狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

昭和天皇の発言録発掘

2011-05-08 07:35:51 | 歴史

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5日の沖縄タイムスに軍服姿の昭和天皇の写真が掲載されてのを見て「おや?」と思った。

 沖縄2紙に昭和天皇の記事が出ることはめったにない.

出るときは決まって残虐非道な日本軍の頂点に立って沖縄人を虐殺し、挙句の果てに沖縄を米国に売り渡したた張本人のような印象の記事が多い。

琉球新報を例にとると、こんな風に。

従軍慰安婦問題など戦時中に起きた性暴力の責任を問い昭和天皇や当時の政府・旧日本軍責任者らを裁いた民間法廷「女性国際戦犯法廷」の開催から10周年を記念した国際シンポジウム「『法廷』は何を裁き、何が変わった」(女性国際戦犯法廷10周年実行委員会主催)が5日、東京都府中市の東京外国語大学で開かれた。元慰安婦らの被害体験を共有し、今後も政府に明確な謝罪と補償を訴え、二度と慰安婦制度が繰り返されないために行動することを確認した。>(米兵性犯罪の実態訴える 女性国際戦犯法廷から 琉球新報)    

5日の沖縄タイムスの記事は共同配信を丸写しなのでとりあえず共同記事をリンクする。

 復興「日本の驚くべき力」と称賛 昭和天皇に米大使称賛


 昭和天皇

 「極秘」と書かれた「外国人拝謁記」の表紙(右)と目録
 
 
 昭和天皇が戦前に外国要人と交わした会話を、通訳の外交官が詳細に記録していたことが分かった。関東大震災の約7年後、復興支援に天皇が感謝し、駐日米大使が「復興は日本固有の力と驚くべき想像力によるもの」と応じている。

 天皇が1930(昭和5)年のロンドン海軍軍縮条約締結を「此上もなく悦ばし」と評価する場面もあり、発見した奈良岡聰智京都大准教授(日本政治外交史)が近く論文を発表する。

 記録は、宮内省(当時)御用掛を兼務した外交官沢田廉三の「外国人拝謁記」。29年9月から30年7月まで各国の大使や高級軍人ら延べ31組と面会した際の会話が外務省の用紙約150枚にタイプ打ちされ、表紙に「極秘」と書かれている。

 30年4月18日、天皇は駐日米国大使のウィリアム・キャッスル夫妻と皇居・宮殿で会食。約7年前の関東大震災の復興について「米国の援助によるところ多く、比較的早く完成せられたるは悦ばしく存じ居れり」と謝意を述べた。大使は「米国は当初にいささか援助したのみ。その後は日本固有の力と日本人の驚くべき想像力によって完成された」と応えている。

 同月13日には、軍縮条約が締結されることを喜び、天皇が英大使に「益々日英米の協力により世界平和の増進せられんことを希望す」と語っている。同年3月にはデンマーク皇太子に人口増加による食料不足がないか質問。29年の世界恐慌以来の世界情勢を憂慮していたことが推察される。

 拝謁記は廉三の関係者が神奈川県大磯町で保管。奈良岡准教授が2007年に発見し、外務省外交史料館に複写があるのも確認した。10年に鳥取県公文書館が発行した廉三の資料集に表紙や一部の写真が掲載されている。

2011/05/04 16:25   【共同通信】

               ☆

記事は、関東大震災のとき、米国が支援したことに対し昭和天皇が感謝の念をあらわした文書が発見されたことに重点を置いている。 見出しも上記引用のようになっている。

だが同じ記事でも沖縄タイムスの見出しはニュアンスがちょっと違う。

軍縮条約締結「悦ばし」

昭和天皇の会話記録発見

昭和天皇が軍縮に対して喜んでおられることに重点を置いた見出しである。

沖縄2紙が流布させる昭和天皇のイメージは決してよいものではない。

第二次大戦中の三大独裁者としてヒトラー、ムソリーニに並んで昭和天皇を持ってくる人もいるくらいだ。

前述したように、沖縄人を虐殺した「残虐非道の日本軍」の頂点に立つ人物が昭和天皇であるという認識だ。

沖縄戦記で頻繁に登場する皇軍とは単なる日本軍を意味するのではなく、昭和天皇の軍隊であり「残虐非道な日本軍」のイメージである。

したがって沖縄で昭和天皇が「独裁者ではなかった」はともかく、「平和主義者であった」と言おうものなら、相当の反撃を食らうことは覚悟せねばならぬ。

言論界で生きようと思うものが昭和天皇は平和主義者だったと述べようものなら村八分を覚悟せねばならないだろう。

だが、昭和天皇が平和主義者であったことは戦後の昭和天皇の研究から明らかになってきた歴史的事実である。

山本七平著の『昭和天皇の研究』によると、昭和天皇は立憲君主たるご自分の立場を頑なに守ったため逆にそれが、足かせとなって統帥権の頂点に立ちながら軍の暴走を許す結果となった。

 

昭和天皇が頑なまでに憲法を尊重する立憲君主として振舞ったことを『昭和天皇の研究』はこう述べている。

<立憲君主・天皇
 世界史において、制限君主制の下で、この制限を破ろうとするのが君主で、破らせまいとするのが議会であるのが普通であった。すなわち「国王と議会との闘争」である。ところが日本では「憲法停止・御親政」、すなわち天皇独裁を主張する強力な勢力があるのに、君主自身が頑としてこれを拒否し、一心に「制限の枠」をその自己規定で守っている。これは世界史に類例がない不思議な現象……。>

つまり君主というものは自分の権力にはめられた多くの制限を可能な限り破って出来る限り専制権力を振るおうとするのが世界史に見る君主の数多くの例であるが、昭和天皇の場合は、憲法を超越して王政復古を唱える勢力を天皇自身が頑として拒否し、「専制の枠」を自己規定で守っている、というのである。

天皇が憲法を超越し、王政復古を唱えた2・26事件の顛末をみれば、昭和天皇が立憲君主としての法を超えることがなかったことが理解できる。

著者の山本七平氏は昭和維新を叫んだ青年将校たちは、当然昭和天皇が自分たちの決起を理解してくれると高をくくっていたことは、結局内心では昭和天皇を愚鈍だと無意識に馬鹿にしていたといった意味のことを書いている。

結局、エリートを自認する青年将校たちも昭和天皇の器を測り知ることが出来ず、「平和主義者」であることも想定外であったのだろう。

 

沖縄タイムスが共同記事をそのまま掲載することは特に珍しいことではないが、見出しを復興「日本の驚くべき力」と称賛 昭和天皇に米大使称賛と震災復興に対する米側の賛辞に重点を置かず、軍縮条約締結「悦ばし」として、昭和天皇の平和主義者的一面を協商したことは珍しいことである。

沖縄タイムスの整理部にも真面目に昭和天皇の研究をし、流布する「昭和天皇=残虐非道の日本軍の親玉」といったいい加減な歴史観から脱皮するきしゃが出てきたのか・・・と思った。

が、やはりいつものアリバイ作りの共同配信ということが本音のようである。

                 ★

 来る五月十六日は「パンドラの箱掲載拒否訴訟」の第一回口頭弁論が、那覇地裁で行われます。

上原さんの支援団体である三善会では、その報告会を同日正午より午後二時まで奥武山護国神社社務所大会議室にて行いますので、ご多忙の中とは存じますが、参加下さいます様にご案内申し上げます。 

参加費は、昼食の弁当代を含め千円となります。準備の都合上、参加頂ける皆様には、下記の事務局に一報下さいます様にお願い申し上げます。

「パンドラの箱掲載拒否訴訟」那覇地裁第1回口頭弁論報告会

 日時:5月16日(月)正午~午後2時まで

 会場:奥武山護国神社社務所大会議室(2F)

 会費:1000円(昼食弁当代込み)

 報告者:上原正稔・徳永信一弁護士

 参加頂ける方は、準備の関係上、下記の事務局まで一報下さい

 事務局:090-9780-7272 ニシコリまで

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お願いします。 
ゆうちょ銀行 総合口座(普通) 
記号 17010   番号 10347971
三善会(サンゼンカイ)
沖縄県宜野湾市真栄原1-11-1-702 

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