フェンネル氏の奇妙な生活

気付いた世界の中の小さな出来事と水彩画と時たま油絵と思いついたことを爺さんが一人語りいたします。

ああ法厳城

2011-12-06 08:28:58 | Weblog
あの城跡へ行って歌を作ろう。「ああ法厳城」かな。「演歌かよ」なんて以前軽口を言い合ってそのままになっていた法厳城跡に行ってきた。今やすっかり俄か郷土史家に逆戻りしたバジル。そのバジルの先祖の城だから今日は気合がはいっていた。まず仁淀川の流域にあるお茶堂から。戦国時代に旅行く人にお茶をふるまって労った場所だ。なんというおおらかさだ。それほど勢力があって強く豊かであったであろうとしのばれる。そこでちょうど土地の人に出会って郷土史家のバジルが質問攻め。そのおばさんが昔のおばさんだったから良く知っているの。「法厳城」は「ほうごんじょう」というとかあそこが城跡といって山の頂上を指して教えてくれたりあの竹やぶを横に行ってキツイ坂を上って行けば出城あとがある。


「こっちぞね」とか「どこからきた?」とかなかなか話がはずむ。バジルが「あのお城とゆかりがある者です」というとすっかり顔がほころんでいた。


「毎年8月14日には盆踊りやりゆきね。見に来て頂戴」と戦国から続いている盆踊りをこともなげにいう。ここの盆踊りは確か有名だったよね。花笠踊りだったっけ
なんか牡丹の花の物語があったと聞いたけど。それから妙福寺によって光綱の首塚に参り出城に登り一路「法厳城」跡へ。


ここは、いまは、岡本神社となっているとのことだがその参道というか城跡までの道が半端な坂じゃない。気分はすっかり冒険家。こんなとこまで車できていいのかよなんて道をひたすらゆっくり走る。後で聞いたら坂の傾度20度だって。手に汗握ってようやくたどり着いたら木々が繁っていて見晴らしはよくなかったけど思ったより広い。


出城や茶堂には云われを書いたものが掲示されていたがここには、何にもない。それだから逆に往時が偲ばれて僕は気持ちが良かった。山城ってよっぽど敵の侵入が怖かったんだろうかこんな厳しい山岳に国の要になる城を築くなんて。この坂を鎧や刀、槍を持って行き来したのかと思うとその体力に脱帽。防衛の本質を見たような気がした。「昔、来た時は見晴らしが良かったのに」とバジル。木がこんなに繁ったということは、随分昔に来たんだね。それでも木々の間から下の仁淀川にかかる沈下橋が見える。そうだろうな、城は威容を示さなければならないから風光明媚なところに立っていたんだろう。眼下に里が見渡せるように。ウ~ン気分は戦国武将だ。帰りは、運転席から道が見えないほどの坂を下りてぜったい会いたくなかった対向車と1台出合ってこわごわの行き違いをクリアして戻ってきた。あ~あ法厳城だった。
コメント
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