田中雄二の「映画の王様」

映画のことなら何でも書く

湯河原 『飢餓海峡』『お葬式』『トロッコ』…

2019-08-26 09:39:14 | 雄二旅日記
 近隣の熱海や箱根に比べると落ち着いてひなびた感じがする温泉地・湯河原を再訪した。


 西村雄一郎氏の『映画の名湯ベスト57 湯けむりシネマ紀行』によると、阿部豊監督の『運河』(58)がこの地でロケされたらしい。また、木下惠介監督の『日本の悲劇』(53)には湯河原駅が映り、伊丹十三の『お葬式』(84)は吉浜にある自宅でロケされ、北野武の『あの夏、いちばん静かな海』(91)は同地の海水浴場でロケされたという。
 
 もっとも、湯河原は映画のロケ地としてよりも、文人墨客ゆかりの地としての方が有名だ。夏目漱石の『明暗』、映画化された水上勉の『飢餓海峡』『越前竹人形』はこの地の旅館で執筆され、芥川龍之介は『トロッコ』の想を得(09年に台湾ロケで映画化された)、小津安二郎は『東京物語』(53)の構想を練り、『彼岸花』(58)のシナリオを、この地で書いたという。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『映画の森』「2019年8月の映画」

2019-08-25 10:00:43 | 映画の森

 共同通信社が発行する週刊誌『Kyoudo Weekly』(共同ウイークリー)8月26日号で、『映画の森』と題したコラムページに「8月の映画」として5本を紹介。独断と偏見による五つ星満点で評価した。

数学的な見地から戦艦の建造を描く
『アルキメデスの大戦』☆☆☆

“超実写版”として新たに登場
『ライオン・キング』☆☆

エルトン・ジョンの半生を描く
『ロケットマン』☆☆☆

自殺志願者が美女と出会って…
『やっぱり契約破棄していいですか!?』 ☆☆☆

タランティーノ自身の夢や妄想を映像化
『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』☆☆☆☆

クリックで拡大
 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『アス』

2019-08-24 07:00:31 | 新作映画を見てみた

 アデレード(ルピタ・ニョンゴ)は、夫(ウィンスト・デューク)と娘と息子と共に夏休みを過ごすため、幼い頃に住んでいたカリフォルニアの家を訪れる。だが、不気味な偶然の出来事に見舞われ、過去のトラウマがフラッシュバックするように。やがて、自分たちとそっくりな“私たち=アス”がやってくる。

 監督・脚本のジョーダン・ピールが、前作『ゲット・アウト』(17)同様、今回も、ドッペルゲンガーか、はたまたもう一人の自分に体を乗っ取られるジャック・フィニイの『盗まれた街』(ボディスナッチャー)か、という突飛なアイデアのホラーの中に、皮肉とブラックユーモアを入れ込んでいる。昔のテレビドラマ、ロッド・サーリングの『ミステリーゾーン=トワイライトゾーン』のような、味わいがある。

 互いがそっくりな黒人家族。貧しい者が豊かな者を襲いに来る。そして血で血を洗うような闘いが繰り広げられる、という悪夢には、昔とは違った形で広がりを見せる貧富の差や、移民の問題が内包されているのだろう。

 ラストのどんでん返しは、なるほどそうくるか、という感じだが、勘のいい人は驚かないかもしれない。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『荒野の誓い』のトークイベントを取材

2019-08-23 18:05:48 | 仕事いろいろ

竹中直人「映画館を出たら街が荒野に見えるはず」「この映画は『許されざる者』を超えている」
https://tvfan.kyodo.co.jp/news/topics/1198136

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『ハード・ウェイ』

2019-08-23 08:52:34 | 映画いろいろ
『ハード・ウェイ』(91)(1991.5.31.スカラ座)

  

 ハリウッドの人気スター、ニック・ラング(マイケル・J・フォックス)は、次回作で刑事役を演じる役作りのため、ニューヨーク市警の熱血刑事モス(ジェームズ・ウッズ)と行動を共にしようとするが…。ジョン・バダム監督のアクションコメディ。
 
 『バック・トゥ・ザ・フューチャー』シリーズ終了時、「マイケルはノンフューチャー」と随分陰口をたたかれたらしい。それ故、彼も『カジュアリティーズ』(89)というシリアスドラマに挑んだのだろうが、この映画を見ると「やっぱりマイケルにはコメディが似合う」という思いが強まってしまうし、別に無理をしてイメージを変える必要はないじゃないか、こういう役が嫌味なくできるのも立派な才能じゃないかと、つい応援したくなってしまう。
 
 何より、この映画の企画自体がマイケルの存在なくしては考えられないものだし、ここまで開き直ってセルフパロディをしてしまう根性もたいしたものだと思うのだ。確かに、最近のスタローンやシュワルツェネッガーといった、イメージが固定された者たちの抵抗の姿を見ていると、イメージ打破は早いに越したことはないのだろうが、逆に、ジャック・ニコルソンやダスティン・ホフマン、あるいはロバート・デ・ニーロといったシリアス型の俳優ばかりを見続ける堅苦しさを思えば、マイケルような、肩の凝らない嫌味のなさは貴重な個性だと言ってもいだろう。
 
 それは、この映画で対照的に描かれた“演技派”のウッズの姿が証明している、と書いてきて、マイケルあるいは監督のバダムは、ひょっしたら、見る側のそうした思いを逆手に取ってこの映画を作ったのではないかと思った。もしそうなら、彼らはたいしたしたたか者だ。そして、この見事なまでの厚顔さがあるうちは、マイケルが健在であることは間違いない。
 
 さて、この映画ほどではないにせよ、シリアス系の俳優たちは演じる役のプロや経験者の下で実際に修業したということが、さも偉いことのように報じられることが多い。この映画のウッズも本物の刑事の下で修業したらしい(映画の役柄とは逆というのがおかしいが)。だが、考えてみれば、それは俳優側の勝手であって、その道のプロたちにとっては甚だ迷惑な話。この映画は、そうした本音も描いているのである。

【今の一言】そんなマイケルが、この後バーキンソン病に侵されるとは…。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『愛と喝采の日々』

2019-08-22 14:27:08 | 映画いろいろ
『愛と喝采の日々』(77)

   

 プリマ・バレリーナとして成功した女性(アン・バンクロフト)と、結婚してバレエ界を引退した女性(シャーリー・マクレーン)。2人の対照的な人生を描きながら、女性の幸福は結婚か自立かを問い掛ける。2人の名女優の演技合戦と有名ダンサーのミハイル・バルシニコフの出演が話題となった。監督はバレエダンサー、振付師出身のハーバート・ロス。彼はこの年『グッバイガール』も監督している。
 
 この映画が公開された1977年は、『未知との遭遇』『スター・ウォーズ』というSF大作と、この映画をはじめとする“女性映画”の一群がブームになるという、ちょっと不思議な傾向のある年だった。
 
 アカデミー賞の主演女優賞は、この映画のマクレーンとバンクロフトのほか、『ジュリア』のジェーン・フォンダと『グッバイガール』のマーシャ・メイスン、そして『アニー・ホール』のダイアン・キートンがノミネートされ、キートンが受賞。
 
 助演賞は、この映画でマクレーンの娘役を演じたレスリー・ブラウン、『グッバイガール』でメイスンの娘を演じた子役のクイン・カミングスらが候補となったが、『ジュリア』のバネッサ・レッドグレーブが受賞。スピーチで政治的な発言をして物議を醸した。どれもが、今から思うと懐かしい出来事ばかり。
 
『外国映画女優名鑑』から
 
    
 
 2005年に73歳で亡くなったバンクロフト以外は、マクレーン(85歳)、レッドグレーブ(82歳)、フォンダ(81歳)、メイスン(77歳)、キートン(73歳)と皆まだ現役。やはり女性の方が元気で長生きだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『眠れぬ夜のために』

2019-08-22 09:33:10 | 映画いろいろ
『眠れぬ夜のために』(85)

  

 行きずりの女(ミシェル・ファイファー)を助けたばかりに国際的な陰謀に巻き込まれる不眠症の男(ジェフ・ゴールドブラム)の姿を描いたサスペンスコメディ。原題は「INTO THE NIGHT」。確かに“夜の中に入っていく”感じのする映画である。
 
 監督のジョン・ランディスは、前作『トワイライトゾーン/超次元の体験』(83)の撮影中、主演のビック・モローと子役2人がヘリコプターの落下事故によって死亡するという事故を起こし、過失致死罪で起訴された。従って、この映画の主人公が不眠症という設定は、事故に悩んで眠れなくなったランディス自身の投影ではないかとも言われた。
 
 また、この映画は、ランディス映画常連のダン・エイクロイド、ギリシャのイレーネ・パパス、歌手のデビッド・ボウイ、ベテランのベラ・マイルズが助演し、メークアップのリック・ベイカー、人形師のジム・ヘンソン、歌手のカール・パーキンス。そしてジャック・アーノルド、デビッド・クローネンバーグ、ジョナサン・デミ、コリン・ヒギンズ、ローレンス・カスダン、ポール・マザースキー、ドン・シーゲル、ロジェ・バディムといった映画監督たちがゲスト出演している。これは、事故で落ち込むランディスへの応援的な意味合いがあったという。
 
 で、この映画もそうだが、『ケンタッキー・フライド・ムービー 』(77)に始まり、『アニマル・ハウス』(78)『ブルース・ブラザース』(80)『狼男アメリカン』(81)『大逆転』(83)『スパイ・ライク・アス』(85)『サボテン・ブラザース』(86)『星の王子 ニューヨークへ行く』(88)と続いたランディスの映画は、どれも趣味性が強く、ストーリーが破綻し、日本人には分からないジョークも多いので、大好きという者と、入り込めないという者に二分され、いわゆるカルトムービー化するケースが多かった気がする。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「2019年7月の映画」転載

2019-08-21 17:43:55 | 映画の森

「KyodoWeekly」7月22日号から「7月の映画」共同通信のニュースサイトに転載
https://www.kyodo.co.jp/national-culture/2019-08-21_2194396/

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『キネマの天地』今昔

2019-08-21 10:31:36 | 映画いろいろ

『キネマの天地』(86)(1986.8.6.銀座松竹)

 松竹50周年記念作。盆暮れ恒例の寅さん映画を休み、脚本に井上ひさしと山田太一を迎えた。そして、いかにも山田洋次らしくそつなく撮っているのだが、そこにあからさまな大船調の踏襲を感じさせられ(もちろんそれが狙いではあったのだろうが)、かえって松竹映画の欠点を露わにしてしまった感がある。
 
 確かに、昭和初期の古き良き映画黄金時代に対するノスタルジーは強く感じることはできるのだが、例えばトリュフォーの『アメリカの夜』(73)で描かれたような、映画作りの中で生じるさまざまな喜怒哀楽、その中から生み出された一本の映画への愛着といったものが、あまり伝わってはこない。それ故、日本映画の悪い癖である人情話に終始した印象を受けるのである。
 
 もともとこの映画は、松竹配給でありながら、舞台はそっくり東映にさらわれてしまった『蒲田行進曲』(82)に対抗して、完全な松竹映画として、映画製作の舞台裏を描くというところから始まったものだが、そこには、描かれた時代の相違もさることながら、山田洋次と深作欣二の映画作りに対する考え方の違いが出ているのではないかと思う。
 
 本来、映画製作の現場なんてきれいごとでは済まない雑然としたものであるはずなのに、ノスタルジーと人情だけで描こうとしたところに、あまり毒を持たない山田洋次の弱点が露呈された気がするのだ。
 
 などと公開時は思っていたのだが、30年後は…。
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/da7dffec4b054eee90dfc062c634aa9a
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『ラスト・ムービースター』

2019-08-21 09:34:52 | 新作映画を見てみた

   

 クリント・イーストウッドの『運び屋』、ロバート・レッドフォードの俳優引退作『さらば愛しきアウトロー』に続いて、今度はバート・レイノルズの遺作が公開される。彼らは1970年代に全盛を誇った映画スターという点で共通するだけに、彼らの映画を見ながら育った自分としては、やれ引退作だ、遺作だとなると、時の流れを感じて感慨深いものがある。

 この映画でレイノルズが演じているのは、自身をモデルにした映画スター役。友人役で太って白髪になったチェビー・チェイスも出てくる。ストーリーは、かつての大スター、ヴィック・エドワーズに「国際ナッシュビル映画祭」から特別功労賞贈呈の知らせが届く。ところが、行ってみると、映画祭とは名ばかりの、映画マニアによる自主上映的なものだった。憤慨したヴィックは空港に向うが、途中で故郷のノックスビルに立ち寄ることにして…というもの。

 大学時代はフットボールの選手として鳴らしたがけがで断念、スタントマン出身、『コスモポリタン』誌でのヌード披露、華麗なる女性遍歴、というレイノルズの経歴が、そのままエドワーズに移植されている。

 そして、レイノルズの出演作『脱出』(72)『トランザム7000』(77)のワンシーンで、エドワーズレイノルズが共演するなど、まさにセルフパロディの連続。浮き沈みが激しかった映画人生という点でも、どこまでがレイノルズでどこからがエドワーズなのか…という感じになる。

 つまり、アダム・リフキンの演出は、自身の出演作を冒頭に挿入したジョン・ウェインの『ラスト・シューティスト』(76)同様、役と本人を一体化させることに腐心しているのである。

 当然そこには、残酷さと優しさ、悲哀とユーモアが入り混じり、見ていて複雑な心境を抱かされるのだが、オープニングの悲しそうなエドワーズ=レイノルズのアップが、ラストは実にいい笑顔に変わるところがこの映画の真骨頂。

 出演予定だったタランティーノの『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』の撮影前に亡くなったことが惜しまれるが、欲を言えば切りがない。本人が納得して老いた自分をさらけ出し、最後は笑顔で終わることができたのだから、いい遺作になったというべきなのだろう。

バート・レイノルズが亡くなった
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/ae0626a3fd0a980e7387e6a9a88609d8

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする