HAKATA PARIS NEWYORK

いまのファッションを斬りまくる辛口コラム

観光地パラサイト。

2021-06-09 06:29:05 | Weblog
 6月4日、「ユニクロ浅草」がオープンした。どこの観光地もコロナ禍でインバウンドはもとより、国内旅行者の誘客にも苦戦している。それだけにここはテレビや新聞が全国ニュースで取り上げるなど、報道に力がこもる新店だ。



 立地は浅草寺西側の繁華街に建つ楽天地浅草ビルの1、2階で、吹き抜けを施した開放的な空間にレディス、メンズ、キッズとUTをラインナップ。エントランスを入ると、地元の提灯屋の大島屋恩田が作成したユニクロのロゴ入りの角形提灯が目を引く。

 また、地元台東区は履物工業が盛んなことで、職人や工場が製造する雪駄や革小物がディスプレイされ、店内外のそこかしこに浅草情緒を醸す「千社文字(千社札から取材された籠字が母体のフォント)」のPOPを貼り付け。1階壁面には昭和、2階壁面には令和というテーマで浅草のスナップ写真を掲示し、地元にゆかりのあるイラストレーションも描かれている。

 古き良き日本の文化を全面に押し出す店づくりは、浅草を訪れる観光客を意識したと見られる。そんなユニクロ浅草ついて、業界メディアは「地元に根ざした売場作りと販促に注力」というニュアンスで紹介した。

 地元の全面的な協力を得たのは確かだ。ユニクロは紋切り型のチェーンオペレーションがお客に飽き飽きされており、ご当地色を打ち出した店舗を目指す意図は感じられる。しかし、同店にできるのは装飾やプロモーションまでだ。日本文化を発信すると言っても、商品はほぼ100%がローコストの海外で生産されたもの。メディアもそれを前提にすれば、こうした見出しを付けざるをえなかったわけだ。

 今回、グラフィック素材をプリントできるサービス「UTスタンプ」については、地元の老舗ブランドや浅草にちなんだコラボデザインが限定販売されているが、もちろんベースのTシャツは日本製ではない。

 店舗オープンと浅草振興をシンクロさせ、地元飲食店のスタッフが着用したキャンペーンTシャツも非売品と思われるが、ユニクロの生産ラインで作られたものなら同じだろう。地元で人力車を運行する時代屋・東京力車の法被には、紺地の背中にユニクロ浅草のロゴがプリントされている。これはどこ製なのか。

 時代屋に詳細を確認すると、「当方が着用した半纏は、ユニクロ様から支給していただきましたので、当方では詳細わかり兼ねます。ユニクロ様に直接お問合せいただけますでしょうか」との回答がきた。ファーストリテイリングに問い合わせると、「車夫が着用している『ユニクロ浅草』とロゴの入った法被に関しましては、商品の仕様や生産国に関しましては、開示がされておりませんため、ご回答がいたしかねます」との答えだった。

 SP用に市販されている法被は綿100%で、前たてと背中に「シルク」「転写」「刺繍」の3種の仕様でロゴなどが表示できるものがある。この手法なら国内製造でコストはかかるが、ロットが揃わなくても可能だ。ユニクロが時代屋に提供した数はそれほど多くないと考えられるので、こちらも国内で「染め抜き風」にプリントしたのではないかと思われる。


お土産をご当地産にこだわるのはありか

 そこで考えたいのが、観光地スーベニアの原産国だ。筆者はニューヨークにいたので、現地で数々のお土産を見てきたが、1990年台に入るとI ♡ New YorkのTシャツも、Made in USAから他国製に変わっていった。というか、スーベニアに限らず米国のマスプロ衣料全般がコストの安い海外生産を進めていったし、すでに70年代からクリスマスグッズなどは日本に生産が委託されていた。内職をしていた祖母が見せてくれたので、はっきり憶えている。



 そう考えると、低価格衣料の最たるユニクロがいくら浅草イメージを打ち出す中で、限定アイテムとは言えTシャツなどが日本製になるはずもない。2018年に発売されてフランスでヒットした「北斎ブルー」のTシャツ然りだ。商品企画としては、両方とも日本文化を外国人に伝えるためのものだから、プロダクトが日本製である必要はないという理屈だろうか。

 ましてユニクロは商品をヒットさせて利益を稼ぐのが第一の目的だから、浅草や北斎をモチーフにしたアイテムを、コストが高い日本製にすることなど端から眼中にはないはずだ。それはそれで理解できる。

 ただ、今回のオープンに共同参画した浅草で商売をされている方々は、どうなのだろう。企画を持ちかけたのがユニクロ側とすれば、浅草の方々は「コロナ禍でインバウンドはほぼゼロになっているから、ユニクロが地元に出店するだけでも、多少なりとも集客が増え賑わいが戻れば、いいかも」という程度の心情で、参画を受け入れたのではないか。

 法被や飲食店のTシャツがすべてユニクロ側が支給したものとすれば、浅草エリアとしては何ら予算をかけたわけではないので、特に注文することもなかったと思う。

 ただ、浅草ブランドの価値を訴えるなら、地元店舗が販売する商品も地元で製造したものに限る。それが店側の姿勢だし、地元で作ってこそ浅草の心意気が伝わる。セレクトショップのビームスが展開する「ビームスジャパン」や東急ハンズ地方店のご当地コーナーは、日本各地の商品を厳選しており、同じ思いで販売されているはずである。

 そう考えると、今回のユニクロ浅草では、ご当地がユニクロにうまく利用された感は否めない。ユニクロはコロナ禍が終息して観光客が浅草に戻って来れば、お土産感覚のアイテムも売れるだろうとの算段で、仕掛けたと言える。うまく軌道に乗れば、新たなコンセプトショップとして京都や奈良、金沢、博多バージョンの展開もあり得るかもしれない。

 しかし、浅草という街も文化も、あくまで地元の方々が作り上げたもので、それが観光客を引き寄せてやまないのである。ユニクロはそれに乗っかったに過ぎない。


浅草を知るには現地の職人技に触れること

 話は変わるが、ニューヨークにいた頃、現地で知り合った米国人から、「今度、初めて東京旅行するだんけど、押さえるエリアと日本らしいお土産でお奨めはあるかい」と、聞かれたことがある。その時、瞬時に浮かんだのが「ベタだけど、日本らしさでは浅草かな。お奨めのお土産は『べんがら』の暖簾だよ」と答えた。

 浅草は都心に近いことからよく訪れた。隅田川沿いに蔵前、東日本橋に下るコースは博多にも似ていて、好きなエリアの一つだ。お土産ということでは銀座がステーショナリー、青山がアパレルとすれば、浅草は和物になる。べんがらの暖簾は何度も浅草を訪れているうちに気に入って、紺地に墨文字の丸が染め抜かれたものを購入した。




 ニューヨークから福岡に戻り、マンションの一室に事務所を構えると、玄関の鉄扉を開放するシーズンが多くなった。機密性が高いためクロス貼りの壁に結露でカビが発生したからだ。廊下とリビングの境には内扉があったので、そちらも開けっ放しにすると、玄関から仕事場が丸見えなるので、ここにべんがらの暖簾を飾った。

 タペストリー感覚の和風アートという感じで、これが事務所の内装とうまく調和した。その後、「干支シリーズ」が発売され、毎月1枚ずつ購入しては飾り続けたので12枚のコンプリートになった。どれも厚手の綿地に絵柄や文字が施され、昔ながらの「染め抜き」や「書き上げ」の手法で描かれていた。もちろん、職人技による浅草メイドだ。アートに触れる機会が多いニューヨーカーにもきっと受け入れられるはずだ。




 ユニクロ浅草のTシャツや法被、POPに使われた千社文字は、デジタルフォントで生まれたもの。すでにモリサワの「勘亭流」、写研の「鈴江戸」なんかもデジタル化されている。それゆえ、日本でデザイナーが各アイテムの版下データさえ作成すれば、それを他都市の工場にネットで送るだけでTシャツなどはインクジェットで簡単にプリントできる。紺地の法被や黒のTシャツには白インクでプリントすれば、「染め抜き風」に見えるのだ。

 ただ、本当の浅草の情緒や文化は現地の人々からしか伝わらない。徹底してそこにこだわってほしいし、旅行者にも伝えていくべきと思う。モノからコトに旅行の関心が移っていることを考えるとなおさらだ。その意味で、ユニクロ浅草には「観光地パラサイト」という同社の新たな一面が垣間見える。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする