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いまのファッションを斬りまくる辛口コラム

創造力を育む経営観。

2022-09-07 06:30:24 | Weblog
 京セラの創業者で、KDDIで通信事業に参入し、日本航空の再建にも尽力された稲盛和夫氏が亡くなった。事業を通じて発せられた経営論は、業界の領域を超えて後世まで引き継がれるものに他ならない。筆者もここ20年ほど、稲盛氏をはじめとしたいろんな方の「経営観」に触れるようになったが、大学時代から20代後半まではほとんど考えることはなかった。

 デザイン業界の仕事は、クライアントから依頼されたもので、パフォーマンスを上げるだけ。いわゆる「受注生産」というやつだ。入社4年目、27歳の時に仕事全体を俯瞰で見ながら外部スタッフを交えて仕事を仕切るディレクター職となっても、「この仕事は収支トントンでも、別の仕事で儲ければいいか」と、物件ごとに「取り」と「払い」をはっきりさせ、「利益」を出せばいいくらいしか考えなかった。

 同僚社員も同じだ。「いい作品を創りさえすれば、認められて、給料もアップする」と信じて疑わなかった。しかし、企業である以上、そんなに甘くはない。やりたい仕事ばかりが来るわけではないし、予算や納期が少ない仕事もある。プレゼンに負けることもある。ビジネスである限り、うまく行かないことの方が多いのだ。

 結局、大卒で入ってきた後輩の中には、キツい割に給料は上がらないから、2〜3年で退職していくものもいた。社内では職種と立場は色々あれど、会社組織に席を置く以上、経営者が示した明確なヴィジョンに則って仕事をしていかなければならない。それに気付かされたのはディレクターとなって1年ほど経った頃だ。

 社長が経営改革を打ち出したのである。「同じことを繰り返すだけではダメ。会社を変えていくためにも、経営のあり方を考え直さないと」と言って、社員個々に対し直接対話を求め、協力を促していった。社長は前々から考えていたようで、タイミングを見計らっての断言。筆者も「やってくれないか」と、請われたので賛同した。入社5年目だった。

 経営改善に動き出した社長は受け売りではあったが、ある人の経営論を参考にしていた。仕事のたびに口酸っぱく言われたその内容は、不思議なことに今も頭の片隅に残っている。後で知ったのだが、その経営者とは稲盛氏だった。

 一、仕事の目的、意義をはっきりさせる
 一、具体的な目標を立てる
 一、意中に強い願望を持つ
 一、誰にも負けない努力をする
 一、売上げと経費を反比例させる
 一、怯まず勇気を持ってやる
 一、常に創造的な仕事をする


 ざっと挙げると、以上のようなもの。だが、稀代の経営者である稲盛氏と言っても、その経営論をうちの社員全員が理解し、実践するのは容易ではなかった。各自の意識や能力、可能性にもバラツキがあった。「クリエイティブとは相容れない」「そんなのきれいごと。どうでもいい」と、取り合わずに辞めていくものもいた。筆者も論理通りに色々と実践しようとしたが、できなかったことの方が多く反省のまま現在に至っている。


その時の人々ができないことをやってのける



 まず、なぜこの仕事を行うのか。会社の存在理由はどこにあるのか。それをはっきりさせておくこと。言われてみると当たり前だが、クリエイティブワークに携わる人間の多くは、まず「好きだから」で仕事をする。次に「金を儲けて自分らしい暮らしがしたい」が来る。会社として仕事の目的や意義を明確にしろと言ったところで、社員は採用の時点である程度の実力を評価されているのだから、会社としての仕事の目的と言っても曖昧になってしまう。

 逆にそれが待遇や給与面に反映されないと、退職していく者もいる。社長として経営改革を打ち出した背景には、「若手もベテランも、営業も制作も認めてくれるような会社にすべく全力を尽くしていく」との思いがあったからだ。ただ、それを理解できるものとそうでないものとの温度差が生じたのは間違いない。

 次に具体的な目標とは何か。例えば、1人のディレクターが1物件あたり平均100万円(総制作費)の仕事をするとする。仕事は営業が取ってくるので、営業経費を20%ほど差し引いたとすれば、会社の取りは125万円。外注先のスタッフ3〜4名で仕事をすれば、外注費を最低6割として制作費の粗利益は40万円。ディレクター1人が年に50〜60の物件をこなせば、制作費の総売上げは5000万円〜6000万円で、粗利益は2000万円〜2400円となる計算だ。制作部にも、こうした具体的な目標が掲げられるようになった。

 それまで制作部は同じ社内にありながら、あくまで受注生産という形で売上げを計上していた。各ディレクターが漠然と理解していたのは、「給料の3倍稼げ」といういたってアバウトなものだった。社長はこうした「お題目」ではなく、損益計算書の形で細かな数値目標を設定した。各ディレクターは売上げ目標の達成に向かいながら、外注費などの経費をできる限り抑えると、決められた利益目標を達成できるという考え方だ。

 年間目標だけではなく、短いスパンの月間目標も設定された。制作セクションだけでなく、社員一人ひとりが1日の目標を設定することになり、日々の仕事内容がはっきりする。営業、制作、媒体、管理とどの社員も自らの目標の達成に努力すれば、それぞれの部門も目標を達成することになり、それがひいては会社全体の目標達成につながるという考え方だ。

 当然、ディレクターには外注先への説得(ギャラ折衝)が求められた。詳細なデータを提示して、デザイナーからイラストレーター、カメラマン、スタイリスト、果てはヘアメイクやモデル事務所にまで協力をお願いすることになった。仕事はチームで行うから、彼らの助けも不可欠だ。中には反発するスタッフもいたし、それぞれに事情があったと思う。ただ、うちの会社としては明確な努力目標を掲げたのだから、それに邁進することしかなかったのである。

 そして、常に創造的な仕事をするとは、どういうことか。制作マンである時点で、クリエイティブなことをやっているのだから、皆が当たり前だと思っている。しかし、これも大きな錯覚であることが次第にわかってきた。稲盛氏の経営論では、創造的な仕事とは「その時の人々ができないと思っていたことをやってのけること」とある。そこから生まれた京セラの製品を見れば、一目瞭然だ。

 奇しくも1980年代末に、デザインの世界に急速なデジタル化の波が押し寄せた。それまではペンと紙、台紙と印画紙とカッターと糊、ポスターカラーと筆があれば、あとは持てる技とアイデアを駆使することで仕事をこなすことができた。つまり、それだけ=少ないコストで食いっパクれはなかったのである。ところが、デジタル化は否応なく新たな技術と技能、そしてハード(PC)とソフト(アプリケーション)への投資と技術学習を求めてきた。

 それまでアナログ次元のみで、クリエイティビティや技術論を講釈できた。だが、デジタル化に対応しハードとソフトを使いこなして新たな仕事を創造できないと、業界から退場を余儀なくされたのである。それは何も外注先のデザイナーらだけでなく、元請けである当社から変わっていかなければならなかった。

 PCとアプリケーションはペンと紙などの道具に過ぎない。しかし、数段のスピードと作業効率の良さをもたらしてくれた。ならば、その空いた時間を「考えること」に置き換えていくことだ。ルーチンだったセオリーの角度を変えたり、工夫を凝らして新たなアイデアを生み出す。デジタル化は確実に仕事の領域を広げた。だから、日々の仕事で改善、改良を繰り返えせば、自ずと創造的な仕事につながる。昨日より今日、今日より明日が進歩することで、クリエイティビティが醸成されるというのがわかっていった。

 時代は確実に変わっていく。その潮目をいかに読んで、自分なりに対応していくか。それには投資も学習も必要なのだが、それに対応できない人間も少なくなかった。アナログ次元が抜けきれない職人気質のオペレーター、パースライター、フィニッシュマンの中には廃業し転職していったものもいる。だが、そんなデジタルも日進月歩だ。毎日同じ方法で同じ作業を繰り返してはダメ。絶えず新しいものを生み出さなければならない。まさにその時の人々ができないと思っていたことをやってのけない限り、生き残れないということである。

 デザインには「アート」という芸術面だけでなく、「製品」という性格のものもある。仕事、特に商業デザインとなれば、それら2つを混同せず目的に応じて使い分けていくことが不可欠だ。だから、ディレクターには依頼された仕事で明確なコンセプトを設定し、いろんな媒体を選択していく中で、スタッフの選びから制作内容、技術レベルまでを見極め、統一した考え方のもとで仕事をしていかなければならない。

 振り返ると、仕事の目的、意義を明確にし具体的な目標を立て、常に創造的な仕事をするまでには何とか行き着いたが、意中に強い願望を持ち誰にも負けない努力をしてきたとは言い難い。また、怯まず勇気を持って仕事をしてきたかと言えば、道半ばのままである。その後、自分自身でキャリアアップしたい気持ちが強くなり、以前からニューヨークで仕事のスキルを磨きたいとの思いもあって31歳で退職し、準備期間として4年ほど別の会社に在籍した。

 帰国して故郷の福岡に事務所を持ち、フリーランスとして活動し30年近くが経過した。単なる制作マン、クリエイターの端くれで終わることなく、今まで仕事を続けてこれたのは、会社時代に触れた経営論を通じ、いろいろと試行錯誤できたことが大きかった。そして、経営を考えるということは、デザインに対しても別の角度から接することができるようになる。それは自分でも大きな学びになったと言える。
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