筆者は幼少期から社会人になるまで、周囲にアパレル関連に携わる人々が多数いて、環境から学べたものが多かった。同級生には服飾専門店の倅や娘がおり、親が仕入れに行ったイタリアで買ってきたパンツを穿いているお坊ちゃんもいた。店舗と一体になった自宅に遊びに行くと、店頭に並んでいる最新トレンドの服や舶来生地に触れることができた。2階のアトリエでは専門学校を出たての若い縫い子さんが働いていた。当時、流行っていた「ラブテスター」を試して針が半分以上に振れ、揶揄われたのはいい思い出になっている。
叔母はサロンブティックを経営していて、博多に支店を構える大手アパレルの展示会にちょくちょくやってきていた。その一つが「イトキン」で、自宅近くの奈良屋町に営業所があった。叔母は叔父とともにシーズン向けに企画されたサンプルを見ながら、担当者と喧々轟々のやり取りをすることが多かったようだ。終電の時間を過ぎても商談が続いた時は、うちの家に泊まりに来ていた。朝起きると、布団で叔母夫婦が寝ている姿を見て、子供心に「商売人って大変だな」と思った。
従兄弟は専門店系アパレルの営業マンで、コミュニケーションをとるのがとても上手かった。高校時代にはたまに連絡をくれて、「お茶を飲みに行こう」と喫茶店に連れて行ってくれた。そこでは「今、メーカーがどんな商品を企画し、どう売っていこうとしているか」、わかりやすく説明してくれた。学校の授業では学べなかったビジネスのノウハウを、多少でも身につけることができたのは、その後の仕事にずいぶん役立った。
母親はオートクチュール(高級注文服)の洋裁師だった。昭和40年代の半ば頃までは既製服はそれほど出回っておらず、お金持ちの中高年女性はブティックや百貨店で生地を選んで誂えるのが当たり前だった。母親は採寸から型紙作り、仮縫い、縫製までをこなし、お直しもしていた。その影響からか、若いOLさんが雑誌の切り抜きと生地を持って、「こんな服を作って欲しい」と、うちにやってきた。縫い代部分にチャコやしつけ糸で印が付けられた袖や身頃を見るのは日常茶飯事。おかげで、針と糸を難なく使えるようになり、裁縫が得意になった。
大学時代にはレディスのマンションアパレルでアルバイトを経験した。当時、伸びていた「キャリアゾーン」のメーカーで、企画する商品には大人っぽい雰囲気とエッジがきいたシャープな感覚があった。イタリア製の生地が使われるものは、こんなに出来栄えが違うのかと感じた。仕事は工場から上がってきた商品を型番別に棚やハンガーラックに収納すること。そして、取引先からの注文に応じて仕切書をもとに取り出し、パッキンに詰めて送り状を書いて出荷するものだった。
ビニール袋に入ったシャツやニット、プラスチックハンガーにかかったジャケットやスカートなどを見るたびに、「今シーズンはこんなアイテムが売れるのかな」と、その傾向を勉強することができた。取引先はこだわりが売りの全国のショップばかりで、仕入れにやってくるバイヤーさんは感性が鋭く、商品に対する目利きも良かった。完全買取や見計らい、担当者了承済みなど、いろんな取引条件も知った。
もっとも、自分自身は広告制作の方に興味をもち、大学の授業と並行して講座を受けたりダブルスクールで学んだりと、卒業後はそちらの業界に進もうと考えていた。それでも、クリエイティブ部門の新卒採用は大手広告代理店しかなかったため、勉強を続けながらアパレルで働く道を選択した。その後、広告会社に転職して制作に携わり6~7年くらいたった頃、偶然にも雑誌広告の仕事で出版社の営業担当者と話す機会があった。そこで業界の事情に詳しいと受け取られたのか、編集部を紹介された。
「アパレルのこと、よくご存知みたいですね。ルポを書きませんか」と、編集長はオファーをくれた。ルポなんて書いたことは無かったが、雑誌の仕事はやってみたいと思っていたので快諾した。初めて書いたのは、ストリートのショップルポだった。編集長には好評で、継続して仕事をいただくようになった。別の出版社、他の媒体からも声がかかり、以来30年近くにわたり取材からインタービュー、撮影、記事制作、広告企画までに携わった。
逆に知り合いから企画の相談を受けることもあった。アパレル業界に精通したおかげで、本業でもモデル撮影では衣装選定をスタイリスト任せにせず、主導権を握れた面は良かったと感じる。
男性のライフスタイルとファッションの関係
マンションアパレルの社長にもお世話になった。レディスウエアの構造や縫製については少しはわかっているつもりだった。だが、シーズンに売りたい商品を企画し、落とし込んだデザインからパターンを起こし、生地や副資材の手配からサンプルを仕上げるまでのフローは、初めて知った。また、「クリエーション」や「マーケティング」という用語も、社長がよく使っていたので理解できた。「ラグジュアリーじゃないが、自分のセンスに合ったもの、他人とは違った服を着たい層。好きな服ならお金をかけても良いという女性たち。そんな人々にうちは支えられている」って感じの会話の中でだった。
ちょうど、大学を卒業する頃、社長が朝日新聞かなんかの切り抜きを見せてくれた。大手素材メーカーが2000人くらいの男性に対し、ライフスタイルとファッションに関するアンケート調査を行ったものだった。感性別に細かく分類された男性ファッション、それが時代を経ていかに変遷し、どう変化していくのかということに非常に関心を持った。切り抜きはコピーさせてもらい、さらにデジタルに移行するとワープロソフトで書き写してデータ化し、保存していた。それが以下だ。
1.グラスホッパー(上っ調子)・・・ファッション、音楽、恋人に関心が高い。ブランド意識が強い。刹那的。話好き。愛読するのはファッション誌あるいはオーディオ誌。
2.ローファー(怠け者)・・・ファッションへの関心が少ない。消極的。ネクラ。衣服は実用的であればこだわらない。面倒くさがり屋。マンガとアイドル歌謡曲を好む。
3.フォロワー(追随者)・・・生活に余裕がないヤングアダルト。夫婦でおしゃれを楽しむにも、年間衣料費13万6000円ではどーしようもない。余暇はドライブ。
4.フォアランナー(先駆者)・・・おしゃれ、余暇などすべてに積極的なアダルト高感度派。衣料費はフォロワーの倍の約24万円。ロックやソウルを好み、余暇は友人とのパーティや映画、演劇鑑賞。
5.ゲームスター(ばくち打ち)・・・賭けごとや酒、カラオケが好きで刹那的、ファッション意識は高くないが、同年代の「ファミリスト」よりは高い。愛読するのはスポーツ紙。
6.ファミリスト(家族主義者)・・・若者についていけない堅実中年タイプ。年間衣料費は11万6000円で、職を持っている人の中では最低。色やデザインの決定権は妻にある。貯蓄、家族団欒に努める。
今から40年以上前のアンケートだから、現在ではニュアンスが変わったり、別の要素に置き換わっている。だが、男性のファッション分類としてはそれほど大きな変化はない点で、非常に興味深い。例えば、グラフホッパーは今で言う「Z世代」だろうか。刹那的とあるが、その時の生活が良ければいいというのは今の若者もそれほど変わらない。オーディオへの関心はほぼなくなったと思うが、代わるものとしてスマートフォンとアプリがある点は時代だろう。ローファーは当時用語がなかった「オタク」に置き換わった。「推し活」という言葉が生まれるほど、マンガやアイドルに対する志向は健在だ。
フォアランナーの解説は、まさに雑誌「レオン」の年間編集スケジュールと同じと言える。当時はちょうど雑誌「ブルータス」が創刊された直後だったと思う。ただ、筆者の周りにもこのような男性はそれほど見かけなかったので、雑誌自体が高感度なライフスタイルイメージを先行させ、消費を喚起させたかったのかもしれない。そう考えると、現在のレオン然り、雑誌が先兵を作り、広げていく手法はそれほど変わってはないような気がする。
フォロワーやファミリストは現在も変わらないままだ。ユニクロやザラなど、安くて手頃な店舗があるため、衣料品の買い物は当時よりも困らなくなった。ただ、夫婦のスタイリングがバラバラで調和されていない点は、変わっていない。ゲームスターについても健在と言える。彼らが着ていらっしゃるヤンキーテイストの商品を扱う専門店は、地方都市の商店街には今も堂々と残っている。値段もユニクロなどより遥かに高いので、経営が成り立っているのではないかと思う。
他に注目されるのは年間衣料費の額。40年以上前だからフォアランナーの約24万円は妥当としても、フォロワーの13万6000円、ファミリスト11万6000円はどうなのだろう。まあ、家族全員の衣料費とすれば、この程度なのだろうか。むしろ、デフレが続いた過去20年と比べると、当時の方が逆に高いような感じもする。一般の衣料品が国内生産で、現在より割高だったということもできるのだが。
男性に特化したマーケティングではないが、イノベーションの普及過程について、以下のような分類がなされている。そこでは新しい技術が産業として飛躍するために乗り越えるべき関門があるという。それが「アーリーアダプター」で全体の13.5%。イノベーションが普及する上で、いちばん新しい物を好む層を「イノベーター」(2.5%)とすると、その次に来るのがこれだ。米国の経営学者エベレット・ロジャース氏によれば、新技術が一気に広がる目安は、市場シェアの16%を超えたあたりという。
つまり、最初に新しい技術に飛びつくのはイノベーターとしても、次のアーリーアダプターの流れをいかに「アーリーマジョリティー」に繋ぐかが新技術が一気に市場に浸透するカギになるということ。そのアーリーマジョリティーが重視するのは、性能の良し悪しや価格だけでなく、先にある世界観や理念だとか。なるほどである。こうした理論はアパレルのブランド開発やマーケティングにも通じる。結局、ブランドビジネスにしても、服作りにしても、対象とする人々にいかに共感してもらい、その先に何を目指すのかが重要なのだ。
マーケティングやイノベーションについては、リスキリングする価値はあるのかもしれない。今年のマイテーマにしてもいいかと思う。
叔母はサロンブティックを経営していて、博多に支店を構える大手アパレルの展示会にちょくちょくやってきていた。その一つが「イトキン」で、自宅近くの奈良屋町に営業所があった。叔母は叔父とともにシーズン向けに企画されたサンプルを見ながら、担当者と喧々轟々のやり取りをすることが多かったようだ。終電の時間を過ぎても商談が続いた時は、うちの家に泊まりに来ていた。朝起きると、布団で叔母夫婦が寝ている姿を見て、子供心に「商売人って大変だな」と思った。
従兄弟は専門店系アパレルの営業マンで、コミュニケーションをとるのがとても上手かった。高校時代にはたまに連絡をくれて、「お茶を飲みに行こう」と喫茶店に連れて行ってくれた。そこでは「今、メーカーがどんな商品を企画し、どう売っていこうとしているか」、わかりやすく説明してくれた。学校の授業では学べなかったビジネスのノウハウを、多少でも身につけることができたのは、その後の仕事にずいぶん役立った。
母親はオートクチュール(高級注文服)の洋裁師だった。昭和40年代の半ば頃までは既製服はそれほど出回っておらず、お金持ちの中高年女性はブティックや百貨店で生地を選んで誂えるのが当たり前だった。母親は採寸から型紙作り、仮縫い、縫製までをこなし、お直しもしていた。その影響からか、若いOLさんが雑誌の切り抜きと生地を持って、「こんな服を作って欲しい」と、うちにやってきた。縫い代部分にチャコやしつけ糸で印が付けられた袖や身頃を見るのは日常茶飯事。おかげで、針と糸を難なく使えるようになり、裁縫が得意になった。
大学時代にはレディスのマンションアパレルでアルバイトを経験した。当時、伸びていた「キャリアゾーン」のメーカーで、企画する商品には大人っぽい雰囲気とエッジがきいたシャープな感覚があった。イタリア製の生地が使われるものは、こんなに出来栄えが違うのかと感じた。仕事は工場から上がってきた商品を型番別に棚やハンガーラックに収納すること。そして、取引先からの注文に応じて仕切書をもとに取り出し、パッキンに詰めて送り状を書いて出荷するものだった。
ビニール袋に入ったシャツやニット、プラスチックハンガーにかかったジャケットやスカートなどを見るたびに、「今シーズンはこんなアイテムが売れるのかな」と、その傾向を勉強することができた。取引先はこだわりが売りの全国のショップばかりで、仕入れにやってくるバイヤーさんは感性が鋭く、商品に対する目利きも良かった。完全買取や見計らい、担当者了承済みなど、いろんな取引条件も知った。
もっとも、自分自身は広告制作の方に興味をもち、大学の授業と並行して講座を受けたりダブルスクールで学んだりと、卒業後はそちらの業界に進もうと考えていた。それでも、クリエイティブ部門の新卒採用は大手広告代理店しかなかったため、勉強を続けながらアパレルで働く道を選択した。その後、広告会社に転職して制作に携わり6~7年くらいたった頃、偶然にも雑誌広告の仕事で出版社の営業担当者と話す機会があった。そこで業界の事情に詳しいと受け取られたのか、編集部を紹介された。
「アパレルのこと、よくご存知みたいですね。ルポを書きませんか」と、編集長はオファーをくれた。ルポなんて書いたことは無かったが、雑誌の仕事はやってみたいと思っていたので快諾した。初めて書いたのは、ストリートのショップルポだった。編集長には好評で、継続して仕事をいただくようになった。別の出版社、他の媒体からも声がかかり、以来30年近くにわたり取材からインタービュー、撮影、記事制作、広告企画までに携わった。
逆に知り合いから企画の相談を受けることもあった。アパレル業界に精通したおかげで、本業でもモデル撮影では衣装選定をスタイリスト任せにせず、主導権を握れた面は良かったと感じる。
男性のライフスタイルとファッションの関係
マンションアパレルの社長にもお世話になった。レディスウエアの構造や縫製については少しはわかっているつもりだった。だが、シーズンに売りたい商品を企画し、落とし込んだデザインからパターンを起こし、生地や副資材の手配からサンプルを仕上げるまでのフローは、初めて知った。また、「クリエーション」や「マーケティング」という用語も、社長がよく使っていたので理解できた。「ラグジュアリーじゃないが、自分のセンスに合ったもの、他人とは違った服を着たい層。好きな服ならお金をかけても良いという女性たち。そんな人々にうちは支えられている」って感じの会話の中でだった。
ちょうど、大学を卒業する頃、社長が朝日新聞かなんかの切り抜きを見せてくれた。大手素材メーカーが2000人くらいの男性に対し、ライフスタイルとファッションに関するアンケート調査を行ったものだった。感性別に細かく分類された男性ファッション、それが時代を経ていかに変遷し、どう変化していくのかということに非常に関心を持った。切り抜きはコピーさせてもらい、さらにデジタルに移行するとワープロソフトで書き写してデータ化し、保存していた。それが以下だ。
1.グラスホッパー(上っ調子)・・・ファッション、音楽、恋人に関心が高い。ブランド意識が強い。刹那的。話好き。愛読するのはファッション誌あるいはオーディオ誌。
2.ローファー(怠け者)・・・ファッションへの関心が少ない。消極的。ネクラ。衣服は実用的であればこだわらない。面倒くさがり屋。マンガとアイドル歌謡曲を好む。
3.フォロワー(追随者)・・・生活に余裕がないヤングアダルト。夫婦でおしゃれを楽しむにも、年間衣料費13万6000円ではどーしようもない。余暇はドライブ。
4.フォアランナー(先駆者)・・・おしゃれ、余暇などすべてに積極的なアダルト高感度派。衣料費はフォロワーの倍の約24万円。ロックやソウルを好み、余暇は友人とのパーティや映画、演劇鑑賞。
5.ゲームスター(ばくち打ち)・・・賭けごとや酒、カラオケが好きで刹那的、ファッション意識は高くないが、同年代の「ファミリスト」よりは高い。愛読するのはスポーツ紙。
6.ファミリスト(家族主義者)・・・若者についていけない堅実中年タイプ。年間衣料費は11万6000円で、職を持っている人の中では最低。色やデザインの決定権は妻にある。貯蓄、家族団欒に努める。
今から40年以上前のアンケートだから、現在ではニュアンスが変わったり、別の要素に置き換わっている。だが、男性のファッション分類としてはそれほど大きな変化はない点で、非常に興味深い。例えば、グラフホッパーは今で言う「Z世代」だろうか。刹那的とあるが、その時の生活が良ければいいというのは今の若者もそれほど変わらない。オーディオへの関心はほぼなくなったと思うが、代わるものとしてスマートフォンとアプリがある点は時代だろう。ローファーは当時用語がなかった「オタク」に置き換わった。「推し活」という言葉が生まれるほど、マンガやアイドルに対する志向は健在だ。
フォアランナーの解説は、まさに雑誌「レオン」の年間編集スケジュールと同じと言える。当時はちょうど雑誌「ブルータス」が創刊された直後だったと思う。ただ、筆者の周りにもこのような男性はそれほど見かけなかったので、雑誌自体が高感度なライフスタイルイメージを先行させ、消費を喚起させたかったのかもしれない。そう考えると、現在のレオン然り、雑誌が先兵を作り、広げていく手法はそれほど変わってはないような気がする。
フォロワーやファミリストは現在も変わらないままだ。ユニクロやザラなど、安くて手頃な店舗があるため、衣料品の買い物は当時よりも困らなくなった。ただ、夫婦のスタイリングがバラバラで調和されていない点は、変わっていない。ゲームスターについても健在と言える。彼らが着ていらっしゃるヤンキーテイストの商品を扱う専門店は、地方都市の商店街には今も堂々と残っている。値段もユニクロなどより遥かに高いので、経営が成り立っているのではないかと思う。
他に注目されるのは年間衣料費の額。40年以上前だからフォアランナーの約24万円は妥当としても、フォロワーの13万6000円、ファミリスト11万6000円はどうなのだろう。まあ、家族全員の衣料費とすれば、この程度なのだろうか。むしろ、デフレが続いた過去20年と比べると、当時の方が逆に高いような感じもする。一般の衣料品が国内生産で、現在より割高だったということもできるのだが。
男性に特化したマーケティングではないが、イノベーションの普及過程について、以下のような分類がなされている。そこでは新しい技術が産業として飛躍するために乗り越えるべき関門があるという。それが「アーリーアダプター」で全体の13.5%。イノベーションが普及する上で、いちばん新しい物を好む層を「イノベーター」(2.5%)とすると、その次に来るのがこれだ。米国の経営学者エベレット・ロジャース氏によれば、新技術が一気に広がる目安は、市場シェアの16%を超えたあたりという。
つまり、最初に新しい技術に飛びつくのはイノベーターとしても、次のアーリーアダプターの流れをいかに「アーリーマジョリティー」に繋ぐかが新技術が一気に市場に浸透するカギになるということ。そのアーリーマジョリティーが重視するのは、性能の良し悪しや価格だけでなく、先にある世界観や理念だとか。なるほどである。こうした理論はアパレルのブランド開発やマーケティングにも通じる。結局、ブランドビジネスにしても、服作りにしても、対象とする人々にいかに共感してもらい、その先に何を目指すのかが重要なのだ。
マーケティングやイノベーションについては、リスキリングする価値はあるのかもしれない。今年のマイテーマにしてもいいかと思う。