田中雄二の「映画の王様」

映画のことなら何でも書く

『ザ・ビートルズ64 BOX』

2020-08-19 09:48:58 | ビートルズ

2004.11.16.

 今、夕方の瓦版を読んでいたら、また東芝EMIのあこぎな商いのことが載ってやがったぜ。(これが1枚目の『MEET THE BEATLS』



 何と『ザ・ビートルズ64 BOX』と名付けて、メリケン編集版のアルバム4枚をまとめてCDにしたってんだ。(そんでもってこれが2枚目の『THE BEATLS SECOND ALBUM』

 そうなんだよ。メリケン編集版はエゲレスの原版とは曲順も音も違っててよぉ。おいら、レコードがなくなる時に慌てて買い揃えたんだぜ。今じゃ棚の奥で眠ってるけどな。(まだあるよ3枚目の『SOMETHING NEW』

 改めて聴きてえけど、1万両は暴利だよなあ。『アンソロジー』で終わりじゃなかったのかよ。『レット・イット・ビー…ネイキッド』は泣く泣くあきらめたんだぜ。頼むよ。こちとら貧乏なんだから。誰でぃ、今の40代は金持ちだなんて与太ぬかしてる奴は。(とどめは『BEATLES '65』でぃ)



 こいつだよ。何でもCCCD仕様とかで評判悪いみたいだぜ。輸入版の方がいいってさ。

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【インタビュー】『2分の1の魔法』ダン・スキャンロン監督&コーリー・レイ、プロデューサー

2020-08-19 06:50:16 | インタビュー

「この映画は、家族や自分たちの周囲にいる人とのつながりについて描いています」
https://tvfan.kyodo.co.jp/feature-interview/interview/1232803

『2分の1の魔法』
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/427ab1ef1643937b9bf8c11576340edf

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『ビートルズ・アンソロジー』

2020-08-18 13:19:16 | ビートルズ

1995.12.『ビートルズ・アンソロジー』Vol.1

 噂の『ビートルズ・アンソロジー』Vol.1が発売されたので、早速聴いてみたのだが、やはり、ジョンの残したテープに3人の演奏と声を重ねた新曲「フリー・アズ・ア・バード」は妙なものだった。映画のCG合成同様、テクノロジーの進歩が、亡くなった本人の同意もないままに、姿や声をよみがえらせるという現象は、果たして喜ぶべきものなのだろうか、という疑問が残った。

 ところで、このアルバムの面白さは、未発表だった数々のデモテープが聴けるところで、曲を完成させるまでに彼らが行った試行錯誤がよく分かるところがある。例えば「ノー・リプライ」「アンド・アイ・ラブ・ハー」「アイル・ビー・バック」などが、普段聴いているイメージに、段々と近づいていく過程が聴けるのは、楽しいものであった。それにしても、やっぱりジョンとポールのハーモニーは絶品だなあ。

1996.1.『ビートルズ・アンソロジー』テレビ

 テレビ朝日がやってくれた『ビートルズ・アンソロジー』を少しずつ見る。大筋は、過去の「コンプリート・ビートルズ」などからの流用が目立ち、期待したほどの新味はなかったのだが、もう年を取らないジョン以外の3人の老けぶりが切なく心にしみて、懐疑的だった「フリー・アズ・ア・バード」にも、「これは、彼らにしか分からない思いから作られたものなのだから、つべこべ言うべきではないのかもしれない」と思わされた。そう思うと、味わいのある曲のような気もしてきたから困った。

1996.4.『ビートルズ・アンソロジー』Vol.2

 今回の目玉である新曲「リアル・ラブ」は前作の「フリー・アズ・ア・バード」ほどのインパクトはなかったが、ジョン、ポール、ジョージのハーモニーの美しさには思わずグッときた。

 さて、今回収められた時期は、彼らが最も音に凝って、実験を繰り返していた頃だけに、「1」よりも聴き応えがあった。それとは逆に、アコースティックギターだけでの演奏(リハ)の方が、完成版よりも、その曲が本来持っているメロディラインの美しさを際立たせるケースもあった。こうなると「3」が楽しみになってくる。

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ポール・マッカートニー日本公演1993と、その後

2020-08-18 11:27:25 | ビートルズ

ポール・マッカートニー日本公演(1993.11.14./15.東京ドーム)

 3年ぶりのポール。辛抱たまらず、今回も2日続けて行ってしまった。前回は明らかに喉の調子が悪く、もはやライブは厳しいか…と心配させたのも何のその。50を過ぎたというのに、しっかり復調していたのには驚いた。と同時に、いまだに現役として活躍していることへのうれしさも湧いてきた。

 しかも今回は、日本ではライブ初演となった幾つかのマイ・フェバリット・ソング、例えば「オール・マイ・ラビング」「ウィ・キャン・ウォーク・イット・アウト=恋を抱きしめよう」「ヒア・ゼア・アンド・エブリホエア」「マイ・ラブ」等々も披露してくれたのだ。

 ところが、またもや外野から妙な声が聞こえてきた。「過去の栄光をだしにして今の曲を売っている」「もはや富も名声も手にしたのに、まだライブでもうけようとしている」…。まったくポールほど、その行動が悪意に捉えられてしまう人も珍しいのだが、実はその責任の一端は彼自身にもないわけではない。

 ファンを自認する俺でさえ、見ていて恥ずかしくなってしまうようなお茶らけた行動を取ったり、仕草をしたり、不用意な発言をすることも多過ぎるのだ。もちろん、そこには彼独特のサービス精神や照れ隠しも垣間見えはするのだが…。

 何しろ、ポールはロックの育ての親の一人なのだ。30年以上も数々の名曲を作り続けてきた人なのだ。だから、例えばかつての大横綱の北の湖のように、憎らしいほど堂々としていて毅然とした態度を取ってもいいのだ。そうすればバカどもも黙るのではないか。

 などと、考えてはみたものの、ポールがジョンのように間違って神格化されてもなあ…と、相反する思いも浮かんでくる。我ながら、まったくファン心理は厄介だと思う。

 ところで、80年のウィングス公演が、例の成田事件で没になったので、「バンド・オンザ・ラン」関連以外は、ウィングス時代の曲の大半が聴けていない。これが最後といううわさもあるが、せめてもう一度、違うブログラムでのライブをお願いしたものだ。2度も大掛かりなライブをやっても、まだ残りがたくさんあるのだから、やっぱりポールはすごいんだよ。

セットリスト
1.ドライブ・マイ・カー
2.カミング・アップ
3.ルッキング・フォア・チェンジズ
4.ジェット
5.オール・マイ・ラビング
6.レット・ミー・ロール・イット
7.ピース・イン・ザ・ネイバーフッド
8.オフ・ザ・グランド
9.キャント・バイ・ミー・ラブ
10.グッド・ルッキン・トゥナイト
11.恋を抱きしめよう
12.アイ・ロスト・マイ・リトル・ガール
13.エイント・ノー・サンシャイン
14.明日への誓い
15.ミッシェル
16.バイカー・ライカー・アイコン
17.ヒア・ゼア・アンド・エブリフェア
18.イエスタデイ
19.マイ・ラブ
20.レディ・マドンナ
21.カモン・ピープル
22.マジカル・ミステリー・ツアー
23.レット・イット・ビー
24.死ぬのは奴らだ
25.ペーパーバック・ライター
26.バック・イン・ザUSSR
27.ペニーレイン
28.サージェント・ペッパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド
アンコール
29.バンド・オン・ザ・ラン
30.アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア
31.ヘイ・ジュード


 で、この後もポールの日本公演は続いたが、だんだんと定例化し、最初の興奮は薄れていった。

 2002年11月の東京ドーム公演は妻と見たのだが、リンダ亡き後、再婚したポールが若妻のためにとても無理をしている感じがした。バンドのメンバーも音も若作りで、今のポールには合っていない気がしたのだ。ただし、新曲「ドライビング・レイン」は何だか切なくて好きだった。

 13年11月の公演は、ついに欠席。14年5月の国立競技場でのライブは直前で中止となり、妻と共にまさに競技場の前で門前払いに遭った。そして翌年4月23日に東京ドームで行われた”お詫び公演”を一人でしみじみと聴き、これでポールのコンサートからは卒業すると決めた。

 だから、17年4月と18年10月、11月のコンサートには行っていない。

02.セットリスト
1.ハロー・グッドバイ
2.ジェット
3.オール・マイ・ラビング
4.ゲッティング・ベター
5.カミング・アップ
6.レット・ミー・ロール・イット/フォクシー・レディ
7.ロンリー・ロード
8.ドライビング・レイン
9.ユア・ラビング・フレーム
10.ブラックバード
11.エヴリナイト
12.恋を抱きしめよう
13.ユー・ネバ―・ギブ・ミー・ユア・マネー/キャリー・ザット・ウェイト
14.ザ・フール・オンザ・ヒル
15.ヒア・トゥデー
16.サムシング
17.エリナ・リグピー
18.ヒア・ゼア・アンド・エヴリホエア
19.ミッシェル
20.バンド・オン・ザ・ラン
21.バック・イン・ザU.S.S.R.
22.恋することのもどかしさ
23.幸せのノック
24.マイ・ラブ
25.シーズ・リビング・ホーム
26.キャント・バイ・ミーラブ
27.死ぬのは奴らだ
28.レット・イット・ビー
29.ヘイ・ジュード
30.ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード
31.レディ・マドンナ
32.アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア
アンコール
33.イエスタデイ
34.サージェント・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド・リプライズ/ジ・エンド


15.セットリスト
1.マジカル・ミステリー・ツアー
2.セイブ・アス
3.キャント・バイ・ミー・ラブ
4.ジェット
5.レット・ミー・ロール・イット/フォクシー・レディ
6.ペーパーバック・ライター
7.マイ・バレンタイン
8.1985年
9.ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード
10.恋することのもどかしさ
11.夢の旅人
12.恋を抱きしめよう
13.アナザー・デイ
14.ホープ・フォー・ザ・フューチャー
15.アンド・アイ・ラブ・ハー
16.ブラックバード
17.ヒア・トゥデイ
18.ニュー
19.クイニー・アイ
20.レディ・マドンナ
21.オール・トゥギャザー・ナウ
22.ラブリー・リタ
23.エリナ・リグピー
24.ビーイング・フォー・ザ・ベネフィット・オブ・ミスター・カイト
25.サムシング
26.オブラディ・オブラダ
27.バンド・オン・ザ・ラン
28.バック・インザ・U.S.S.R.
29.レット・イット・ビー
30.死ぬのは奴らだ
31.ヘイ・ジュード
アンコール
32.デイ・トリッパー
33.ハイ・ハイ・ハイ
34.アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア

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『オフ・ザ・グランド』(ポール・マッカートニー)

2020-08-18 09:25:09 | ビートルズ

1993.2.16.『オフ・ザ・グランド』(ポール・マッカートニー)

 90年のワールドツアーは、ポールと俺たちファンにとっては、今までつきまとっていた、ビートルズとしての、ウィングスとしての、ソロとしての、といった“区分け”を突き破って、一本の太い線でつながったトータルとしてのポール・マッカートニーの存在を確認するためのものだった気がする。

 思えば、ポールがここにたどり着くまでには、ビートルズの解散というトラウマから20年、ジョンの死から10年という歳月が、その解放には必要だったのだし、俺たちにファンにしても、その間、彼を見限りかけたことがあったのも否めない。何しろ20年は長い。

 だが、その長い模索の時代を越えてしまえば、過去の自分を認めてしまえば、もう何も怖いものはない。後は、自らの演奏者としての、メロディメーカーとしての天賦の才を素直に発揮すればいいのだと、きっとポールは気付いたのだ。

 そんなさまざまなものを超越した、自信にあふれた結果がこのアルバムだという気がした。聴きながら無性にうれしくなったり、楽しくなったり、感動したりもする、そんなアルバムなのだ。

 相変わらず軽快でリズミカルなマッカートニー節でありながら、新しさも感じさせる「オフ・ザ・グランド」「ホープ・オブ・デリバランス」「ピース・インザ・ネイバーフッド」という流れ。『プレス・トゥ・プレイ』(86)あたりから目立ち始めた硬質なバラードの結晶の一つである「ゴールデン・アース・ガール」「ワインダーク・オープン・シー」。そしてラストを飾る、ポール流の「ギブ・ピース・ア・チャンス」「イマジン」とも呼ぶべき「カモン・ピープル」…。

 ツアーから引き継がれたバンドのメンバーとのチームワークの良さやエルビス・コステロの存在も含めて、前作『フラワー・イン・ザ・ダート』(89)に勝るとも劣らない傑作に仕上がっている。唯一の欠点は意味不明のジャケットか。

 つまり、驚くべきことにポールは、50歳を超えて、ロックミュージシャンとして最も落ち着いた幸福な絶頂期を自ら作り上げたのだ。これはかつて例のないことであり、ロック=夭折という定義?を見事に払拭してくれたとも言えるのだ。やはりただ者ではなかった。すごい男だ。ファンであり続けてきて本当によかった。

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『エルヴィス・プレスリー:ザ・サーチャー~キング・オブ・ロックの魂の記録~』

2020-08-17 08:53:34 | 映画いろいろ

 昨日はエルビス・プレスリーの命日ということで、AXNが『エルヴィス・プレスリー:ザ・サーチャー ~キング・オブ・ロックの魂の記録~』(18)というドキュメンタリーを放送した。

 これは、元妻のプリシラ、ブルース・スプリングスティーン、トム・ペティらのコメントを交えながら、エルビスの軌跡をたどるもの。マネージャーのパーカー大佐の束縛と、おびただしい数の映画出演がエルビスのキャリアを妨げたと結論付けていたのが興味深かった。

 自分にとって、エルビスのすごさはリアルタイムでは分からなかった。遅ればせながら、ビートルズの洗礼を受けて洋楽に目覚めた中学時代。よく一緒に映画を見たYの姉さんがエルビスのファンで、Yの家に行くとエルビスのレコードを聴かされたのだが、正直なところ、ビートルズに比べるとあまりピンとこなかった。

 Yから「エルビスは映画にもたくさん出ている」と聞いて、ちょうどテレビでやっていたので見てみたが、『アカプルコの海』(63/73.7.4.水曜ロードショー)『ゴー!ゴー!ゴー!』(67/74.4.27.土曜映画劇場)『ガール!ガール!ガール!』(62/74.6.8.土曜映画劇場)も、詰まらなくて途中で見るのをやめた覚えがある。唯一見るに耐えたのは、エルビスが白人とインディアンのハーフに扮した、ドン・シーゲル監督の西部劇『燃える平原児』(60/73.12.7.ゴールデン洋画劇場)だった。

 そんなマイナスイメージを一新したのが、コンサートの模様を記録したドキュメンタリー映画『エルビス・オン・ステージ』(70)だった。「そうかエルビスはすごい歌手だったんだ」と認識を新たにしたが、それは「キング・オブ・ロックンロール」としてではなく、フリフリが付いたど派手な衣装で歌うエルビスだったのだ。

 映画を見た翌日、Yに「エルビスすごいじゃん。何故エルビスは日本に来ないの」と聞くと、Yは「エルビスが飛行機嫌いなため」と答えたが、その裏にパーカー大佐の国籍問題があったことを今回初めて知った。

 今回のドキュメンタリーを見ると、エルビスが唯一無二の存在であったこと、「キング・オブ・ロックンロール」と呼ばれる所以、そして、すさまじいまでの歌のうまさを再確認することができるのだが、それと同時に、スター故の悲劇や、マネージメントの難しさ、歌手とシンガーソングライターとの違いなども知らされた思いがした。

 エルビスの邸宅グレイスランドは、マイケル・ジャクソンのネバーランドと通じるものがあるのか…などとも思ったが、その名をタイトルにした『グレイスランド』(98)という映画があった。これは、妻を亡くした青年(ジョナサン・シャーチ)と、自らをエルビス・プレスリーだと名乗る謎の男(ハーベイ・カイテル)との奇妙な交流を描いたロードムービー。エルビス伝説の一端を描いた、ともいえるユニークな映画だった。

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ジョージ・ハリスン&エリック・クラプトン日本公演

2020-08-17 07:00:58 | ビートルズ

ジョージ・ハリスン&エリック・クラプトン日本公演(1991.12.14.東京ドーム)

 ジョン亡き後、リンゴ、ポール、そしてジョージと、それぞれ別々にではあるが、3人のコンサートを全て見ることができたのだから、感慨無量の気持ちになった。大げさに言えば、これで自分の中のビートルズについて、一定の区切りがついたような気もする。

 もちろん、今日のジョージにしても、高音は苦しそうだったし、久しぶりのコンサートということもあり、会心の出来というわけでもなかっただろう。だが、俺のような遅れてきたファンにとっては、彼が演奏し、歌う姿を生で見られただけでも、もう十分なのだ。

 リンゴもポールもジョージも、現役として、過去のわだかまりを乗り越えて、ソロナンバーと並列してビートルズナンバーを披露してくれたことが何よりもうれしい。加えて、ジョージは寡作ながら、いい曲を作ってきたんだなあ、と改めて思った。
  
 そして、かつてパティ絡みの諸々がありながらも、相変わらずのクラプトンとの仲の良さは、不思議といえば不思議なのだが、何と今日はクラプトンのリードギターで「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」が聴けたのだ。

 ほかには、ジョンに捧げられた「オール・ゾーズ・イヤーズ・アゴー=過ぎ去りし日々」に思わず胸が詰まり、『リーサル・ウエポン2』(89)のラストで流れた軽快な「チア・ダウン」に心が躍った。

 ただ、ポールのコンサートの時にも感じたのだが、例えば「アイ・ウォント・トゥ・テル・ユー」の後には「ゴット・トゥ・ゲット・ユー・イントゥ・マイ・ライフ」が聴きたいし、「リトル・ピギー」の後には「ロッキー・ラクーン」が、「サムシング」の次は「マックスウェルズ・シルバー・ハンマー」が、「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」の次は「ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ」が聴きたくなってしまう。

 つまり、ジョン亡き後、3人での再結成などあり得ないし、してほしくもないのだが、頭の中では別のことも夢想しているのだから、矛盾している。

セットリスト
1.アイ・ウォント・トゥ・テル・ユー
2.オールド・ブラウン・シュー
3.タックスマン
4.ギブ・ミー・ラブ
5.恋をするなら
6.サムシング
7.美しき人生
8.ダークホース
9.リトル・ピギー
【エリック・クラプトン・ソロ
ブリテンディング
オールド・ラブ
バッジ
ワンダフル・トゥナイト】
10.セット・オン・ユー
11.クラウド9
12.ヒア・カムズ・ザ・サン
13.マイ・スウィート・ロード
14.過ぎ去りし日々
15.チア・ダウン
16.デビルズ・レディオ
17.イズント・イット・ア・ピティ
18.ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィーブス
19.ロールオーバー・ベートーベン

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ポール・マッカートニー日本公演1990

2020-08-16 19:35:01 | ビートルズ

ポール・マッカートニー日本公演(1990.3.3.東京ドーム)

 来日前の日程変更で、またか…という不安を抱かされたが、ついにポール・マッカートニーの日本でのコンサートが実現した。となれば、こちらにとっては中止となった75年、80年以来、3度目の正直、足掛け15年にもおよぶ思いが募り、矢も楯もたまらず、当日券で東京ドームへ駆け付けた。

 アリーナ席とはいえ、ローリング・ストーンズの時と同様に、今回も決していい席ではなかったのだが、何しろ今回は思い入れが違う。最初に俺をロックにのめり込ませたグループの一員であり、それ以来、長きにわたって自分の喜怒哀楽に併せて聴き続けてきた人、いわば恩人とも呼べる人のコンサートなのである。これが尋常でいられるはずがない。実際、この人ほど、音楽で俺を楽しませてくれた人はほかにいないのだから。

 そして、今夜のコンサートは、ポール・マッカートニーのファンであり続けて本当によかったと思えるものだったし、いまだに大看板を背負って現役として活動し続ける姿にも胸を打たれた。

 ところで、ストーンズのコンサートの時に、ミック・ジャガーとキース・リチーズの掛け合いを見て、ジョン・レノンを失ったポールが歌うビートルズナンバーを違和感なく聴けるのか、という危惧があったのだが、うれしいことにそれも杞憂に終わった。それは、ポールも年を取り、ビートルズという化け物から解放され、ビートルズナンバーを素直に歌えるようになったからなのかもしれない。

 と、いろいろとごたくを並べてきたが、正直なところ、今は夢がかなって半ば腑抜けの状態。順調にいけば、あと2回見られるので、その時はもう少し落ち着いたことが書けるかもしれない。 

ポール・マッカートニー日本公演2(1990.3.9.東京ドーム)

 あの日から1週間、その間ちゃんと公演が行われていることを確認し、それを喜びながら日々が過ぎていった気がする。そしていよいよ2回目だ。

 今回は予習ができていたので、多少は余裕が持てる、と思ったのも束の間、図らずもクローズド・サーキットなる衛星全国ネットの日ということで、多分、本公演中の最高の出来に当たってしまった。初日は、ひいき目に見ても、喉の調子があまりよくなさそうに見えたので、これはうれしい誤算であった。

 また、初日は弟と、今回は先輩後輩を含む友人たちと一緒に見ることで、改めて、自分の中にあるポール・マッカートニーという存在を振り返ることができたのも、至上の喜びとなった。

 初めて買ったビートルズのLPレコード『オールディーズ』に入っていた「キャント・バイ・ミー・ラブ」「エリナー・リグビー」、同じく初めて買ったシングル「ヘイ・ジュード」、様々な思い出とオーバーラップする「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」「ザ・フール・オンザ・ヒル」、後付けで買って聴いてぶっ飛んだ『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』『ホワイト・アルバム』『アビー・ロード』からの曲、わが青春時代と同時進行してきたウィングス時代の「バンド・オンザ・ラン」「ジェット」、そして新譜の『フラワー・インザ・ダート』からの曲が、これらと決して見劣りしないのも素晴らしい(「イエスタデイ」「レット・イット・ビー」はもはや当たり前過ぎて…)。

 これだけ並ぶだけでもすごいのに、このほかにも名曲は数知れない。だからあの曲も演ってほしい(例えば「オール・マイ・ラビング」「アンド・アイ・ラブ・ハー」「ヒア・ゼア・アンド・エブリホエア」「アイム・ダウン」「ジュニアーズ・ファーム」「あの娘におせっかい」「心のラブソング」…)というぜいたくな望みが湧いてくる。来てくれるだけでも十分だと思っていた来日前とはえらい違いだ。

 ところで、ポールを引き立てる黒子に徹していたロビー・マッキントッシュ、ハミッシュ・スチュアートたちの活躍も、感謝の意も込めて記憶にとどめておきたいと思う。

セットリスト
1.フィギュア・オブ・エイト
2.ジェット
3.ゴット・トゥ・ゲット・ユー・イントウ・マイ・ライフ
4.ラフ・ライド
5.バンド・オン・ザ・ラン
6.ウイ・ゴット・マリード
7.幸せのノック
8.ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード
9.ザ・フール・オンザ・ヒル
10.サージェント・ぺバーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド
11.グッドデイ・サンシャイン
12.キャント・バイ・ミー・ラブ
13.プット・イット・ゼア
14.ハロー・グッバイ
15.今日の誓い
16.エリナー・リグピー
17.ディス・ワン
18.マイ・ブレーブ・フェイス
19.バック・イン・ザ・USSR
20.アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア
21.カミング・アップ
22.レット・イット・ビー
23.エイント・ザット・ア・シェイム
24.死ぬのは奴らだ
25.ヘイ・ジュード
アンコール
26.イエスタデイ
P.S. ラブ・ミードゥ
27.ゲットバック
28.ゴールデン・スランバー/キャリー・ザット・ウエイト/ジ・エンド

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『ビートルズは眠らない』(松村雄策) リンゴ・スター&ヒズ・オールスター・バンド

2020-08-16 12:18:57 | ビートルズ

 1990年のポール・マッカートニーの初来日公演から、2002年のジョージ・ハリスンの死、そして03年の『レット・イット・ビー…ネイキッド』までに書かれた文章を集めたものを再読。

 松村さんの文章は、いつも後追いの形で読むのだが、このへんになると、ようやく自分とも同時進行になる。松村さんが「1989年からの3年間はビートルズ・ファンにとっては、信じられないような3年間だった」と書いているように、リンゴ、ポール、ジョージが次々と来日公演を行ったのだった。

『ウィズ・ザ・ビートルズ』(松村雄策)
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/58a81ab4b7b1af8d0f1de72a52b7b4e5

リンゴ・スター&ヒズ・オールスター・バンド(1989.11.7.日本武道館)

 1966年のビートルズ日本公演から23年。その時をライブでは味わえなかった、俺のような遅れてきたビートルズファンにとっては、80年のポールの逮捕、ジョンの死を経て、ついにビートルズの一人であるリンゴが目の前(ではなかったが…)で歌い、演奏しただけでうれしいには違いないはずなのだが、同時に、やっぱりリンゴじゃ盛り上がらないよな、という感慨が浮かんできたのも否めなかった。

 オールスター・バンドと銘打たれた豪華メンバーが、リンゴと共にビートルズナンバーを演るたびに、ほかの3人の影が浮かんできて、複雑な気持ちになった。それはザ・バンドのレボン・ヘルムとリック・ダンコ、元イーグルスのジョー・ウォルシュにも当てはまる。その分、ビリー・プレストンやクラレンス・クレモンスたちの個人技が目立つところがあった。混成バンドの悲しさである。

 ただラストで、リンゴの、引いてはこのコンサートのテーマ曲とも言うべき「ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・マイ・フレンズ」が聞こえてきたときには、さすがにグッときた。そうか、リンゴはこれでいいのかもしれないなあ。

セットリスト
1.明日への願い
2.ノー・ノー・ソング
3..イエロー・サブマリン
4.Icko Icko
5.ザ・ウェイト(レボン・ヘルム、リック・ダンコ)
6.Shine On
7.ゲット・バック
8.アクト・ナチュラリー
9.ハニー・ドント
10.ユアー・ア・フレンド・オブ・マイン(クラレンス・クレモンズ)
11.ザ・シェープ・アイム・イン(レボン・ヘルム、リック・ダンコ)
12.彼氏になりたい
13.駆け足の人生(ジョー・ウォルシュ)
14.ならず者(ジョー・ウォルシュ)
15.Raining In My Heart
16.Cripple Creek
17.ボーイズ
18.Angry
19.Candy
20.Right Place
21.A Quarter To Three
22.ロッキー・マウンテン・ウェイ(ジョー・ウォルシュ)
23.ナッシング・フロム・ナッシング(ビリー・プレストン)
24.想い出のフォトグラフ
25.ユア・シックスティーン
26.ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンド

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『未知との遭遇 ファイナル・カット版』

2020-08-15 22:36:27 | 映画いろいろ

『未知との遭遇 ファイナル・カット版』(97)

 引っ越してBS4Kが見られるようになった。とはいえ、テレビは旧型のままなので実質は4Kでは映らないのだが…。そこで『未知との遭遇 ファイナル・カット版』を見た。これは製作20年を記念して発表された再々編集版。この映画もいろいろなバージョンがあって、ややこしい。

『未知との遭遇』(77)(1978.4.18.テアトル東京)

 なかなか姿を現さない宇宙船の登場シーンが圧巻。ラストのラコーム博士(フランソワ・トリュフォー)と宇宙人との手話が感動的。ケーリー・グフィ少年もかわいらしく好演を見せる。主人公役に出世したリチャード・ドレイファスは『ジョーズ』(75)よりも良し。

『未知との遭遇 特別編』(80)(1980.9.25.渋谷東宝)

 この素晴らしい映画を2年ぶりに見た。そして、何年たっても、あのラストシーンの感動を忘れることはないだろう。再編集された映画を見る機会はあまりないが、この映画の場合は、あまりにも第一印象が強烈であったため、再編集されたからと言って感動の度合いが大きく変わることはなかった。

 オープニングの砂漠での旧戦闘機の発見から、電気技師ロイ・ニアリー(リチャード・ドレイファス)の不思議な体験→狂気→家庭の崩壊、科学者ラコーム(フランソワ・トリフォー)の探求の様子、ジリアン(メリンダ・ディロン)、バリー(ケーリー・グフィ)母子の体験、といった複数のドラマが展開し、その全てがラストの異星人との“未知との遭遇”につながる。

 そして、彼ら異星人と親しく接するには、どうやらロイやバリー少年のような純粋さが必要なようだ。だからラコームがロイに言う「君がうらやましい」と。それは誰もが幼い頃は持っていたのに、成長するうちに失ってしまうものなのかもしれない。この映画は、そんなことも語っているような気がする。

 クライマックスは、宇宙船との交信に始まり、行方不明だった人々の帰還(「お帰りなさい」と迎えるところが何ともいい)、宇宙船から降り立つ異星人、宇宙船に乗り込むロイたち地球人、そして、この特別編の目玉である宇宙船内部の様子が映り、ラコームと何とも愛らしい異星人との手話での交信、そして飛び立つ宇宙船となる。エンドタイトルに『ピノキオ』(40)の「星に願いを」がちらっと流れるところも特別編ならではだ。

 その間、圧倒的な色彩美を見せられながら、夢の中に引き込まれるような感覚に陥り、現実離れをした感動が沸き起こる。そして、いつの間にか目に涙が浮かんでくるのである。そのわけは、自分でもよく分からないが、この映画には人を同化させる力があることだけは断言できる。

 ただし、宇宙船内部のシーンは無用だった気がする。オリジナルのままトリュフォーと異星人との手話で終わらせた方が断然いいと思った。

池袋の夜 『スター・ウォーズ』と『未知との遭遇』
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/a8c92c57c2e2deeb97330766d8abfd5f

【インタビュー】『レディ・プレイヤー1』スティーブン・スピルバーグ監督
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/0252d427482eb27bb9e501c5b7b8acce

【コラム】「1980年代が再びブームに スピルバーグの映画から」
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/85e114aac84e6082e0b867b9fbf80cd5

『E.T.』
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/3a3bcc49af8f76ddf987f84f51ab1a43
 

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