新年度を迎えるからか、自転車屋には新車が並ぶ。直江津
いつも気になるスナック看板。直江津
アストピアビル一階で雛人形が飾られていた。高田
3月に入り高田では入り、高田では種々のイベントが行われているというので出かけてみた。
今は生産はされていない、打刃物屋・つんぼ号の看板。高田
割烹浮世の前のトタン壁の家。いやでも目に付く建物である。一階の改装が行われていた。高田
冬装備の人魚像。高田
吉田バテンレース店にて ←クリック
新年度を迎えるからか、自転車屋には新車が並ぶ。直江津
いつも気になるスナック看板。直江津
アストピアビル一階で雛人形が飾られていた。高田
3月に入り高田では入り、高田では種々のイベントが行われているというので出かけてみた。
今は生産はされていない、打刃物屋・つんぼ号の看板。高田
割烹浮世の前のトタン壁の家。いやでも目に付く建物である。一階の改装が行われていた。高田
冬装備の人魚像。高田
吉田バテンレース店にて ←クリック
毎年日当たりがよく、ふきのとうが一番先に出る場所。他の場所もあるのだが、砂浜故のリスクが。砂を含んでいて、完璧には砂を排除できないのです。
テトラにも春の使者が。海苔である。
波三題
あと10 日ほどで直江津海岸からの夕日が鳥首岬の鼻に落ちるだろうが、そのころは栃木の家である。
船見公園の人魚像。暗くなってきたので、人魚の持つ赤い蝋燭に陽を灯す。
滞っていたインスタも始めました ←クリック
西方浄土からきたような美しい波。私は#白獅子頭波と読んでいる。白い獅子群を成し、醜土と化した人間世界を清めようとやってくるのだろうか。
上越での13年間に私は3度しか撮影していないが、白獅子頭波は六根清浄とばかりに、やって来てくれるのだろうか。
「冬の海」
地獄の釜底のように
煮えたぎる海を
毎朝見る
近々この泡立つ彼方から
ボクにもたらされるという
波を待っている
冬の悲報は
春の朗報
足元掬う波際に立ち
ボクは氷の刃のように
鉛色の空の下にある
インスタ再開しました ←クリック
国道50号を走っていると広範囲に火煙が上がっていた。方向からすると赤麻沼(渡良瀬遊水池)のヨシ焼きだろう。この季節栃木、群馬、茨城、三県に跨るこの貯水池は、不審火での火災を防ぐ意味もあり、大規模なヨシ焼きを施行する。ニュースで知った方もおられるかも知れないが、2月にも不審火によるヨシ火災が2件あったようだ。
短い2月も過ぎ、3月になると急に春めいてきた。子供の頃からすると季節が早く感じるようになった。感じるようになったというより、季節が一月ほど前倒しになってきたのは事実なのだろうか。
水上、谷川岳ICから見る谷川連峰。天気が良くなり春らしくなり、谷川岳の双耳峰は見えない。例年に比べ積雪は少ない。
仏生寺は低山の裾にひっそりとあった。およそ400年後の1700年代、親鸞もここを詣出たのであろうか。
今回、真岡市にきて多くのことを学びました。75年も生きてきてあまりに知らないことが多すぎたようだ。親鸞上人(1173年〜1263年 89歳没)がこの地に及び、関東での布教活動をしていたことや、この仏生寺が日光開山の祖、勝道上人(735年〜817年 83歳没)←クリック 出生地出会ったことなどだ。勝道商人について歴史的な記述はないらしいが、空海に日光開山史に関する記述を依頼し、その書は残っているという。日光開山した当時、勝道は48歳、空海(774〜835 61歳没) ←クリックは8歳だった。
仏生寺薬師堂
仏生寺は小さなお寺である。空海の先輩にあたるのだが、空海とはだいぶ差があるようだ。
仏生寺の裏山には八十八箇所の碑があって散策できるらしいので、カミさんと一汗かきました。
浅間山205mの標高らしい
ピークからの眺め。