新型コロナウイルス禍によるアパレル及び関連業界の倒産は、ネットニュースにおける個人的トレンドとなってしまった。しかし、コロナ禍がアパレル倒産の元凶のすべてだとするには、あまりに短絡過ぎると思う。
ことの発端は、3月16日に民事再生法適用の申請をした「シティヒル」だ。ここが企画する「マジェスティックレゴン」「ル・クール・ブラン」は、平成ブランドの一角を占めていたが、個人的には2002〜03年くらいから企画力の低下を感じていた。売場に並んでいる商品を見ると、どのアイテムも売れ筋追求ばかりで、個性が感じられない。ブランドタグを隠せば、量販系と見まごうくらいだった。
結局、他ブランドとの差別化が図られずに、ヤングマーケットの中で埋没していた。一時期マーケットをリードしてきた「ナイスクラップ」や「オゾック」がすでに有名無実化していることも考え合わせると、マジェスティックレゴンやル・クール・ブランも平成の終焉とともに賞味期限を過ぎたということだ。シティヒルに限って言えば、コロナ禍がなくても近いうちにブランドを廃止もあり得ると思っていたが、それを超えて倒産となってしまった。
4月22日に自己破産した雑貨の「キャスキットソンジャパン」も、倒産するべくして倒産したと思う。1993年に英国で誕生した比較的若いブランドだが、雑貨という性格からアパレルや革製品に比べ単価も安く荒利益も少ない。日本では雑貨人気が盛り上がった時期にユナイテッドアローズやサンエーインターナショナルが販売にこぎつけたが、本社の被買収、他社傘下入りなど紆余曲折があり、ジャパン社がコントロールすることに落ち着いた。
ただ、ユナイテッドアローズなどは雑貨の「ブランド」を販売したかったのだが、キャスキットソン自体は日本でロイヤルティやポジションが確立されたわけではない。同時期には、服離れの反動から雑貨に注目が集まり、同業他者の中には雑貨SPAを手がけるところも多かった。ジャパン社にそれらと対抗していく戦略があったわけではなく、SCデベロッパーに請われるままの店舗展開。収益規模は出店投資を回収できるまでに行っていなかったと思う。
つまり、ジャパン社は日本で多店舗化を進める上で、損益分岐点をハッキリ設定したビジネスモデルを持ち合せておらず、 赤字となって債務超過に陥ったのだ。3年前の2017年には、同じ雑貨業態の「ママイクコ」も倒産している。郊外SC中心の展開で、主婦向けという違いはあるにしても、出店数(150店超)に収益力が追い付いていなかったのは、キャスキットソンと共通する。洋の東西を問わず、低価格の雑貨が辿る運命は似たようなものだ。
そして、レナウンの倒産。こちらは有名経済誌が解説しているが、筆者は百貨店系アパレルという立場が安泰で、テレビCMなどを大量投下した70年代が同社のピークだったのではないかと思う。80年代以降はデザイナーズブランドに押され、シンプルライフはおじさん臭いテイストに堕し、カジュアル「インターメッツォ」は素材、デザインともに時流から大きくズレていた。レディスブランドは尚更だろう。坂を転げるようにジリ貧になっていった。
だが、レナウンがバブル経済の崩壊を契機にメーカーとしてもの作りを見直したかというと、そうではない。国内事業ではアーノルドパーマーなど、旬を過ぎたブランドに安住するだけ。英国のアクアスキュータムを買収して世界戦略にも踏み出したが、投資倒れに終わった。ブランドマーケティングを重視して、ルマン24時間耐久レースでマツダチームに「CHARGE」でスポンサードしたが、こちらも結果が伴わなかった。ECに遅れをとるどころか、そのはるか前から自社がやるべきことを見失いつつあったのだ。
奇しくも、5月6日に経営破綻した米国の「Jクルー」は一時、レナウンがライセンス販売していた。今となっては皮肉な巡り合わせというか、経営力を失っていた企業には、売れるブランドを見抜く力もなかったと言える。アパレルにはクリエイティビティやそうした人材獲得などの知的投資も不可欠だ。自社で競争力のあるブランドが開発できない時点で、レナウンは限界値に達していたと言える。なのに、知的財産に対する遵法精神など微塵もなく、日本ブランドに触手を伸ばしたいだけの中国企業に企業価値など評価できるはずもない。
中国企業はルールなしの環境のもと熾烈な競争を繰り広げているとは言え、所詮欧米や日本の製品をコピーするに過ぎず、もの作りの本質を欠くところの傘下に収まった時点で、レナウンは自ら再生の芽を摘んだのではないのか。5月28日に発表した300名人の希望退職者の募集や下請け工場の閉鎖についても、その前に打つべき対策があったはずだ。有名経済誌は「レナウンの倒産は序章に過ぎない」との警告を鳴らす。確かに大量生産、大量消費、大量廃棄のビジネスモデルしか持たないアパレルは、コロナ禍を契機に淘汰されるところも出て来るだろう。
カギは卸と小売りの意思疎通
ただ、有名経済誌はどうしてもマクロ的な見方をしてしまう。だが、アパレル市場は大手だけで成り立っているわけではない。中小零細企業が個性や能力を発揮することで、市場が活性化されている面もある。先日、繊研PLUSが「コロナの影響は?東京デザイナーブランドに聞く」という記事を配信した。それを見ると、有名経済誌が見抜けていない「生き残るアパレル」には法則があることがわかる。https://senken.co.jp/posts/tokyobrand-new-coronavirus-200527
記事は「新型コロナウイルスの感染拡大がアパレルビジネスに大きな支障をきたす中で、付加価値を追求する国内デザイナーブランドは冷静に現状を把握し、次のアクションに動いている」という書き出しで、アパレル業界にエールを贈るもの。業界紙としては、「経営破綻の序章」「倒産の連鎖」など危機感を煽るしかない大手経済誌と違った見方をしている。
取材を受けているのは、東京を中心に活動するデザイナーたちが展開するブランドメーカーや専門店系アパレル。レナウンのように大手百貨店にインショップをもつアパレルとは違い、日本各地津々浦々のセレクトショップや専門店、そこで仕入れを担う目利きのバイヤーに認められ、その先にいる洋服好きに愛されているデザイナーやブランドである。
繊研新聞が25のブランドにとったアンケートを総括すると、「輸出が減少する傾向はあるものの、秋冬の商売への影響は軽度にとどまった」というのが共通する。これは「戦後最大の危機」などと、自らを戒める経営者とも対照的だ。逆に言えば、コロナ終息後のビジネスヒントになるかもしれない。各デザイナーの発言を拾ってみた。
まず、海外輸出については、「欧米のバイヤーは通常通り買い付けはあっても、予算は昨対比で微減」「新規オープンの店のオープン予定が遅れるなどの理由でキャンセルが若干生じた」「中国・武漢の取引先は、4月にロックダウンが解除されたのでメールオーダーが入った」「中国はSARS(重症急性呼吸器症候群)の時に外出自粛の反動で売り上げが伸びた経験から、その状況を見越してオーダー数も増えた」。オーダーは微減からむしろ増加しており、コロナ禍の影響はあまり見られない。
国内からの引き合いについても、比較的安定しているとの印象がある。(19ブランドが)「展示会の受注に目立った影響はなし」というから、やはり次シーズンへの期待度は落ちていないということだ。展示会を2月上旬までに行ったところは、「取引先も数量も増えた」「前年より数字は伸び、パンデミック(世界的大流行)がなかったらもう少し増えてもよかった」。コロナウイルスの感染が拡大する前に展示会を行っていれば当然だろう。
また、心配される秋冬ものの納品については、「プロパーの消化率が大事になるので、店の衣替えの時期となる9月に納品する」と、通常通りのようだ。デザイナー系、専門店系ということで、顧客は商品に期待しており、店頭に並べばオンシーズン前に先買いする。店舗側もそれを想定した仕入れ計画を立てているわけだから、なおさら納品時期はカギとなる。自粛生活を強いられたお客の「お洒落な服が買いたい」との思いが呼び水になればなおさらいい。
むしろ小売り側が嫌う商品の同質化
ここで考えるのは、なぜデザイナーブランドや専門店系アパレルがコロナ禍でもそれほど影響を受けなかったのか。一番は大半が卸主体で店舗を抱えていないため、家賃や人件費負担が避けられたことだ。一方、取引先のセレクトショップや専門店は、各地の感染状況から休業に追い込まれたところもあるだろうが、顧客を中心としたビジネスだから店売り以外の方法も取れたと思う。デザイナーブランドや専門店系アパレルは取引先が営業できている限り、商品代金の回収ができるので、ビジネスを回していけるのである。
そして、大手アパレルにない特長として、商品を大量生産しないから在庫消化、キャッシュフローへの負担も軽く、計画に添って事業を行い無理をする必要もない。商品づくりでは取引するバイヤーやその先にいる顧客のニーズも聞き入れるが、決して売れ筋を追うことも無い。自由に発想して、クリエーションを作り出せるのだ。むしろオーナーが若くてバイヤーも兼ねる小売店ほど商品が同質化し、売れ筋を追うのを嫌う。
小売店は自店の個性を維持していくには、デザイナーズブランドや専門店系アパレルが作り出す商品にも独自性や独特の世界観を求める。だから、大手アパレルが企画するデザインやECで気軽に手が入るようなアイテムは避けるのだ。店舗の顧客も同じ感覚だと言っていい。そうした商品は原価率も高くなるが、商品づくりがきめ細かて手間がかかっているからこそ、顧客には好まれる。だから、量よりもコンスタントに売れる。デザイナーやアパレル側の経営も安定するのだ。
有名経済誌はコロナ禍後にアパレル業界の優勝劣敗が決まるような論調を展開している。だが、何をもって優り勝ち、何をもって劣り負けるのか。それはECの導入如何なんて単純なものではない。アパレルは服を作って販売する原始的なビジネス。営業スタイルは進化しているが、もの作りの基本はそれほど変わらない。つまり、自信をもって自社で創り上げた商品について、卸売り側(デザイナー、アパレル)と仕入れ側(小売店、バイヤー)が顔を見合わせ心を通い合わせながら、ツーカーの状態でいかに顧客に届けていくか。
レナウンでかつて社長を務めた松坂萬丈氏は、「アパレルには完成した企業形態はない」と語っていた。しかし、同社こそ組織が肥大化、硬直化して、経営効率しか追わなくなってしまったから、倒産に至ったとも言える。顧客である卸先、その先にいる真の顧客を見ようとしていなし、見えてもいなかったのだ。これが正解だろう。逆に効率を求めていない中小アパレルは、これからも真摯にもの作りに向き合えるのだ。大が潰れ、小が残るような予感。それが今後のアパレル業界の正しい見方ではないかと思う。
ことの発端は、3月16日に民事再生法適用の申請をした「シティヒル」だ。ここが企画する「マジェスティックレゴン」「ル・クール・ブラン」は、平成ブランドの一角を占めていたが、個人的には2002〜03年くらいから企画力の低下を感じていた。売場に並んでいる商品を見ると、どのアイテムも売れ筋追求ばかりで、個性が感じられない。ブランドタグを隠せば、量販系と見まごうくらいだった。
結局、他ブランドとの差別化が図られずに、ヤングマーケットの中で埋没していた。一時期マーケットをリードしてきた「ナイスクラップ」や「オゾック」がすでに有名無実化していることも考え合わせると、マジェスティックレゴンやル・クール・ブランも平成の終焉とともに賞味期限を過ぎたということだ。シティヒルに限って言えば、コロナ禍がなくても近いうちにブランドを廃止もあり得ると思っていたが、それを超えて倒産となってしまった。
4月22日に自己破産した雑貨の「キャスキットソンジャパン」も、倒産するべくして倒産したと思う。1993年に英国で誕生した比較的若いブランドだが、雑貨という性格からアパレルや革製品に比べ単価も安く荒利益も少ない。日本では雑貨人気が盛り上がった時期にユナイテッドアローズやサンエーインターナショナルが販売にこぎつけたが、本社の被買収、他社傘下入りなど紆余曲折があり、ジャパン社がコントロールすることに落ち着いた。
ただ、ユナイテッドアローズなどは雑貨の「ブランド」を販売したかったのだが、キャスキットソン自体は日本でロイヤルティやポジションが確立されたわけではない。同時期には、服離れの反動から雑貨に注目が集まり、同業他者の中には雑貨SPAを手がけるところも多かった。ジャパン社にそれらと対抗していく戦略があったわけではなく、SCデベロッパーに請われるままの店舗展開。収益規模は出店投資を回収できるまでに行っていなかったと思う。
つまり、ジャパン社は日本で多店舗化を進める上で、損益分岐点をハッキリ設定したビジネスモデルを持ち合せておらず、 赤字となって債務超過に陥ったのだ。3年前の2017年には、同じ雑貨業態の「ママイクコ」も倒産している。郊外SC中心の展開で、主婦向けという違いはあるにしても、出店数(150店超)に収益力が追い付いていなかったのは、キャスキットソンと共通する。洋の東西を問わず、低価格の雑貨が辿る運命は似たようなものだ。
そして、レナウンの倒産。こちらは有名経済誌が解説しているが、筆者は百貨店系アパレルという立場が安泰で、テレビCMなどを大量投下した70年代が同社のピークだったのではないかと思う。80年代以降はデザイナーズブランドに押され、シンプルライフはおじさん臭いテイストに堕し、カジュアル「インターメッツォ」は素材、デザインともに時流から大きくズレていた。レディスブランドは尚更だろう。坂を転げるようにジリ貧になっていった。
だが、レナウンがバブル経済の崩壊を契機にメーカーとしてもの作りを見直したかというと、そうではない。国内事業ではアーノルドパーマーなど、旬を過ぎたブランドに安住するだけ。英国のアクアスキュータムを買収して世界戦略にも踏み出したが、投資倒れに終わった。ブランドマーケティングを重視して、ルマン24時間耐久レースでマツダチームに「CHARGE」でスポンサードしたが、こちらも結果が伴わなかった。ECに遅れをとるどころか、そのはるか前から自社がやるべきことを見失いつつあったのだ。
奇しくも、5月6日に経営破綻した米国の「Jクルー」は一時、レナウンがライセンス販売していた。今となっては皮肉な巡り合わせというか、経営力を失っていた企業には、売れるブランドを見抜く力もなかったと言える。アパレルにはクリエイティビティやそうした人材獲得などの知的投資も不可欠だ。自社で競争力のあるブランドが開発できない時点で、レナウンは限界値に達していたと言える。なのに、知的財産に対する遵法精神など微塵もなく、日本ブランドに触手を伸ばしたいだけの中国企業に企業価値など評価できるはずもない。
中国企業はルールなしの環境のもと熾烈な競争を繰り広げているとは言え、所詮欧米や日本の製品をコピーするに過ぎず、もの作りの本質を欠くところの傘下に収まった時点で、レナウンは自ら再生の芽を摘んだのではないのか。5月28日に発表した300名人の希望退職者の募集や下請け工場の閉鎖についても、その前に打つべき対策があったはずだ。有名経済誌は「レナウンの倒産は序章に過ぎない」との警告を鳴らす。確かに大量生産、大量消費、大量廃棄のビジネスモデルしか持たないアパレルは、コロナ禍を契機に淘汰されるところも出て来るだろう。
カギは卸と小売りの意思疎通
ただ、有名経済誌はどうしてもマクロ的な見方をしてしまう。だが、アパレル市場は大手だけで成り立っているわけではない。中小零細企業が個性や能力を発揮することで、市場が活性化されている面もある。先日、繊研PLUSが「コロナの影響は?東京デザイナーブランドに聞く」という記事を配信した。それを見ると、有名経済誌が見抜けていない「生き残るアパレル」には法則があることがわかる。https://senken.co.jp/posts/tokyobrand-new-coronavirus-200527
記事は「新型コロナウイルスの感染拡大がアパレルビジネスに大きな支障をきたす中で、付加価値を追求する国内デザイナーブランドは冷静に現状を把握し、次のアクションに動いている」という書き出しで、アパレル業界にエールを贈るもの。業界紙としては、「経営破綻の序章」「倒産の連鎖」など危機感を煽るしかない大手経済誌と違った見方をしている。
取材を受けているのは、東京を中心に活動するデザイナーたちが展開するブランドメーカーや専門店系アパレル。レナウンのように大手百貨店にインショップをもつアパレルとは違い、日本各地津々浦々のセレクトショップや専門店、そこで仕入れを担う目利きのバイヤーに認められ、その先にいる洋服好きに愛されているデザイナーやブランドである。
繊研新聞が25のブランドにとったアンケートを総括すると、「輸出が減少する傾向はあるものの、秋冬の商売への影響は軽度にとどまった」というのが共通する。これは「戦後最大の危機」などと、自らを戒める経営者とも対照的だ。逆に言えば、コロナ終息後のビジネスヒントになるかもしれない。各デザイナーの発言を拾ってみた。
まず、海外輸出については、「欧米のバイヤーは通常通り買い付けはあっても、予算は昨対比で微減」「新規オープンの店のオープン予定が遅れるなどの理由でキャンセルが若干生じた」「中国・武漢の取引先は、4月にロックダウンが解除されたのでメールオーダーが入った」「中国はSARS(重症急性呼吸器症候群)の時に外出自粛の反動で売り上げが伸びた経験から、その状況を見越してオーダー数も増えた」。オーダーは微減からむしろ増加しており、コロナ禍の影響はあまり見られない。
国内からの引き合いについても、比較的安定しているとの印象がある。(19ブランドが)「展示会の受注に目立った影響はなし」というから、やはり次シーズンへの期待度は落ちていないということだ。展示会を2月上旬までに行ったところは、「取引先も数量も増えた」「前年より数字は伸び、パンデミック(世界的大流行)がなかったらもう少し増えてもよかった」。コロナウイルスの感染が拡大する前に展示会を行っていれば当然だろう。
また、心配される秋冬ものの納品については、「プロパーの消化率が大事になるので、店の衣替えの時期となる9月に納品する」と、通常通りのようだ。デザイナー系、専門店系ということで、顧客は商品に期待しており、店頭に並べばオンシーズン前に先買いする。店舗側もそれを想定した仕入れ計画を立てているわけだから、なおさら納品時期はカギとなる。自粛生活を強いられたお客の「お洒落な服が買いたい」との思いが呼び水になればなおさらいい。
むしろ小売り側が嫌う商品の同質化
ここで考えるのは、なぜデザイナーブランドや専門店系アパレルがコロナ禍でもそれほど影響を受けなかったのか。一番は大半が卸主体で店舗を抱えていないため、家賃や人件費負担が避けられたことだ。一方、取引先のセレクトショップや専門店は、各地の感染状況から休業に追い込まれたところもあるだろうが、顧客を中心としたビジネスだから店売り以外の方法も取れたと思う。デザイナーブランドや専門店系アパレルは取引先が営業できている限り、商品代金の回収ができるので、ビジネスを回していけるのである。
そして、大手アパレルにない特長として、商品を大量生産しないから在庫消化、キャッシュフローへの負担も軽く、計画に添って事業を行い無理をする必要もない。商品づくりでは取引するバイヤーやその先にいる顧客のニーズも聞き入れるが、決して売れ筋を追うことも無い。自由に発想して、クリエーションを作り出せるのだ。むしろオーナーが若くてバイヤーも兼ねる小売店ほど商品が同質化し、売れ筋を追うのを嫌う。
小売店は自店の個性を維持していくには、デザイナーズブランドや専門店系アパレルが作り出す商品にも独自性や独特の世界観を求める。だから、大手アパレルが企画するデザインやECで気軽に手が入るようなアイテムは避けるのだ。店舗の顧客も同じ感覚だと言っていい。そうした商品は原価率も高くなるが、商品づくりがきめ細かて手間がかかっているからこそ、顧客には好まれる。だから、量よりもコンスタントに売れる。デザイナーやアパレル側の経営も安定するのだ。
有名経済誌はコロナ禍後にアパレル業界の優勝劣敗が決まるような論調を展開している。だが、何をもって優り勝ち、何をもって劣り負けるのか。それはECの導入如何なんて単純なものではない。アパレルは服を作って販売する原始的なビジネス。営業スタイルは進化しているが、もの作りの基本はそれほど変わらない。つまり、自信をもって自社で創り上げた商品について、卸売り側(デザイナー、アパレル)と仕入れ側(小売店、バイヤー)が顔を見合わせ心を通い合わせながら、ツーカーの状態でいかに顧客に届けていくか。
レナウンでかつて社長を務めた松坂萬丈氏は、「アパレルには完成した企業形態はない」と語っていた。しかし、同社こそ組織が肥大化、硬直化して、経営効率しか追わなくなってしまったから、倒産に至ったとも言える。顧客である卸先、その先にいる真の顧客を見ようとしていなし、見えてもいなかったのだ。これが正解だろう。逆に効率を求めていない中小アパレルは、これからも真摯にもの作りに向き合えるのだ。大が潰れ、小が残るような予感。それが今後のアパレル業界の正しい見方ではないかと思う。