HAKATA PARIS NEWYORK

いまのファッションを斬りまくる辛口コラム

一歩先は譲れない。

2018-12-05 05:01:39 | Weblog
 11月18日の福岡市長選を前に、メディアはどう深堀りするか。現職の高島宗一郎市長が当選するのはほぼ間違いないので、選挙での関心はメディアの論調でしかなった。そこで、4日の公示日前後から市長選に関連するあらゆる記事を探した。行政批判がお得意の地元メディアはもとより、仕事の合間に事務所近くの図書館にも出かけ、大手新聞の地方版から地元紙の社会面まで読みあさった。

 もちろん、今回のテーマは市長の公約でも、その一環で実施されるファッション事業でもない。市長選関連の記事を読んでいる時、偶然見つけた朝日新聞文化面の「語る—人生の贈りもの」で、10月29日から11月14日まで(連載14回)連載されたファッションデザイナー・菊池武夫氏についてである。このコラムでもだいぶ前に商社の三井物産が菊池氏が創設した「ビギ」を買収する話は取り上げた。

 その時は筆者が高校、大学と過ごす中でビギファンの知人、また社会人になってからアパレル関係者から伝え聞いたことを書いただけだ。何度か雑誌に掲載された菊池氏のコメントを読んだこともあるが、ご本人が回顧録のように語るのは、久々ではないかと思う。朝日新聞が菊池氏にご登場を願ったのは、アカヒ新聞と揶揄されるのを払拭したいわけでもないだろう。まして読者の中にいる往年のビギファンを意識する必要もない。

 文字数がそれほど多いわけではないので、インタビューからエポックな部分を切り取っただけと思うが、菊池氏が自分の言葉で語っているので、朝日側があえて脚色する必要もない。惜しむらくは、日経新聞の私の履歴書のようにロングランにしてくれれば良かったが、そうしないところが朝日の所以かもしれないが。まあ、筆者が知らなかったエピソードや記憶の曖昧だった部分がハッキリしたのは良かった。

 では、印象に残った菊池氏のコメントを抜粋してみたい。

 「アトリエはお店の中にもあるんです。服や靴、酒も遊びも仕事もあって、生活に必要な物全てが一緒、という感覚が昔からしっくりくる」

 このライフスタイルには共感するところがある。菊池氏と比べるなど恐れ多いが、筆者もニューヨークから戻り、地元福岡の中心部に見つけたワンルームマンションに事務所を構えて20数年。郊外にある自宅から通えないことはないが、オフィスにはクリエイティブワークの道具はもちろん、日々の暮しに必要な最低限のものは揃えているので、仕事や余暇、ウエルネス(フィットネスやランニング)といった生活の拠点になっている。

 同じビギグループの「パパス」でデザイナーを務める荒巻太郎氏は、平日は都内のアトリエでほとんど過ごし、週末に箱根か熱海かの自宅兼ジムでトレーニングに励むとの記事を読んだことがある。メリハリをつけたいデザイナーはそうかもしれないが、オンとオフがコンパクトに一つの空間やエリアでまとまっているのは、非常に楽だ。楽しむのは仕事だけじゃないって感覚が有意義な人生に繋がると思う。

 「ヨーロッパ的な作りに見えるかもしれないけれど、実はむしろ日本らしさをいかに出すかを考えましてね。日本人の平面な体形や個性に洋服が合うように、シルエットや素材を工夫したんです」

 これはすごくよくわかる。60年代後半から70年代にかけての日本の服づくりは、今ほどブランドが出回っていなかったため、知名度に頼るのではなく、素材やシルエットでクリエイティビティを発揮し勝負することができた。そこには、洋服好きのお客さんを知る目利きなバイヤー。彼らと喧々囂々のやり取りをするアパレルの企画担当者。もちろん、テキスタイルメーカーや縫製工場の協力があったのは言うまでもない。

 こうして原宿や青山などではマンションアパレルが誕生し、デザイナーや企画力で時流に乗ったところは、DCアパレルへと駆け上がっていった。その代表格がビギである。それまでのレディスファッションはコンサバで上品か、フェミニンで可愛いものが主体だった。しかし、ビギはそうした服とは一線を画すアダルトな雰囲気とエッジが効いたシャープな感覚を持っていた。菊池氏の工夫がそんな世界観を創り出したのだ。

 もちろん、そうした服づくりができたのは、菊池氏が専門学校でしっかり技術を学んでいたからだ。それが原のぶ子アカデミー(現青山ファッションカレッジ)での学習体験ではないだろうか。

 「原先生は布をトルソー(人台)に直接当てて、自分の考えるフォルムにしていくパリ式の立体裁断を教えていました。僕はその仕方で美しい形を作ることに没頭した」

 原のぶ子アカデミーは、他の専門学校とは異なる人台(仮縫いするためのトルソー)を使っていた。フランスの「クリスチャン・ディオール」と同じものだ。当時、服づくりでは世界の最先端を行っていたフランス製ゆえ、人台の形状はとても優美で、人間の理想的なプロポーションを映し出していた。

 菊池氏と専門学校の同級生で一緒にビギを創立した稲葉賀恵氏も、洋裁師である筆者の母親が愛読していた雑誌「ミセス」か、「装苑」かで、同じようなことを語っていた。70年代、稲葉氏はファッション誌で洋服や着物を着てグラビアを華々しく飾っていたので、てっきりモデルだと思っていたが、記事を読んで本業はデザイナーだと知った。
 
 稲葉氏は原のぶ子アカデミーで「いろんな生地の糸抜きをした」とも語っていた。そこで布というものを知ることができたから、布目がよれた状態で裁断したり、縫製すればシルエットが変わってくるとも。生地のうねりや歪みを知るからこそ、それをデザインに生かせるわけで、それがビギのクリエーションを生み出すベースになったのは言うまでもない。

 「センスを磨くには知性しかないと思います。(中略)周りのことを全部理解して、整理して判断できる人。自分独自の考えを周りに巻き込まずにやり通す人です」

 この行は、中高年男性が大半を占める朝日新聞の読者に対し、菊池氏の言葉を借りた朝日のメッセージのようにも感じる。特に現役時代は政治や経済、スポーツの紙面しか読まなかったが、リタイアして少なくとも文化面にも目を通せる余裕ができた世代への提案だろうか。

 いくら反日メディアとは言っても、広告収入で成り立つコマーシャルペーパーに変わりはない。面と向かって、中高年の男性に「もっとお洒落になろう」なんて、ベタなコピーが通用しないのは、朝日も承知のはずだ。

 むしろ、知性も学歴も一定のレベル以上だが、仕事優先で文化芸術にはほとんど感知せず、センスを磨くこともなかった企業戦士。それがリタイア組になったことで、時間もお金もあるのだから、衣服にも多少の興味を持ちセンスアップしてほしいとの願い。それが新聞社として広告スポンサー獲得に繋がるからだ。この辺は菊池氏も気づいていると思うが。

 「僕らの仕事は、時間を戻したり進めたりする力がないとやっていけない。アーティストのようであるけれど、着てくれる人とキャッチボールして、現実より一歩先を提案しなくてはならない」

 服を着る人間は、洋の東西で体格の差こそあれ、普通の人なら手足と胴体、首、頭という部位は共通する。その中で、デザイナーは1枚の布が命をもつように服を創っていく。生物創世記さながら、海のように混沌としながらも、柔軟な発想がなければできないこと。人が着ることができるという意味で、服のデザインや形状は決まっていても、その時々のエッセンスや空気観を打ち出して、いかに斬新なものを表現していくか。それは着てくれる人との何気ない会話の中からヒントが見つかることもある。

 1975年、菊池氏は稲葉氏と63年以来の夫婦生活にピリオドを打った。そして、ビギの大楠祐二代表に独立をに願い出た。前年の74年、菊池氏はニコルの松田光弘氏や山本寛斎氏、コシノジュンコ氏らと「TD6」を結成。日本で初めてデザイナー集合ショーを開催した。その時、初めてパリコレに参加した寛斎氏の話に刺激を受け、国内マーケットだけを相手にする大楠代表の経営方針に疑問を抱いたのだ。

 「現実より一歩先を提案しなくてはならない」という思いは、デザイナーとしての血が滾るからこそだ。それは今も決して変わらないのだと思う。菊池氏はビギを退社して、メンズビギを設立した。だが、マーチャンダイジングを無視し、自分の思い通りのデザインをしたために事業に失敗し、ビギに舞い戻っている。

 ただ、その反省とワールドへの移籍など40年以上の時を経て、ファッションというビジネスを受け入れる人間的な度量も備わったのだと思う。それは「着てくれる人とキャッチボールして」に凝縮される。ビギの大楠代表が「感覚は新しすぎてはいけない。半歩先だ」を持論にしていたのに対し、菊池氏が「一歩先」を今さら持ち出すところは、当時からデザイナーとして譲れない決定的な違いではないのか。もっとも、「半歩先はつまらない。着るならやっぱり一歩先がいい」と支持するお客は、昔も今も一定数はいるはずである。

 「服作りではアジア諸国のパワーは増すばかりだし、市場では高感度で安価な物が求められている。そんな中で色々と提案しながら時代にフィットする答えをみつけていきたい」

 80歳に近づくも、今なお現役の菊池氏がこう語るのだから、われわれ若輩者が妙に業界や服づくりに解を求めるなんて愚かなこと。いろいろ考えながら、あれこれ悩みつつやっていけばいいのかもしれない。むしろ、菊池氏の「語る—人生の贈りもの」は、これから業界を目指す若者にとっての気づきに繋がるのではないかと思う。

 このコラムを読んでいる学生諸君はほとんどいないと思うが、誰かのシェアで菊池の語るに触れる機会があり、全編を読んでみようと気になっていただければ、幸甚である。ネットで朝日の記事を読むには通信費がかかるが、公立の図書館なら朝日新聞のバックナンバーは無料で閲覧できるのだから。

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