上越・町家暮らし

主に新潟県・上越市の自然、文化、風土、そして町家暮らしについて書いていきます

あき故郷に帰る・塩原高尾太夫展(那須塩原市)

2023-12-17 18:54:30 | 展覧会

塩原ものがたり館

江戸初期、名妓として名を馳せた塩原高尾太夫(1641〜1660)。わずか19年の生涯。

万治太夫、あるいは仙台太夫とも呼ばれる。万治時代の太夫だったということや、身請されたのが仙台藩主、伊達綱宗だからともいわれる。その塩原高尾太夫の展示会が塩原温泉で開催されている。12月5日〜2024年1月31日まで。

館内に入ると、塩原温泉に縁のある錚々たる文人たちの紹介のパネルがあった。

幼名あきを表して、「あき、故郷に帰る」というテーマである。塩原高尾太夫の生誕地は塩原温泉奥、塩原温泉を流れる箒川の支流、赤川奥にある。かっては私が渓流釣りで足繁く通った川であり、この付近に存在した古道を調査した山域でもあった。


赤川奥にある元湯の古地図。江戸時代元湯千軒と称されるほど繁栄した温泉地であったらしいが、大規模な山津波で集落は壊滅してしまったらしい。以前私も、ここを巡る古道や集落跡を探索したが、古道は見つかったものの、集落に関する痕跡は何一つ見つけられなかった。


塩原元湯温泉の歴史

塩原温泉が開湯して1200年が過ぎました。
元湯温泉は、塩原温泉発祥の地となっております。元湯千軒と呼ばれるほど、この地は栄えておりました。
寛永 中(1624~)には、家が大小ともに85件うち、32件の宿が並び宿の並ぶ通路には8つの湯。
湯治客は、米や味噌を持ち寄り宿に泊りながら温泉に浸かり、体を治していました。

周りには、寺や御堂があり最近の歴史の研究で元湯は、信仰の場所として栄えていたのではないだろうかと考えられるようになりました。
「体が良くなりますように…、病気が治りますように…」と拝みながら温泉へ入っていたのでしょう。

そんな元湯の万冶2年(1659年)の山津波により崩壊。
家主は、それぞれに移住し温泉神社も移されました。そして現在、元湯には3軒の旅館のみ存在しております。

当館には、今となっては貴重な当時の「手洗い石」が残されております。
ご覧になりたい方は、お気軽にお声かけ下さいませ。

元湯温泉古絵図
  • 元湯、大出館 ホームページより

塩原高尾太夫を題材にした小説「いろは紅葉」著者 泉漾太郎(1908〜1996)

泉漾太郎氏は塩原温泉の和泉屋という温泉旅館の10代目。詩人で作家であった。私はこの本を泉さんの息子さんから25年ほどまえに直接購入させていただいた。泉氏は高尾太夫は永遠の私の恋人だと言って憚らなかった方のようで、この本を書き上げたのだという。(平成3年発行)

ものがたり館を後して塩原高尾太夫と縁があり墓はあるという近くの妙雲寺に。

妙雲寺にあるという墓は記念碑のようで、高尾太夫の墓は三箇所ほどあるらしいが、東京にある春慶院の墓であるとするのが現在の見解のようであるが、西方寺という節もあるようである。

妙雲寺の敷地内には多くの石仏が、道祖神らしき物も。供養塔かも。スノーマンのような石仏も。

6地蔵も雪に煙る。新潟はおそらく雪だろう。

箒川も雪の中。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿