先日、流通業界を揺るがすニュースが駆け巡った。セブン&アイHD鈴木敏文会長の突然の辞任である。メディアの論調は概ね、快進撃が続く子会社トップの退任論に造反者が出て、威信を傷つけられた会長が自ら身を引く事態に追い込まれたというものだ。また、後継の人事を巡っての創業家との対立やもの言う株主、ヘッジファンドの影もちらついたと、報道するところもあった。
ただ、鈴木会長はセブイレブンという日本一の小売業を育てた人物である。それに対し、第三者が評論家的に「晩節を汚した」「老害以外の何でもない」と言うのは簡単だ。ただ、辞任は経営者たるものが引き際を迎えるにあたり、何を成しておくべきか、どこまで責任を持つべきかという課題も露呈した。
「人を残すは上なり」との名言があるが、セブン&アイでは後任がコンビニの好調を維持できる確証はないし、不採算のスーパーについて好転させた経営者も出ていない。持ち株会社によるコントロールが一般的になり、サラリーマン経営者としては従業員、お客、取引先、株主といったステークホールダーの利害も絡むことから、舵取りは容易ではなくなっている。
こうした経営のゴタゴタは、何もセブンイレブンに限ったことではなく、昨今のファッション業界でも当たり前のことである。先日、繊研新聞にこんな記事が載った。あるレディスブランドは、アパレルメーカーの子会社が運営していた。親会社とは異なる独自の生産背景を活用し、トレンドを程よく取り入れた「上質な商品」を販売、主に30代の女性に支持され、売上げも順調だったという。
店舗数は10店に達し、新規出店も決定していた。ところが、経営再建中の「親会社」が不採算ブランドと店舗整理に乗り出したため、このブランドの廃止が決まったのである。売上げは順調だったが、出店コストや販促費が嵩み、赤字だったことが理由だ。
企業が経営不振に陥ると、経営者が交替する。そして、新しい経営者は定石通りに不採算事業から撤退し、収益が望める事業に経営資源を集中させる。ファッション業界の場合、経営の立て直しに派遣されるのは、大企業ほど業界出身者ではないケースが増えて来ている。少しでも柵や温情、甘さが出ると、再建が進まないからだろう。
しかし、やっていることは、教科書通りでしかない。目先の数字しか見ず、売れている商品でも最終赤字ならバッサリ切り捨てる。ドライに徹しないと、企業の経営は立て直せないからである。
経営者として、親会社のルートに乗らない商品、マスマーケットで売れないデザイン、 高い収益が望めないブランドは、再建シナリオの俎上には乗せない判断からだろう。しかし、それに変わるブランドを構築し、売上げを伸ばしている経営者がいるかと言えば、まずいない。
規模は小さくても、お客の心をつかんで販路とマーケットを開拓。出店先の評価を得ているのなら、経営者の一存で何とか残せないのかと、いつも思う。 今のファッション業界を見ると、似たような商品、安さだけの追求、能書きのみのブランディング等々。服好きにはどうでも良い商品ばかりだ。ならば、希少なブランドをもっと大きくしたり、違うマーケットを開拓したりすることも、再建の範疇に加えてもいいのではないか。
ファッション企業の再建には、銀行やファンド、再生屋などから、実績をもつ経営者が送り込まれる。それに異論を唱えるつもりはない。ただ、多くはブランドや店舗のリストラばかりで、リプロダクトやリエンジニアリング、インキュベーションには踏み込まず、目立った経営改革が見えて来ない。
この中に、「私がこのブランドをもっと大きく育てて見せる」と言える責任感と気概をもつ人がどれほどいるのだろうか。「いくらいい物を作ったところで、売れなければ意味がない」「売れたものがいい物なのだ」と、躊躇や保身ばかりが多過ぎやしないか。「責任は俺が取るから、どんどん新しい企画を出してほしい」と、部下のモチベーションをあげるような人はほとんどいない。
ファッション企業の経営者に就任するなら、バランスシートを見るだけでなく、商品を見極めて可能性を見つけ出すことも必要ではないか。商品のどこに問題があるのか。企画やデザインか、素材か、縫製か、販売方法か。率先して現場目線まで下り、原点に切り込むべきではないか。それをやるか、やらないかは、服が好きか、否かで変わってくるのではないかと、筆者は思う。
セブン&アイの内紛劇に話を戻すと、今年の年明け早々、イトーヨーカ堂の戸井社長が辞任したことが端緒になっている。鈴木会長は自身の大学の後輩である戸井氏に期待したが、結果を出せなかったことで、亀井元社長を復帰させた。スーパーの改革方針をいちばんわかっているからというのが理由のようだ。
会長が方針を出し、実務は社長がやるのだから、それをわかった人間が経営に当たるのが一番なのだと。
社内に人材が居ようがいまいが、人材を育てられようが育てられまいが、外部からスカウトされて来ようが、すべては結果次第。ならば、スーパーの商品をどこまで突き詰められるか。売上げ回復はお客が買うようになることが前提だから、そんな商品をどこまで提供できるかにかかっている。
それができるのは、コンサルタントでもなければ、評論家でもない。この商品なら、お客さんは絶対買ってくれると、自信を持って言える経営者なのだ。ファッション業界はなおさらそうだろう。
かつてファッション業界には、いろんな経営者がいた。成功したトップはバラエティに富んでいた。例えば、ある経営者は事業部の部長やマネージャーに対し、現場を任せ各自の能力を発揮させた。そして彼らの動きを掌握していた。組織内で信頼関係を構築し、権限を委譲して評価を公平かつ厳しくしたのである。
ワールドやイトキンの例を出すまでもなく、大企業は組織が硬直化するため、新しいマーケットに対応できなくなる。当然、経営者は新ブランドや業態開発が必要なことはわかっているが、社内の古い体質や規定が足かせとなって中々挑戦できない。
しかし、アウトロー的でバイタリティをもつ人が子会社の経営に当たると、本社にいるときとは違ってのびのびと仕事をするようになる。本社の保守的な考え方を批判する形で、ハングリーに何でもチャレンジする意欲を絶やさない。新しい体制を作り出し、プロジェクトを成功へと導いていくのである。
経営者には野望を抱く人が多い。儲けたい。サクセスしたい。それに到達すると、もっとビッグビジネスをしたい、もっとカネ儲けがしたい人と、土地や建物に投資して自分の資産を守ろうとする人とに分かれていく。
前者は企業は社会の公器だからと、社員教育や福祉にお金を使う。つまり、組織や会社の仕組み、合理化などに投資を惜しまないのだ。それが最終的に企業の利益を生むことにつながるケースもある。
ファッションビジネスでは、ブランドごとに企画や販売手法、マーチャンダイジングが違ってくる。経営者はブランドをくまなく見ることはできないから、それぞれの部門担当に任さざるを得ない。
しかし、担当者は自分に責任があるとなると、どうしても冒険ができず、無難な路線を歩んでいく。サラリーマンだからしょうがないと言ってしまえばそこまでだが、だからこそトップの責任で思いきったことをやらせることが必要になるのだ。「俺は服が好きだから、お前たちが好きなようにやれ。責任は俺がとる」と。 企業内起業家を育成する経営者とでもいうべきだろうか。
ファッション業界はほとんど中小零細の企業が占めている。昔なら、中学を卒業して繊維問屋の丁稚奉公から結果を出してのし上がっていった人、営業からスタートし、どうしたら取引先が喜んでくれるかと自ら店頭で売って認められた人など、様々な立志伝の経営者がいた。
独立して小さい会社を設立し、自分の営業力で5億円、10億円までは簡単に伸ばせる。だが、その先が中々続かない。システムやオペレーション、部下の教育などが追いついていないからだ。そこで、少しずつ仕組みを整えて会社をつくり、それぞれにリーダーを添えて軌道に乗せていく。俳優や監督の力量を見抜いて起用するプロデューサーのような人。それは企業が大きくないからこそできるのである。
決して大きなパイは追わず、会社は小さくなければならない。一つの大ヒットブランドより、いくつかの小ヒットアイテムをもつ。いろんな業種を手掛けるが、安い原価に高い売値がつけられる業種に限定する。そしてお互いのリーダーを切磋琢磨させて競い合わせる。全盛期のビギグループを率いた大楠祐二社長がそうだったような気がする。
他にも、山本耀司氏のようなクリエーター型。もてる創造力とカリスマ性で、部下を惹き付け、組織を引っ張っていくタイプだ。そのビジネスがいつまでも通用するかどうかは周知の通りだから、ここでは省略する。
ファッションビジネス黎明期に多かった体力、知力に優れたエリートリーダー型。リスクを恐れず、新しいことにもどんどんチャレンジする。バイタリティがあって、成長力もある。しかし、孤独だ。時にはリスクを追うことも厭わず、鋭い洞察力や自信過剰なことから失敗もするが、大きな成功を手にすることもある。
ただ、いつまでもトップ自ら行動するため、組織が構築できず部下も育って行かない。だから、孤高のリーダーとして数人のスタッフを引き連れ、ビジネスチャンスを求めて事業を展開する。ブローカーであったり、商社であったり。外食や雑貨の企画プロデュースであったり。会社を大きくするまでの下敷きを作るのがうまい経営者である。
ざっと見ても、いろんなタイプの経営者がファッション業界を動かして来た。ちなみにセブン&アイの鈴木会長は、企業内起業家もしくはエリートリーダー型か。少なくともすべてに一旦は共通することは、いい商品を作っていい仕事をして、お客さんに喜んでもらおうということだろう。時代がそうだったから、それができたと言ってしまえばそこまでだが。
しかし、どうせ売れないから、作っても仕方ない。ではなく、今こそ、いい物を作って売っていこうという経営者が必要ではないか。「俺は服が大好きだから首をかけて、経営に当たる」と言わしめる魅力ある経営者。そんな人たちが表にどんどん出てくれば、業界で働こうという若者も増えてくるのかもしれない。業界は再びそんな経営者の登場を待っている。
ただ、鈴木会長はセブイレブンという日本一の小売業を育てた人物である。それに対し、第三者が評論家的に「晩節を汚した」「老害以外の何でもない」と言うのは簡単だ。ただ、辞任は経営者たるものが引き際を迎えるにあたり、何を成しておくべきか、どこまで責任を持つべきかという課題も露呈した。
「人を残すは上なり」との名言があるが、セブン&アイでは後任がコンビニの好調を維持できる確証はないし、不採算のスーパーについて好転させた経営者も出ていない。持ち株会社によるコントロールが一般的になり、サラリーマン経営者としては従業員、お客、取引先、株主といったステークホールダーの利害も絡むことから、舵取りは容易ではなくなっている。
こうした経営のゴタゴタは、何もセブンイレブンに限ったことではなく、昨今のファッション業界でも当たり前のことである。先日、繊研新聞にこんな記事が載った。あるレディスブランドは、アパレルメーカーの子会社が運営していた。親会社とは異なる独自の生産背景を活用し、トレンドを程よく取り入れた「上質な商品」を販売、主に30代の女性に支持され、売上げも順調だったという。
店舗数は10店に達し、新規出店も決定していた。ところが、経営再建中の「親会社」が不採算ブランドと店舗整理に乗り出したため、このブランドの廃止が決まったのである。売上げは順調だったが、出店コストや販促費が嵩み、赤字だったことが理由だ。
企業が経営不振に陥ると、経営者が交替する。そして、新しい経営者は定石通りに不採算事業から撤退し、収益が望める事業に経営資源を集中させる。ファッション業界の場合、経営の立て直しに派遣されるのは、大企業ほど業界出身者ではないケースが増えて来ている。少しでも柵や温情、甘さが出ると、再建が進まないからだろう。
しかし、やっていることは、教科書通りでしかない。目先の数字しか見ず、売れている商品でも最終赤字ならバッサリ切り捨てる。ドライに徹しないと、企業の経営は立て直せないからである。
経営者として、親会社のルートに乗らない商品、マスマーケットで売れないデザイン、 高い収益が望めないブランドは、再建シナリオの俎上には乗せない判断からだろう。しかし、それに変わるブランドを構築し、売上げを伸ばしている経営者がいるかと言えば、まずいない。
規模は小さくても、お客の心をつかんで販路とマーケットを開拓。出店先の評価を得ているのなら、経営者の一存で何とか残せないのかと、いつも思う。 今のファッション業界を見ると、似たような商品、安さだけの追求、能書きのみのブランディング等々。服好きにはどうでも良い商品ばかりだ。ならば、希少なブランドをもっと大きくしたり、違うマーケットを開拓したりすることも、再建の範疇に加えてもいいのではないか。
ファッション企業の再建には、銀行やファンド、再生屋などから、実績をもつ経営者が送り込まれる。それに異論を唱えるつもりはない。ただ、多くはブランドや店舗のリストラばかりで、リプロダクトやリエンジニアリング、インキュベーションには踏み込まず、目立った経営改革が見えて来ない。
この中に、「私がこのブランドをもっと大きく育てて見せる」と言える責任感と気概をもつ人がどれほどいるのだろうか。「いくらいい物を作ったところで、売れなければ意味がない」「売れたものがいい物なのだ」と、躊躇や保身ばかりが多過ぎやしないか。「責任は俺が取るから、どんどん新しい企画を出してほしい」と、部下のモチベーションをあげるような人はほとんどいない。
ファッション企業の経営者に就任するなら、バランスシートを見るだけでなく、商品を見極めて可能性を見つけ出すことも必要ではないか。商品のどこに問題があるのか。企画やデザインか、素材か、縫製か、販売方法か。率先して現場目線まで下り、原点に切り込むべきではないか。それをやるか、やらないかは、服が好きか、否かで変わってくるのではないかと、筆者は思う。
セブン&アイの内紛劇に話を戻すと、今年の年明け早々、イトーヨーカ堂の戸井社長が辞任したことが端緒になっている。鈴木会長は自身の大学の後輩である戸井氏に期待したが、結果を出せなかったことで、亀井元社長を復帰させた。スーパーの改革方針をいちばんわかっているからというのが理由のようだ。
会長が方針を出し、実務は社長がやるのだから、それをわかった人間が経営に当たるのが一番なのだと。
社内に人材が居ようがいまいが、人材を育てられようが育てられまいが、外部からスカウトされて来ようが、すべては結果次第。ならば、スーパーの商品をどこまで突き詰められるか。売上げ回復はお客が買うようになることが前提だから、そんな商品をどこまで提供できるかにかかっている。
それができるのは、コンサルタントでもなければ、評論家でもない。この商品なら、お客さんは絶対買ってくれると、自信を持って言える経営者なのだ。ファッション業界はなおさらそうだろう。
かつてファッション業界には、いろんな経営者がいた。成功したトップはバラエティに富んでいた。例えば、ある経営者は事業部の部長やマネージャーに対し、現場を任せ各自の能力を発揮させた。そして彼らの動きを掌握していた。組織内で信頼関係を構築し、権限を委譲して評価を公平かつ厳しくしたのである。
ワールドやイトキンの例を出すまでもなく、大企業は組織が硬直化するため、新しいマーケットに対応できなくなる。当然、経営者は新ブランドや業態開発が必要なことはわかっているが、社内の古い体質や規定が足かせとなって中々挑戦できない。
しかし、アウトロー的でバイタリティをもつ人が子会社の経営に当たると、本社にいるときとは違ってのびのびと仕事をするようになる。本社の保守的な考え方を批判する形で、ハングリーに何でもチャレンジする意欲を絶やさない。新しい体制を作り出し、プロジェクトを成功へと導いていくのである。
経営者には野望を抱く人が多い。儲けたい。サクセスしたい。それに到達すると、もっとビッグビジネスをしたい、もっとカネ儲けがしたい人と、土地や建物に投資して自分の資産を守ろうとする人とに分かれていく。
前者は企業は社会の公器だからと、社員教育や福祉にお金を使う。つまり、組織や会社の仕組み、合理化などに投資を惜しまないのだ。それが最終的に企業の利益を生むことにつながるケースもある。
ファッションビジネスでは、ブランドごとに企画や販売手法、マーチャンダイジングが違ってくる。経営者はブランドをくまなく見ることはできないから、それぞれの部門担当に任さざるを得ない。
しかし、担当者は自分に責任があるとなると、どうしても冒険ができず、無難な路線を歩んでいく。サラリーマンだからしょうがないと言ってしまえばそこまでだが、だからこそトップの責任で思いきったことをやらせることが必要になるのだ。「俺は服が好きだから、お前たちが好きなようにやれ。責任は俺がとる」と。 企業内起業家を育成する経営者とでもいうべきだろうか。
ファッション業界はほとんど中小零細の企業が占めている。昔なら、中学を卒業して繊維問屋の丁稚奉公から結果を出してのし上がっていった人、営業からスタートし、どうしたら取引先が喜んでくれるかと自ら店頭で売って認められた人など、様々な立志伝の経営者がいた。
独立して小さい会社を設立し、自分の営業力で5億円、10億円までは簡単に伸ばせる。だが、その先が中々続かない。システムやオペレーション、部下の教育などが追いついていないからだ。そこで、少しずつ仕組みを整えて会社をつくり、それぞれにリーダーを添えて軌道に乗せていく。俳優や監督の力量を見抜いて起用するプロデューサーのような人。それは企業が大きくないからこそできるのである。
決して大きなパイは追わず、会社は小さくなければならない。一つの大ヒットブランドより、いくつかの小ヒットアイテムをもつ。いろんな業種を手掛けるが、安い原価に高い売値がつけられる業種に限定する。そしてお互いのリーダーを切磋琢磨させて競い合わせる。全盛期のビギグループを率いた大楠祐二社長がそうだったような気がする。
他にも、山本耀司氏のようなクリエーター型。もてる創造力とカリスマ性で、部下を惹き付け、組織を引っ張っていくタイプだ。そのビジネスがいつまでも通用するかどうかは周知の通りだから、ここでは省略する。
ファッションビジネス黎明期に多かった体力、知力に優れたエリートリーダー型。リスクを恐れず、新しいことにもどんどんチャレンジする。バイタリティがあって、成長力もある。しかし、孤独だ。時にはリスクを追うことも厭わず、鋭い洞察力や自信過剰なことから失敗もするが、大きな成功を手にすることもある。
ただ、いつまでもトップ自ら行動するため、組織が構築できず部下も育って行かない。だから、孤高のリーダーとして数人のスタッフを引き連れ、ビジネスチャンスを求めて事業を展開する。ブローカーであったり、商社であったり。外食や雑貨の企画プロデュースであったり。会社を大きくするまでの下敷きを作るのがうまい経営者である。
ざっと見ても、いろんなタイプの経営者がファッション業界を動かして来た。ちなみにセブン&アイの鈴木会長は、企業内起業家もしくはエリートリーダー型か。少なくともすべてに一旦は共通することは、いい商品を作っていい仕事をして、お客さんに喜んでもらおうということだろう。時代がそうだったから、それができたと言ってしまえばそこまでだが。
しかし、どうせ売れないから、作っても仕方ない。ではなく、今こそ、いい物を作って売っていこうという経営者が必要ではないか。「俺は服が大好きだから首をかけて、経営に当たる」と言わしめる魅力ある経営者。そんな人たちが表にどんどん出てくれば、業界で働こうという若者も増えてくるのかもしれない。業界は再びそんな経営者の登場を待っている。