我家の水田3,300坪…北斗市・本社
我家には、父母の遺した田畑があります。
もともと、小さな百姓の倅(せがれ)として生まれ、農作業を手伝いながら育ちました。
画像は、北側から撮った我家の水田で少しだけ買い足しました。
上磯中学校の校舎の右側に福地建装の本社屋が見えます。
その合間には、函館山が小さく写っていました。
この函館山とは函館湾を挟んでいるのですが、ここから見ると陸続きに見えます。
本来は農業で生計をたてるはずだったのです。
しかし所有する農地は、一町一反(3,300坪)では、生活が成立しません。
そのため、鉄骨トビ職で補いながら生活をしてきました。
その鉄骨トビ職から建設業となり、住宅システム開発企業の経営者に。
しかしながら元々の農業を継続することが前提であり、この水田と1㎞西側ある畑2.2反(660㎡)の維持管理をしながら現業を継続しています。
農業経営、住宅システム開発企業など、与えられた事を粛々と続けることは、わが宿命です。
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道南家づくり
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もともと、小さな百姓の倅(せがれ)として生まれ、農作業を手伝いながら育ちました。
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その合間には、函館山が小さく写っていました。
この函館山とは函館湾を挟んでいるのですが、ここから見ると陸続きに見えます。
本来は農業で生計をたてるはずだったのです。
しかし所有する農地は、一町一反(3,300坪)では、生活が成立しません。
そのため、鉄骨トビ職で補いながら生活をしてきました。
その鉄骨トビ職から建設業となり、住宅システム開発企業の経営者に。
しかしながら元々の農業を継続することが前提であり、この水田と1㎞西側ある畑2.2反(660㎡)の維持管理をしながら現業を継続しています。
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