スポーツ界で問題になっている体罰指導。旧軍隊の悪弊を引きずっている、確かにその通りである。体罰がない、フランス柔道界がメダルを大量に獲得している現状と体罰必要との意見との整合性がとれない。勿論生活指導とスポーツとは一線を引かねばならない。
これは、戦略的に劣る日本がその戦略要件のカバーを一般の将兵に強要したことがその原因のようだ。物資が無い、食料が無い、弾薬が無い、薬品が無い、水が無い、衣服が無い、総てが無い、そして何より司令官と参謀の頭が無い(試験だけで実績がない、現状認識が出来ない)。明らかに戦略的不手際の証明だ。本来なら戦略を担当する司令官と参謀が責任を採らねばならない。しかし責任者は将兵に負担を強いる。それが、「上官、私に合う靴がありません」「バカ者、お前の足を靴に合わせるのだ」と言う笑い話が現実に、そして今もスポーツ界ではまかり通っていた。楽して勝った将軍より、部下に苦労させた将軍の方が評価される。人類が愚かな証明である。将軍が苦労して戦略要件を整え勝つべくして勝った将軍は一般人には尚のこと評価されない。無能で将兵に苦労させた将軍の方が評価される。戦略とは一般人には理解し難いものだ。
では、旧軍隊はそれ程体罰が酷かったのか?ご存命の方の話ではそうだ。上司に意見を言う部下が「アカ」と非難されることと同じだ。結局、定義も何もなかった、上官の気分しだいだったそうだ。文献を調べると必ずしも旧日本軍が総てそうだった訳でもない。
太平洋戦争以前の日本軍は極めて民主的?家族的な軍隊であった記述を多々見る。しかし、太平洋戦の途中から現在のスポーツ界で横行している理不尽さが目立ってくる。自分の無能さに気付きもしないで、部下相手に不満を発散させていた。相手は反撃できない、最も卑怯なことだ。この「卑怯なこと」を軍人が「卑怯」と感じなくなった。そして負けた。
負けた軍隊のマネをなぜ続けるのか?本人に力がないからである。第二次世界大戦中ヨーロッパ戦線でパットン将軍が一将兵を殴った、このことが問題になり、パットン将軍は謹慎処分を受ける。日本軍でも部下への暴行は禁止されていた。が、法律(ルール)が蔑ろにされていた。現在のスポーツ界もルールを蔑ろにしている。スポーツマンなのに、武道家なのに。先ほど笑い話と同レベルだ。