、成績のいい学生だけが、卒業コレクションデビューができる。さながらそんなカリキュラムイメージだろうか。
その時点で、デザイナーデビュー後のマネジメント契約も結ばれるだろう。メジャーブランドになれば、スポーツ選手同様に莫大なカネが入ってくるはずだ。そう考えると、そこらの三流ファッション専門学校の講師陣や経営者が太刀打ちできないのは、確かである。そうなる日が来ることを願う人間は筆者だけではないと思う。
筆者はメルセデス・ベンツ社だろうがどこだろうが、スポンサーについた意図や目的に大して興味はない。東コレにしても運営していく上では、谷町やご贔屓筋を選べる余裕なんてないだろう。むしろIMGがファッション事業に乗り出したことに興味があるので、書いてみたい。
IMGとは、いったい何ものか。作家のC・W・ミルズが著書「パワーエリート」の中で、その一翼を担うセレブリティ(著名人)に有名スポーツ選手を上げている。そして、彼らは「パブリシティバリュ=メディア価値を持っている」と、見事に言い当てた。1956年のことだ。その辺にIMGが誕生する素地があったと言えるだろう。
1960年、有名スポーツ選手に大きなビジネスチャンスを感じた一人の米国人青年がいた。名前をマーク・マコーマックという。名門エール大で法律を専攻したことで、スポーツ選手の「肖像権」に目を付け、契約代行、いわゆる「エージェント業」を始めたのである。
つまり、この人物は選手のマネジメントを行えば、スポーツビジネスの元になる「権利の源泉を押さえる」ということに目を付けたのだ。そして、その才覚はそれを莫大なカネにする野望に昇華していったということである。
まさに今はソチ五輪の真っ最中。浅田真央、キム・ヨナといったトップアスリートはみな、スポーツエージェントがマネジメントを行っている。言い換えれば、エージェントがあってこそ、選手活動が行え、メダルに手が届くのだ。そのビジネスシステムをマーク・マコーマックは、50年以上前に考え出したのである。
マコーマックはエージェント業に参入すると、すぐにゴルフ界のスター・アーノルド・パーマーと契約を結ぶことに成功する。これを下敷きに、インディアナ州のクリーブランドに設立したのがIMG(International Management Group)社だ。あのポロシャツについた傘の「ワンポイントマーク」は、同社があってこそブランド化され、レナウンもライセンス契約が結べたと言っても過言ではないだろう。
ニック・ファルドも、グレッグ・ノーマンも、同社と契約したからこそ、ゴルフ界で活躍できたと言われるほどだ。昨今ではタイガー・ウッズをはじめ、サッカーのロナウド、テニスのピート・サンプラス、ビーナス・ウィリアムス、マリア・シャラポア、MLBのデレク・ジーター、F1のミヒャエル・シューマッハーなど、今をときめくスター選手は、みな同社と契約をしている。 石川遼についても、海外ツアーでは同社がサポートするほどだ。
また、全英オープンゴルフや全米オープンテニス、ウィンブルドンなどのスポーツイベントの企画運営も行っているから、冠スポンサーの獲得も仕事のうちなのである。スポーツだけでなく、ファッション事業にも進出し、米国でNYコレクションのマネジメントでも実績を収めていたのだから、東コレに請われた理由も説明がつく。
さらに特徴的なことは、同社は「スポーツエリートの発掘・育成」も行っていることだ。同社が米フロリダ州にもつ若手選手育成機関「IMGアカデミー」は、東京ドーム16個分の広さで、50を超す屋内外のテニスコートにサッカー場、ゴルフ練習場から2つの野球場までもつ。
ここではプロスポーツ界の頂点目指して世界中から集まった10代の選手約600人が、日夜練習に励む。さながら米国版の「虎の穴」だ。マリア・シャラポアもそのプレーを見たコーチが素質を見抜き、父親とロシアから移住。施設内の寮に住んでエリート教育を受けた一人である。
同社はその後、プロテニスプレーヤーとして実績を上げた彼女と契約。アカデミー時代の先行投資をはるかに超えるマネジメント料を稼いでいる。
ただ、同社がファッション業界に参入したといっても、現時点ではイベント事業の冠スポンサーの獲得以外で、威力を発揮しそうとは思えない。だが、同社のこれまでの実績をみると、今後はデザイナーのマネジメントに触手を伸ばしていくことも十分考えられる。
デザイナーと言えば、クリエイティブ重視、独立独歩、数字に無頓着など、とかくビジネスとは相容れない気質をもっている。当然、感性、デザインにすぐれ、商品化、ブランド化すれば売れるかもしれないデザイナーであれば、経営面でのマネジメントは不可欠になる。
日本のファッション史を振り返ると、マネジメントを欠いて事業に失敗したケースは多々ある。昭和50年、菊池武夫氏はビギを独立し、「メンズビギ」を設立したが、事業に失敗し、55年にビギに舞い戻っている。
理由は売場の声やお客の反応を重視するなどMDをコントロールして、デザインを修正するというマネジメントを欠いたからと言われている。当時の大楠祐二社長も「タケ(菊池武夫氏)が思い通りにデザインしても売れるわけがない。失敗するのは目に見えている」と懐柔しているほどだ。
また、平成21年にはヨウジヤマモトも東京地裁に民事再生法の適用を申請した。それについて山本耀司氏自身が「歴代の社長に経営を任せる一方で、デザインには口を出すなという姿勢をとり続けてきた。その結果、会社は拡大路線を歩んでいった。海外の新店舗への多大な投資が財務状況の悪化を招いていた。しかも、僕にはいい報告しか上がってこない。自分は裸の王様だった」と語っている。
両ケースは、明らかにマネジメント=経営上で問題があったと言わざるをえない。他にもミュージシャンからデザイナーになった大口広司、ドン小西こと小西良幸などがいる。すばらしいクリエーターがすばらしい経営者であればいいのだが、実際はそうはならない。だから、マネジメントを担当する人間が必要になるのだ。スポーツ選手の活躍を通じて行ってきたIMGがそれを何より証明している。
と考えれば、今すぐにはないとしても、近い将来、IMGが東コレからアジアで有望な才能をもつデザイナーを発掘して、商標権からブランドラインセンス、コレクションショーの企画まで手がけることは、無きにしもあらずだ。
また、ファッション版IMGアカデミーを作って、世界の4大コレクションでデビューするデザイナーを発掘・育成するかもしれない。指ぬきをはめて針を持ち、運針の練習から始める。刺しゅうやボタンの穴かがりもやらせる。
それができれば、ようやくデッサン画が描け、パターンが引ける。採寸や仮縫いも実際のモデルを使って行う。世界中から取り寄せた生地で、実際に服を何十着も作る。完成度が高まるまで、何度も何度も基礎を繰り返す。そこで、成績のいい学生だけが、卒業コレクションデビューができる。さながらそんなカリキュラムイメージだろうか。
その時点で、デザイナーデビュー後のマネジメント契約も結ばれるだろう。メジャーブランドになれば、スポーツ選手同様に莫大なカネが入ってくるはずだ。そう考えると、そこらの三流ファッション専門学校の講師陣や経営者が太刀打ちできないのは、確かである。そうなる日が来ることを願う人間は筆者だけではないと思う。