快気分析

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仕組みとアプローチ -  秀吉のアリバイ工作を明智光秀らは見抜けなかったのかもしれない

2018-08-04 18:16:36 | 明智光秀
 秀吉が毛利氏と和睦した件については、当時においてこれが密約だったと筆者が考えている事を当ブログで今年6月に何度か記事にしました。
 この和睦の際、備中高松城の城主、清水宗治の切腹が条件とされ実際に清水宗治は切腹したのですが、これも和睦が仮に公にされていたものならば何も清水宗治の切腹など必要ないはずなのです。
 一つの理由は城主一人の切腹と言え、和睦するなら毛利氏方の一部にでも恨みをかう事など秀吉には必要無い事が挙げられます。
 もう一つの理由は清水宗治の切腹を条件として交渉し、仮に交渉が長引いて時間がかかった場合、信長、信忠が討たれた事が毛利氏方に知れ渡るリスクが高くなり、秀吉に致命傷となりかねないからです。
 こんな大博打みたいなハイリスクの状況で和睦を進めるなどと言うのは、秀吉と毛利氏が既にグルで無い限りは有り得ない事ではないでしょうか。
 秀吉が毛利氏と和睦をしたと言うのはやはり当時「密約」だったはずであり、更にグル、つまり「共謀関係」だった、そしてそれを隠す為のアリバイ工作として清水宗治の切腹とその情報公開が有ったのだと考えています。
 秀吉が毛利氏と和睦を当時「密約」とし、清水宗治の切腹と言う「アリバイ工作」をすれば、仮に信長が生きていたとしても処罰、処刑は免れる事が確実になる事以外に他にも秀吉にはメリットが有ったと思われます。
 その一つは明智光秀を油断させる事。
 秀吉の目論見通り、明智光秀は秀吉がまだ毛利氏との戦いで手こずっているので畿内にはすぐに戻って来られないと勘違いして山崎の戦いに至る過程で対応が遅れました。
 もう一つは上記と同じ理由で織田家臣団のライバルである柴田勝家らを油断させて競り勝つのに有効となったようです。
 その後に有った山崎の戦い、清須会議、秀吉の政権掌握、毛利氏が五大老に入った事などがそれを証明しているかと思います。