前回記事の続きになります。
推進用ジェットエンジンが3基以上の航空機でバードストライクにより大事故になったものについて簡単に調べた範囲では次の通りです。
引用開始(一部抜粋)
1960年10月4日、イースタン航空375便墜落事故(英語版) - ローガン国際空港を離陸した直後だったイースタン航空375便(ロッキード L-188)がムクドリの群れと衝突し墜落した。乗員乗客72人中62人が死亡。
1975年11月12日、オーバーシーズ・ナショナル・エアウェイズ032便大破事故 - ジョン・F・ケネディ国際空港から離陸しようとしていたオーバーシーズ・ナショナル・エアウェイズ032便(マクドネル・ダグラス DC-10-30CF)がカモメの群れに衝突した。パイロットは離陸中止を試みたが、機体は滑走路を逸脱し炎上した。乗員乗客139人に死者は無かった。
(中略)
1995年9月22日、1995年アメリカ空軍E-3セントリー墜落事故(英語版) - エルメンドルフ空軍基地から離陸した直後のアメリカ空軍機(ボーイング E-3)がガチョウの群れと衝突し、左翼側のエンジン2基が停止した。そのため、機体は操縦不能となり墜落した。乗員24人全員が死亡した。
引用終了
1960年10月4日事故のロッキード L-188はプロペラが4基ですがジェットエンジンでないのとかなり昔の技術なので今とは比較できません。
1975年11月12日事故のクドネル・ダグラス DC-10-30CFはエンジン3基ですが、死者はおらずバードストライクでダメージを受けたのは右主翼のものだったようです。
引用開始(一部抜粋)
オーバーシーズ・ナショナル・エアウェイズ032便大破事故
(中略)
事故機
事故機のマクドネル・ダグラス DC-10-30CF (N1032F) は1973年6月29日に製造番号46826/109として製造され、同年に初飛行を行った。
(中略)
調査から、バードストライクが起こった後、第3エンジンの前方にあるファン・ブレードの損傷により外板が削られていたことが判明した。そのため外板の材料だったエポキシ樹脂が粉末となり、コンプレッサー部で爆発的燃焼を招き、エンジンが脱落した[15]。
引用終了
この事故は残りのエンジンが2基あるわけですから、今の技術の航空機ならもっと小さな事故だった可能性も有ります。
1995年9月22日事故のボーイング E-3は左右主翼に2基ずつ、合計4基のジェットエンジンが有り、そのうち左翼側のエンジン2基が停止したため、乗員全員死亡の事故となってしまったよですが、軍用と言う事で旅客機よりもかなりリスクを取るような厳しい運用の仕方だった可能性が有るのかどうか、また当時の技術は今程ではなく、片方の左右のエンジンのどちらかがダウンするとどうにかやりくりできるシステムでは無かった可能性も考えられます(と言うかこのような事故を経験に改良を重ねて今の航空機のシステムが出来上がったとも言えます。)
いずれにしても推進用エンジンが3基以上の(軍用機ではなく)旅客機が、バードストライクで死亡事故を起こした、と言う記録は上記データに関する限りでは皆無のようです。