快気分析

何か快適な気分になれるような記事にしたいです。

仕組みとアプローチ -  先日発生した瀬戸内海中部を震源とする地震を考える

2019-11-27 08:32:45 | 地震 津波
 先日は瀬戸内海中部を震源とする有感地震が複数回発生しました。

Mj  最大震度
2019年11月26日 15時14分ごろ 瀬戸内海中部 3.1   1

2019年11月26日 15時09分ごろ 瀬戸内海中部 4.5   4

2019年11月26日 7時58分ごろ  瀬戸内海中部 3.8   3

 Mj4.5程度の地震は国内では別に珍しくもないのですが、このエリアでMj4.5、他の有感地震も含めて1日の内に3回というのはかなり稀な事なのではないかと思えます。
 この震源ですが着目している点が2つ有り、一つは今月22日に発生した日向灘を震源とする有感地震Mj5.2から「時計回り」の位置である事、そしてもう一つは2016年4月に発生した熊本地震と2018年6月に発生した大阪府北部地震の震源域のほぼ中間地点に近い位置と言う事です。
 上記の過去の地震で「突っかえ棒が外れてこの瀬戸内海中部エリアに力がかかった」と考えられなくも有りませんが真相はどうなのでしょう。
 そして今回の地震で「仮に突っかえ棒が外れのだとしたら今後どのエリアに力がかかるのか?」という点については多々考えられ、隣接域なのか、2つの震源域に挟まれたエリアなのか、或いはジャンプするようにやや離れた延長上のエリアなのか、それともこれ以外のエリアなのか、など定かな事はわかりません。

仕組みとアプローチ -  今日から今月29日まで大潮 地震や火山性活動はどうなるのか

2019-11-26 12:40:12 | 地震 津波
 明日は大きくなく、そして次第に小さくなりつつあるのですが一応は新月です。
 そして今日から今月29日まではその前の大潮となっています。
 国内での地震でMj5以上のものだけを見ても、
                       Mj 最大震度
2019年11月23日 21時58分ごろ 北海道東方沖 5.6  3
2019年11月22日 18時05分ごろ 日向灘    5.2  3

 西からも東からも挟み込まれたような状況なのでその間にあたるエリアにはストレスがどの程度かかっているのか気になります。
 特にここ数日すっきりした晴天になっていないエリアは「雨天曇天一過の地震晴れ」となるタイミングが大潮かその前後あたりに重なると、どちらかと言えばという程度ですが目立つ地震にはなりやすいのかも知れません。
 ただこれも地震にもならないスロースリップなどでひずみが解消されていれば目立つ地震になるとは言いきれない上、そのスロースリップがどこでどの程度発生しているかも全容が把握できないので定かな事はわかりません。
 今月は国内で噴火や火山性活動の活発化が有り、そしてラオスで目立つ地震の発生、20日にはサハリン付近でMw6.2の地震が有ったので特にここ数日は注目しています。

仕組みとアプローチ -  築山殿と信康の抹殺命令は信長による土岐一族系分断工作と見る理由

2019-11-25 18:27:46 | 明智光秀
 前回までの記事で書ききれていなかった事が有るので今回はその部分を記事にしてみました。
 築山殿は言うまでもなく今川家の系統であり、そしてその今川家は今川義元が桶狭間の戦いで討たれた後も嫡男の今川氏真は戦闘に参加しておらず生存していたので家系としてはほぼ温存されていたのでした。
 なので戦国大名としての今川家は実質滅亡したのですが、一方で格式としての今川家は有る程度の位置をキープできています。
 そして今川家の家柄と繋がりの機能として一つは上記の通り、家康の正室とその嫡男である信康の存在が有ります。
 そしてもう一つは今川氏真の正室である早川殿が北条家の系統である事。
 当時の北条氏は上総土岐氏と連携していてその上総土岐氏が里見氏らに決して負けずに頑強に抵抗していたのでした。
 北条氏-今川家-徳川家 という繋がりで築山殿と信康の存在が有る限りは、家康が土岐一族と連携を露骨にとってしまった場合には強大な勢力となってしまうわけです。
 信長がそのリスクを考えなかったはずはなく、そしてまた光秀に先を越された重臣らもそれを煽り、更に反織田勢力で土岐一族でないグループもまた織田勢内部を分断する情報工作の手法の一環としてやはり「土岐一族のリスクを煽った」のではないでしょうか。

仕組みとアプローチ -  信長自身が遠い過去に情報工作で敵方の分断に成功している

2019-11-24 18:57:21 | 明智光秀
 情報工作で敵方を分断して弱体化させるという手法ですが、信長自身が既に遠い過去である1560年前後にこれを成功させています。
 「山口教継」或いは「山口教継 今川 信長」とかで検索すると多くのサイトが出て来ますが、これらでわかるのは「織田方から離れ、今川方に組した山口教継、教吉親子は今川方の所領に当然逃げ込んだわけですが、信長は山口教継、教吉親子を褒めたたえるような噂を流し、その結果として今川方はこの山口教継、教吉親子を織田方のスパイではないか?と疑い、切腹させた」という事実が有ります。
 これなどは信長が情報工作部隊を駆使した敵方の分断工作で成功した最たるものではないでしょうか。
 その信長が織田勢内部を分断させるような情報工作などのアタックを何故見抜けなかったのか?というは全体像を筆者は把握できていないのでわかりません。
 当時の毛利氏には座頭衆、世鬼一族、そして表面上は滅亡した武田氏には三ツ者、上杉氏のは軒猿という諜報機関が有り、情報収集だけでなく敵方を内部崩壊させる情報工作部隊も有ったわけでこれらが存在する事を信長も有る程度わかっていたはずなのにあのような結果となりました。
 表面上は滅亡した武田氏の三ツ者などは特に信長の足を引っ張る反織田勢に利用されそうだし、窮地に追い込まれていた上杉氏や毛利氏もまたこうした情報工作部隊を駆使したはずなのは言うまでも有りません。
 

仕組みとアプローチ -  信長の対土岐一族警戒モードをエスカレートさせようとした者達は多かったはず

2019-11-24 17:57:25 | 明智光秀
 先日の記事、サブタイトル「信長の対土岐一族警戒モードがエスカレート その発端の一つは上総土岐氏の動きではないか」に関連する事です。
 現時点での個人的な見方に過ぎませんが、「信長の対土岐一族警戒モードをエスカレートさせようとした人達が実は多かった」と思っています。
 その人達とは1つに信長の家臣ら織田勢内部のライバル意識や妬みです。
 出世頭の明智光秀を引きずり降ろそうと、有る事ない事を信長の耳へ直接間接に流し信長が光秀に警戒心を抱くようにする、それには「土岐一族が皆グルではないか」、と意見すれば簡単なわけです。
 事実でもない事を捏造してでもライバルの足を引っ張る輩はいるわけですから、光秀と長曾我部氏、家康と土岐一族の出である西郷局との間の男子誕生、そして北条氏と上総土岐氏の連携などを並べて信長に「殿、勢いを盛り返して来ている土岐一族に囲い込まれていますよ。光秀も長曾我部も危ない」とか進言する重臣は必ずいたと思います。
 そしてもう一つ、信長の織田勢の攻勢により窮地に追い詰められていた敵対する勢力は、織田勢内部を分断する工作の一環として土岐一族でない信長一族と土岐一族を分断するような情報を拡散し、織田勢内部(非土岐一族と土岐一族)の間で内紛となるように少しずつ誘導するはずです。
 土岐一族関連ではないのですが、織田勢内部の分断工作とも考えられる例として、実際に荒木村重の謀反は織田勢の内紛だったわけでこれにより毛利氏への攻撃が一時ではあれストップしたのでした。
 毛利氏に限らず、織田勢により窮地に追い詰められていた勢力は高野衆、長曾我部氏、上杉氏など多く、これら勢力の情報部隊の活動により信長が影響された面が有るのかも知れません。
 例えばですが、水野信元が武田方と内通したとする疑惑はもしかすると武田方による情報工作(つまりウソの情報を拡散)だったのかも知れないのです。
 信長は水野信元暗殺の後、実は無実の罪だったかも知れないと実際に認めています。
 織田勢内部からも外部からも有る事ない事が信長の耳に入っている内に、次第に影響され、更に土岐一族系の多くの動きが総じて信長の警戒心をエスカレートさせてしまうような状況となり信長が長曾我部氏を攻撃する判断に至ったのではないでしょうか。
 そして仮に秀吉が毛利氏と既に内通状態だったのなら、土岐一族系の危険性を信長の耳に入れる絶好のポジションだったはずです。
 真相はどうだったのでしょう。