同窓生って何なんだろう。普段はまるっきり気にもしてないのに突然出会っても何のてらいもなく驚きもなく「やぁー」と言う感じでわけもなく話し出してしまう。押しなべてこうなんだろうか。それとも自分達が今となっては特殊なんだろうか。24の瞳ほど少人数ではなく団塊の世代のちょい下ぐらいだからどちらかと言えば大人数なのにわりと結束は固いと思う。今でもこんな気持でいられるのだから、いい環境下にあったんだろう。偉いヤツは一人もいないけど、悪い奴もまだでていない。市井の片隅で片寄せあって生きてるわけでもないけど、どことなく居心地がいい感じでみんな過ごしている。だから、今のようないじめなんかなかった。どこの記憶を探しても。みんな、なんとなく一人一人の個性を認めていたもの。とここまで書いて気づく。これだと。自分達が認めていた一人一人の個性を今の子たちは、認められない集団に育て上げられているんじゃないかと。つまり、大人と子供の区別がない男と女の区別がない家と外の区別がない。ボーダーレスというのか損保おきな潮流に巻き込まれて自分の個性を見失った世代というか、自覚がないと言うか
自覚まで外から与えられるものと思っているから自分の行動に責任を持たなくなるんだろう。平気で20もそこら歳の離れたこと付き合える大人。いいことのように言う風潮。その人が、幼い行動しか取れないことも知らないで、若いといっておだてる無責任社会。さも実力社会の価値であるように年功を軽んじる背景。こんなことの積み重ねで弱いものが犠牲を強いられる社会が出現したのだろう。自分達は、アンチテーゼとして、自分達とかかわったもの総てと手を取りながら進む。俺達の生き様を見ろとばかりに。平和に人生を享受する。小さな幸せを求めて生きる自分達を。同窓生と話しながらそんなことを思ったフェンネル氏でした。
自覚まで外から与えられるものと思っているから自分の行動に責任を持たなくなるんだろう。平気で20もそこら歳の離れたこと付き合える大人。いいことのように言う風潮。その人が、幼い行動しか取れないことも知らないで、若いといっておだてる無責任社会。さも実力社会の価値であるように年功を軽んじる背景。こんなことの積み重ねで弱いものが犠牲を強いられる社会が出現したのだろう。自分達は、アンチテーゼとして、自分達とかかわったもの総てと手を取りながら進む。俺達の生き様を見ろとばかりに。平和に人生を享受する。小さな幸せを求めて生きる自分達を。同窓生と話しながらそんなことを思ったフェンネル氏でした。