フェンネル氏の奇妙な生活

気付いた世界の中の小さな出来事と水彩画と時たま油絵と思いついたことを爺さんが一人語りいたします。

軽い喪失感と豚

2009-04-28 17:10:52 | Weblog
アンドレ ヴェイユが92歳でアメリカで亡くなって娘のシルヴィが,パリのヴェイユ家所有のアパルとマンを手放すくだりを読んでいると喪失感と言う言葉が浮かんできて逆にアンドレが生き生きと文章の中から蘇ってきて、面白い。なんでも、トロッキーもここに住んでたらしく、恐ろしく広いアパルトマンだ。明渡しでシモ-ニュの空になった本棚がすごい存在感で迫ってくると言ってた作者の気持、分かるような気がする。自分も、同窓生を亡くし、軽い喪失感を覚えていたから、なんとなくその本の短い文章にすんなりとはいっていけた。別に、すごく親しいというのではなのに僕が喪失感を覚えるのは、僕らの時代が奪われていくことへの哀惜の情なんだろう。そう思ってしんみりとしていると、飛び込んでくるニュースは、豚のことばかり。「誰が、豚じゃ!?」こんなギャグが昔あったような。豚インフルエンザと言っているが、原因は、人間でしょう?抗生物質入りの飼料で飼育を繰り返し、効率だ、歩留まりだと命を工場製品のように扱って来たせいでしょう。自分たち人間が、恐ろしいインフルエンザウィルスを作りだしてるだけで、豚(トン)だ迷惑な話しだ。豚にとっては。さも豚がいけないような報道だけど。僕らの若い頃に出てきたんだ、このアニマルファクトリーが。高度成長でどんどんフードビジネスが伸びていったとき、マーケッティングの発想の元、工場化されて豚は、いつしか自然の生き物ではなくなったんだ。はたしてここに、サプリメントで構成された抵抗力のない、免疫力の弱い食料としての豚が出来上がった。その豚からインフルエンザウィルスがでて感染するからとワーワー言っても自分たちがウィルスを作って育てたんだから、根本的なことを考えないとイタチゴッコにおわってしまうよ。僕らは、餌をもらって生きてきたんではなく、美しく尊い輝く命をありがたく押し頂いて生きてきたんだ。食料、食ということの見直しにこのことがなればいいな。
コメント
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