ユナイテッドアローズの栗野宏文上級顧問がJFWインターナショナル・ファッション・フェア(JFW-IFF)で講演した。
同社はビームスの育ての親である重松理氏が、アパレルメーカーのワールドとのジョイントベンチャーで設立。90年7月、1号店は産声を上げた。そのコンセプトは「21世紀の老舗」だった。
重松氏は当時、「世界に通用する良い店とは、品揃え、売場環境、販売スタッフ、顧客……のどれもが、望み得る最高のレベルでそれを達成し、実現すること」と語っている。
もちろん、栗野氏は重松氏の片腕としてUAの創業に尽力した。しかし、講演内容をみる限りでは、創業当時とは大きく様変わりしたことがよくわかる。そして、なぜそうなったというもどかしさも伝わってきた。
UAは多店舗する中で、セレクトショップとして知名度、ブランド力は向上したが、売上げを取る商品は単品のカジュアル、利益を取るのはOEMのオリジナルといったMD戦略にシフトしていった面は否めない。
それでも、ビジネスだから、数を売らないと収益は上がらないし、当然と言えば当然のことだ。それを否定するつもりはない。さらにUAは株式の上場によって、投資家に「増収増益」で応えなければならなくなった。
GLRやアナザーエディションなどの業態を増やし、収益はどんどん伸びていった。ジャーナルスタンダードやナノユニバースといった競合店が出現しても、UAのポジションは揺らいではいない。ある意味、それは店が鍛えられた結果ではないかと思う。
一方、UAにとって創業当時のような舶来品=インポート(コストダウンの海外製品ではない)は、もはや主力ではなくなっているのではないか。国産メーカーの商品もあるにはあるが、業態によっては完全にSPA化してしまっている。
UAの顧客が成熟し、UAの商品なら産地はこだわらない。特に最近のヤング、ヤングアダルトは顕著だ。当然、多店舗、多業態の戦略がそうで、売上げにつながれば、バイヤーはリスクを踏まず、OEMやSPAでも構わないと思うようになっていく。
ユニクロのように「売れ筋追求」ではないにしても、売り上げ効率を追求する点では共通する。業態、ブランドを増やしたのは、それぞれ店の個性を出すためなのだが、陰では効率優先の調達体制になって、商品の個性はなくなっている。
結果、UAの商品に「これのデザイン、洒落ている」「こんな良い素材は中々ない」「柄使いが秀逸だね」と感じられる商品は、それほど見られなくなった。特に某有名ファッション通販サイトにアップされている商品を他店のものと見比べても、ショップ名が違うだけでテイストはほとんど被っている。
店単独ならまだ差別化できるかもしれないが、ファッションビルでは、ショップの個性は完全に埋没化している。栗野氏がJFW-IFFの講演で語った「ファッションに夢がなくなったとすれば、我々の責任」は、ある意味、こういう状況を憂いているのだと思う。
さらに栗野氏は講演で「ファッションにとって一番大事なのはカルチャー」「ピカソの絵を見た時にしか感じられないインパクトとか」「ファッションカルチャーを支えているのはクオリティー、クリエーティビティー、エシカル」とも語っている。
ただ、「メード・イン・ジャパンはもの作りのインフラを守る意味だけでなく、日本のファッションのカルチャーや付加価値をなくさないためにも必要です」との意見については、単なるスローガンの域を脱していないと思う。
現実問題として日本製に携わるインフラは、ほとんど壊滅状態だ。素材産地はコスト競争に苛まれ、縫製業者は元請けのメーカー、OEM業者による値下げ圧力で疲弊しきっている。
つまりメード・イン・ジャパンはメーカーや卸による原価率の圧縮というかたちで、空洞化した。それには栗野氏が冒頭で語った「もっと安くしないと売れない」「安くすることがサービス」という小売り側の都合による面も否定できない。
尤も、メード・イン・ジャパンは産地、技術、人間、伝承で成り立つわけで、それがカルチャーや付加価値を醸成するのである。文化とはアウトラインではなく、根っこの部分があって表にじみ出る。
その土壌が海外生産シフトでズタズタにされた中、スローガンだけで解決する問題ではない。言うなれば、バイヤーが産地、業者の中に入って膝を突き合わせ、ウィンウィン関係になるようなもの作りをしないと、メード・イン・ジャパン回帰などありえない。
リスクを踏んでそれが本当にできるのだろうか。今のUAというか、上場企業として硬直化した組織において、そこまでに踏み出そうというスピリットを打ち出すには、相当のエネルギーと覚悟が必要だと思う。
12年から社長執行役員に就任した竹田光広氏は商社の出身だ。前任の岩城哲哉氏社長が半ば更迭されただけに、竹田社長が海外生産やネットワークに精通し、コスト管理にも長けたことが就任理由とすれば、日本回帰に舵を切る勇気をどこまで持てるだろうか。
竹田社長は今春、栗野氏が参画しながらこけた「ダージリンデイズ」を焼き直し、百貨店のメンズフロアを販売チャンネルにした「ボウ&アローズ」を開発している。
中高年向けでサイズ対応にも気をつけたブランドで、前回の反省に立ち商品のプラットフォームを整備して、百貨店向け掛け率にも対応したようだ。この辺はさすが商社出身の社長である。
この業態が栗野氏が言う「他とはっきり違うものを『これが自分たちです」って語れることが大事です」という店に鍛え上げられるかどうか。多店舗化はしづらいと思われるので、単体で実現していかなければならないことになる。
ファッションの世界で店を鍛えるには、その条件としての「モノ」「人」「器」について、それぞれのレベルを上げてこそ、可能になるのは言うまでもない。
モノは、ファッションとしての完成度。それに必要なのはクオリティと技術力だ。商社を間に咬ましても、それは量産や利益追求のためでなく、小ロットでもハイクオリティの商品を生み出すためでなければならない。それで利益を出すのは容易ではない。
だからといって、SPA化で量産しネット通販によって売り減らしていくような商品であって良いはずはない。Eコマースでは世界マーケットで商品の良さをわかる人を一人でも捉えることに意味がある。またそうした商品を売り出さないと、店の格はあがらない。
人については現状でもUAの接客レベルは高いと思う。これをさらに鍛え上げていくことになるだろう。一時期、百貨店の経営者が口々に叫んだ「商品で差別化できないなら、接客サービスを勝負する」程度では、あまりに次元が低すぎる。
もの作り、仕入れについても、商品開発やバイイングに当たる人間が、ものに対する見方を再度研ぎすますことができるかである。もちろん、利益は大事であるが、最初にあるのはあくまで商品であるという考えの人間を育てなくてはならない。
「器」は店だけではないと思う。テナント出店するビル側の意識もある。手っ取り早く人気ブランドをリーシングして歩率家賃を稼ぐ発想を、小売り側は転換させなければならない。なぜなら、それは鍛えられた店ではないし、器としても修練されていないからだ。
21世紀の老舗を目指しながら、ファッションマーケットの成熟で、再度、立ち位置を模索するUA。創業の原点に立ち返り、小売業としてその戦略を確立するには、ある意味、栗野氏の理想論と竹田社長の現実論をシンクロさせられるかにかかっていると思う。
同社はビームスの育ての親である重松理氏が、アパレルメーカーのワールドとのジョイントベンチャーで設立。90年7月、1号店は産声を上げた。そのコンセプトは「21世紀の老舗」だった。
重松氏は当時、「世界に通用する良い店とは、品揃え、売場環境、販売スタッフ、顧客……のどれもが、望み得る最高のレベルでそれを達成し、実現すること」と語っている。
もちろん、栗野氏は重松氏の片腕としてUAの創業に尽力した。しかし、講演内容をみる限りでは、創業当時とは大きく様変わりしたことがよくわかる。そして、なぜそうなったというもどかしさも伝わってきた。
UAは多店舗する中で、セレクトショップとして知名度、ブランド力は向上したが、売上げを取る商品は単品のカジュアル、利益を取るのはOEMのオリジナルといったMD戦略にシフトしていった面は否めない。
それでも、ビジネスだから、数を売らないと収益は上がらないし、当然と言えば当然のことだ。それを否定するつもりはない。さらにUAは株式の上場によって、投資家に「増収増益」で応えなければならなくなった。
GLRやアナザーエディションなどの業態を増やし、収益はどんどん伸びていった。ジャーナルスタンダードやナノユニバースといった競合店が出現しても、UAのポジションは揺らいではいない。ある意味、それは店が鍛えられた結果ではないかと思う。
一方、UAにとって創業当時のような舶来品=インポート(コストダウンの海外製品ではない)は、もはや主力ではなくなっているのではないか。国産メーカーの商品もあるにはあるが、業態によっては完全にSPA化してしまっている。
UAの顧客が成熟し、UAの商品なら産地はこだわらない。特に最近のヤング、ヤングアダルトは顕著だ。当然、多店舗、多業態の戦略がそうで、売上げにつながれば、バイヤーはリスクを踏まず、OEMやSPAでも構わないと思うようになっていく。
ユニクロのように「売れ筋追求」ではないにしても、売り上げ効率を追求する点では共通する。業態、ブランドを増やしたのは、それぞれ店の個性を出すためなのだが、陰では効率優先の調達体制になって、商品の個性はなくなっている。
結果、UAの商品に「これのデザイン、洒落ている」「こんな良い素材は中々ない」「柄使いが秀逸だね」と感じられる商品は、それほど見られなくなった。特に某有名ファッション通販サイトにアップされている商品を他店のものと見比べても、ショップ名が違うだけでテイストはほとんど被っている。
店単独ならまだ差別化できるかもしれないが、ファッションビルでは、ショップの個性は完全に埋没化している。栗野氏がJFW-IFFの講演で語った「ファッションに夢がなくなったとすれば、我々の責任」は、ある意味、こういう状況を憂いているのだと思う。
さらに栗野氏は講演で「ファッションにとって一番大事なのはカルチャー」「ピカソの絵を見た時にしか感じられないインパクトとか」「ファッションカルチャーを支えているのはクオリティー、クリエーティビティー、エシカル」とも語っている。
ただ、「メード・イン・ジャパンはもの作りのインフラを守る意味だけでなく、日本のファッションのカルチャーや付加価値をなくさないためにも必要です」との意見については、単なるスローガンの域を脱していないと思う。
現実問題として日本製に携わるインフラは、ほとんど壊滅状態だ。素材産地はコスト競争に苛まれ、縫製業者は元請けのメーカー、OEM業者による値下げ圧力で疲弊しきっている。
つまりメード・イン・ジャパンはメーカーや卸による原価率の圧縮というかたちで、空洞化した。それには栗野氏が冒頭で語った「もっと安くしないと売れない」「安くすることがサービス」という小売り側の都合による面も否定できない。
尤も、メード・イン・ジャパンは産地、技術、人間、伝承で成り立つわけで、それがカルチャーや付加価値を醸成するのである。文化とはアウトラインではなく、根っこの部分があって表にじみ出る。
その土壌が海外生産シフトでズタズタにされた中、スローガンだけで解決する問題ではない。言うなれば、バイヤーが産地、業者の中に入って膝を突き合わせ、ウィンウィン関係になるようなもの作りをしないと、メード・イン・ジャパン回帰などありえない。
リスクを踏んでそれが本当にできるのだろうか。今のUAというか、上場企業として硬直化した組織において、そこまでに踏み出そうというスピリットを打ち出すには、相当のエネルギーと覚悟が必要だと思う。
12年から社長執行役員に就任した竹田光広氏は商社の出身だ。前任の岩城哲哉氏社長が半ば更迭されただけに、竹田社長が海外生産やネットワークに精通し、コスト管理にも長けたことが就任理由とすれば、日本回帰に舵を切る勇気をどこまで持てるだろうか。
竹田社長は今春、栗野氏が参画しながらこけた「ダージリンデイズ」を焼き直し、百貨店のメンズフロアを販売チャンネルにした「ボウ&アローズ」を開発している。
中高年向けでサイズ対応にも気をつけたブランドで、前回の反省に立ち商品のプラットフォームを整備して、百貨店向け掛け率にも対応したようだ。この辺はさすが商社出身の社長である。
この業態が栗野氏が言う「他とはっきり違うものを『これが自分たちです」って語れることが大事です」という店に鍛え上げられるかどうか。多店舗化はしづらいと思われるので、単体で実現していかなければならないことになる。
ファッションの世界で店を鍛えるには、その条件としての「モノ」「人」「器」について、それぞれのレベルを上げてこそ、可能になるのは言うまでもない。
モノは、ファッションとしての完成度。それに必要なのはクオリティと技術力だ。商社を間に咬ましても、それは量産や利益追求のためでなく、小ロットでもハイクオリティの商品を生み出すためでなければならない。それで利益を出すのは容易ではない。
だからといって、SPA化で量産しネット通販によって売り減らしていくような商品であって良いはずはない。Eコマースでは世界マーケットで商品の良さをわかる人を一人でも捉えることに意味がある。またそうした商品を売り出さないと、店の格はあがらない。
人については現状でもUAの接客レベルは高いと思う。これをさらに鍛え上げていくことになるだろう。一時期、百貨店の経営者が口々に叫んだ「商品で差別化できないなら、接客サービスを勝負する」程度では、あまりに次元が低すぎる。
もの作り、仕入れについても、商品開発やバイイングに当たる人間が、ものに対する見方を再度研ぎすますことができるかである。もちろん、利益は大事であるが、最初にあるのはあくまで商品であるという考えの人間を育てなくてはならない。
「器」は店だけではないと思う。テナント出店するビル側の意識もある。手っ取り早く人気ブランドをリーシングして歩率家賃を稼ぐ発想を、小売り側は転換させなければならない。なぜなら、それは鍛えられた店ではないし、器としても修練されていないからだ。
21世紀の老舗を目指しながら、ファッションマーケットの成熟で、再度、立ち位置を模索するUA。創業の原点に立ち返り、小売業としてその戦略を確立するには、ある意味、栗野氏の理想論と竹田社長の現実論をシンクロさせられるかにかかっていると思う。