正史では、山口県の下関赤間神社の御陵に眠るとされているが赤間神社の資料とされているものは、平家物語以降のものだよね。絵巻も江戸時代にかかれたものだし赤間神社自体が戦争で全焼し昭和40年に復元されたものだから決定的な説得力はないんだ。反対になぜ下関の壇ノ浦で平家滅亡のシナリオを書かなければならなかったのかという角度で考えてみた。これは源氏のデマではないのだろうか。その目的は九州の平家援護者への牽制に尽きると思う。源氏もこれ以上戦線を広げたくない。でも屋島の檀ノ浦では平家滅亡といってもまだ西日本の大半は残っているし九州も控えている「殺す源氏」としては禍根を残すわけにはいかない。ここは、マッチポンプか地元の豪族でも征伐し平家滅亡を喧伝しようとしても無理はない(このからくりに手を貸したばっかりに義経は殺された?余談ですが)と思うのですが。やはり平家の滅亡は屋島の檀ノ浦での戦いにあったのではないだろうか。下関の壇ノ浦とダンの字が違う檀ノ浦ここで決着がついたのではないか。ここから安徳帝の潜幸がはじまる。阿波の祖谷をこえ韮生の里へそこから本山、稲村山、大森山。池川椿山から横倉山へとの道が大方の意見だがその先々で御陵があるので本物はどこだということになってしまう。僕は横倉だと思うけど宮内庁がはっきりしたことを言わず全国あと4箇所を同じく参考地としたから分からなくなるんだ。それに重要箇所としては物部の高板山御陵。発見が遅かったから参考地に認定はされてないけどかなり有力。近くの御在所山には菊と桐の紋をもった社があり「こうのいたやま」とは皇のいた山(高板山)との言い伝えが地元にある。山は自然の要塞といえるほど峻険。守りの点から言えば説得力ある。ここもようチェック。池川の椿山も近隣の人たちとの接触をたっていたというからここもチェック。その他を含めると高知だけでもチェックポイントがたくさんある。来年大河ドラマで「平清盛」が始まる。そうなると平家の里も騒がしくなるだろう。果たして平家は多く語られ訪れられることを800年の眠りを覚まされることを望むのだろうか。浪漫は浪漫を呼ぶ。
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