フェンネル氏の奇妙な生活

気付いた世界の中の小さな出来事と水彩画と時たま油絵と思いついたことを爺さんが一人語りいたします。

初七日

2011-04-20 07:41:48 | Weblog
今日は、初七日。
よくできたもんで、この頃になると気持ちも落ち着いてきて、親父の時は、「無念」であったけれど、母親の場合は「感謝」なんだなと朝、思った。どちらかというと母の直接の死因は、医療ミスだったから無念さが増すものだけど不思議と感謝の念しかうかばなかった。医者は、スミマセンと言ったけれどスミマセンと言われてもな。医療従事者は、結果でしか判断されないからこのことを考えて仕事しなけりゃね。でもパンプは「そんなこといってはいけない。みんな一生懸命やっていただいたんだから」ときっと言うからと思って「お世話になりました」としか言ってない。病院で死ぬということは
考えさせられるね。


初七日の今日は少し寒くて3月初旬並みだという。原発事故は、ロボットも入れないと聞いた。「水棺」と言う言葉もはじめて聞いた。また、日本特有の安全対策が動こうとしている。言葉だけの安全対策が。これにもう騙されてはいけない。人のすることだからミスはある。そのミスを庇うのがウソの言葉だけであってはならない。「水棺」というとそれだけで完璧なイメージで捉えがちだけど誰も見たこともやったこともないんだから冷静に考えなければまた同じことを繰り返すことになる。
今日は、初七日。三途の川のほとりに着く日。緩流か急流か激流か 死んでからも試練があるんだ。でも、パンプならそんなこと気にしない。長い竹竿を川の真ん中に立てて飛び越えるか川の水を飲み干すだろう。「そんなことせられん。ここは、有名な三途の川なんだから」というと「あら、そうかね」で終わっているだろう。彼岸に行くと大変なことになる。だからパンプには、「還流」がいいのかも知れない。
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ゼリービーンズ

2011-04-19 18:17:29 | Weblog
パンプが好きだったゼリービーンズを食べている。赤、桃、白、黄色、橙、紫、緑のコンフェチカラーが楽しくてパンプらしい。子供の頃は、よく食べたけど最近は、ごぶさたしていた。パンプが死んで、「故人が好きだったものをこの袋に入れてあげてください」と和尚さんに言われたとき思い出したんだ。不思議なことに世の中のことなんかどうでもいいんだね。「原発」適当にやって。知ったことじゃない。爆発しようが何しようが好きにして。ただ、原因を作った人が私財を投げ打って収束させてね。それから消費税upの話をしよう。なんだか、頭の中コンフェチカラーで万華鏡みたい。それでいいんじゃないの。中国の野菜と放射能汚染の野菜とどっちを食べる?ってバジルが聞くから「日本の野菜」と即答した。中国の野菜は、即、健康に被害があるけど日本のは、ただちに健康に被害はないんだから。レベルが違うんだよ。それなのに中国で日本の食品の検査が厳しいんだって。笑わせるぜ。でもね、それだけ僕らは、放射能慣れさせられてるんだ。つまり洗脳。そろそろ日本の本当の姿に気づかないとね。パンプが、教えてくれたのかな。
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また泣いて

2011-04-18 16:02:10 | Weblog

また泣いて、パンプの霊前で手を合わせ.いつまでも泣いていてはいけないと思った。スサノオみたいに泣き通すことは凡人にはできないのだろう。パンプの死は、生前に考えていたのとは違って倍以上につらかった。でもそれ以上に感謝の気持ちが強かった。楽しかったね。僕らのあの日。マーチンが描いた一枚の絵。僕ら三姉弟と パンプ。あの日は、もう帰らないけれど・・・・・・。

                           

 

    ありがとう  
   ありがとう

   いままで ほんとうに ありがとう

   こころのおくをあたためてくれて ありがとう

   ほほえみと やさしい手 ありがとう

   あなたへの思いと思い出があるから 明日へと

   向ける。

    

   ありがとう

   いままで ほんとうに ありがとう

   お世話になりました。笑いと涙 ありがとう

   あなたの言葉 噛みしめると みんなにやさしく

   なれそうだ

 

   ありがとう

   いままで ほんとうに ありがとう

もうあんまり泣かない。「いってらっしゃい」と拍手して送ってやろう。それがパンプらしいから。

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パンプが死んだ

2011-04-17 11:38:06 | Weblog

元気だったパンプが死んだ。享年95歳。平成23年4月14日午前4時59分没。  

              

 

                  泣いて泣いて

母の葬儀を済ませてきた。

95歳だったけれど。それで十分だと思わなかった

僕は、泣いた。まだできることがあったと。

みんなでいるときは、ヘラヘラと笑っていたけれど 一人になると涙がでた。

風が吹いては泣き、近所のスーパーへ行っては泣き

空を見ては泣き、自転車に乗っては泣いた。

 眼鏡をかけて泣いた。

 町行く人が見たら可笑しかっただろう それでもかまうものかと泣いた。

 泣きながら歩いた。

夜、寝ては泣き、朝起きては泣いた。

 ボケていてもう話もできなかったけれど 悲しかった。

もっと生きていて欲しかった。

 95歳まで生きてくれたと思いなおして みんなに元気を出そうと言いながら

一人になるとやっぱり泣いた。

 

 葬儀は、家族葬で執り行った。ごく親しかった人だけに参列を願った。僕は、とても疲れていた。

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plane'te

2011-04-13 09:30:58 | Weblog
フランスのLe mondeという新聞では日本の福島原発事故の記事を毎日3分の1の紙面を割いて特集を組んでいるがその紙面のタイトルというかアーチクルとういか紙面の片隅にplane'teとはいっている。これは、原発事故はどこで起こっても地球の問題だというフランスの考え方のスタンスなんだ。アメリカもにたようなもの、ドイツにいたっては原発推進派の議員が選挙で負けたのは福島のせいだと言われている。外国では、ほとんどの国が地球スタンスなのにこの国のスタンスは、地球ではなくまだ、地域なんだ。だから、初期の段階でフランスの援助を断ったり、アメリカの援助を断ったり、問題がまったく分かってなく初動で間違っていまや、レベル7となったんだよ。それでもチェルノブイリよりまだましなんだと発表している平和ボケ。レベル7に差があるのか。まったく本質が分かってないのは、あまりにも自然環境に恵まれていたからなのか。これでは、日本による解決は無理だから国際チームでの解決に期待する以外ない。福島原発で爆発が起こったら、半径1000キロ範囲で放射能汚染となる。日本は、九州の一部と奄美、沖縄以外逃げ場はないんだ。このことを自覚しているんだろうか。まだまだ、日本人の奢り高ぶりが世界に対してあるような気がする。チェルノブイリから避難するウクライナの気のよさそうな可愛い顔したおばちゃんたちの顔や、パンを握りしめてた姿をいま、本で見ただけだけど忘れられない。あの人たち、あの後、亡くなったんだろうか、白血病やなんかで。と思うといたたまれない。25年前のことだけど。
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revel 7

2011-04-12 08:48:11 | Weblog
福島原発事故が1万テラベクレル/hの放射性物質が放出されていたと原子力安全委員会が明らかにし政府は、INES(国際評価尺度)で最も深刻なレベル7とする方向で検討に入った。レベル4から始まって1ヶ月で7まで上がったということは、対策がほとんど効果ないということを物語っている。制御不能。25年前のチェルノブイリのレポートをよんでいると今の事故の対応と当時の対応が何一つ変わってなく政府の対応も当時のソ連の政府の対応と同じで「ただちに健康に被害はない」というものだったもの。放射能の被害についてはまだ誰もはっきりと分かってないんだということが過去の事例から分かったということが分かったレベルで、いま、安全だと言ってる関係者や学者は20年後や30年後まで生きている人達ではないからそんな言葉に惑わされることなくこのレベル7の事実を冷静に判断して退却する勇気を持たなくてはいけない。アメリカでも原発を廃止して適較エネルギーへの転換が進み再利用できる自然エネルギーの利用が進められてるというのにこの国はこんな狭い国土に54基もの原発を持って何するためだったんだろう。政治献金とマネーゲームのためとしか思えないんだが。
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この高楼に登るかな

2011-04-11 17:38:20 | Weblog
長宗我部元親の最初の居城跡に櫓が組まれ元親が見た視線で香長平野が望めるというので行ってきた。


山城跡のテッペンにその櫓は組まれていて「岡豊城望櫓」というのだそうだ。標高97mにある高楼は、一年間無料で開放されており登るとなかなか見晴らしがいい。元親は、「姫若」と言われたほどの美男子だったというから、この天守から睥睨する姿は中々のものであっただろうと想像してみた。人は、自然があっての人ではないのかとあらためて思った。


土地を手放して原発を建設させて事故のためもう其処には帰れないなんて、人の人生ではないよね。いまいろいろ政府と東電が対応しているけど誰も放射能の怖さなんて知ってる者はいないんだぜ。これから何年かかけて知っていくんだろうけど。今の段階で言えば、チェルノブイリの処置をなぞっているだけだと言える。全員退避、チェルノブイリでもそうだった。ソビエトと違うのは、ソビエトは、関係者を罰したけど日本では、多分それもなく他人のうわさも75日とタカをくkっているのだろう。
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チェルノブイリからの教訓

2011-04-10 07:54:24 | Weblog
1986年4月26日Chernobyl原発事故発生。
発生時には世界を震撼させたニュースだったがいつのまにか有耶無耶になって何の教訓も生かされずに今回の福島原発事故を招いてしまったことは、人間の奢りとしかいいようがない。日本の原発推進波の方々は、チェルノブイリは、RBMK1000型で日本の者と方が違うからチェルノブイリには、ならないといまだに言ってるが、チェルノブイリでも炉心溶融、水素爆発、水蒸気爆発と同じことが起こり空気中に放射能を分散させてヨーロッパを恐怖に陥れたんだ。上空からホウ素や砂、トロマイト、粘土、鉛をまいて原子炉を覆い窒素を入れて温度を下げて冷却という手順で収束に向けての対応とした。最後は石棺を作って原子炉を覆ったのだが現在の炉内の温度は80℃と報告されている。まだまだ冷却が続いているんだと思うと制御不能の文字が頭に浮かぶ。チェルノブイリの時も諸外国からロボットや遠隔操作、消防隊とさまざまな援助があって今の日本の状態と同じなんだけどチェルノの時から、いやもっと前から安全対策は進歩していない。というか持ってなかった。チェルノブイリの事故から何も学び取ってないし反省もしていない。フランスのある大臣が、自国の原発建設場所の選定について質問された時「沼地を干すとき蛙に意見を聞くのかね」という返答だったときから原発は何の進歩もしていない。チェルノブイリと違うと言いながらチェルノブイリでもやらなかった放射能汚染の水を海に放出している日本。あれは、設計ミスの炉と人的ミスだからと言いながら日本の炉もGEが設計ミスがあったと言ってるのに。あとは、ホウ素を入れるか入れないかの
差でこれといった新しい手はないんだから。「制御不能」このことを忘れてはいけない。ドミトリ・カズチン氏が、チェルノブイリ事故についての記事を書くにあたり引用した言葉「小百姓は、雷に打たれるまでは十字を切ろうとしないものだ」。これをどう考えるか。
今でも、マスコミのコメンテーターが「原発は必要です」などと軽々しく発言しているが、軽薄の輩のそしりは免れない。そりゃぁ、広告費が欲しいのは分かるけど、そのレベルの話ではないのだから。
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反原発の歌

2011-04-09 08:39:05 | Weblog
『ずっとウソだった』 作詞:斉藤和義

この国を歩けば、原発が54基
教科書もCMも言ってたよ、安全です。

俺たちを騙して、言い訳は「想定外」
懐かしいあの空、くすぐったい黒い雨。

ずっとウソだったんだぜ
やっぱ、ばれてしまったな
ホント、ウソだったんだぜ
原子力は安全です。

ずっとウソだったんだぜ
ほうれん草食いてえな
ホント、ウソだったんだぜ
気づいてたろ、この事態。

風に舞う放射能はもう止められない

何人が被曝すれば気がついてくれるの?
この国の政府。

この街を離れて、うまい水見つけたかい?

教えてよ!
やっぱいいや…

もうどこも逃げ場はない。

ずっとクソだったんだぜ
東電も、北電も、中電も、九電も
もう夢ばかり見てないけど、

ずっと、クソだったんだぜ

それでも続ける気だ

ホント、クソだったんだぜ

何かがしたいこの気持ち

ずっと、ウソだったんだぜ

ホント、クソだったんだぜ



ストレートな表現でよく出来ていると思う。斉藤さんのヒット曲「ずっとすきだった」の替え歌として作られたそうだがいまの日本人の庶民の心だろうね。
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桜も終わり、原発も終わる

2011-04-08 09:20:38 | Weblog
今日は、雨。これで満開の桜も終わる。


昨日のうちに桜をたくさん見たから今年は大満足。


お弁当にもフルーツつけてちょっと豪華にしてみました。


今年は、電力への関心からダム湖巡りが多かったのですがダム湖の周りには桜がたくさん植えられているから自然と見に行くことになるのかな。


これだけ電気を消費する社会を生み出したのは小泉構造改革でアメリカの超属国化が進んだからかな。郵政民営化で富の再配分を考えたまではよかったんだけど竹中が取り違えてアメリカに郵便貯金をやってしまったことから日本の国力は高い坂を転げ落ちるように下がっていった。そのどん底からやっと這い上がろうとした矢先に地震津波。それに原発事故。日本の無力さが世界に公表されたことは、かえってよかったことかもしれない。このまま突き進んでいたら騙されたまま日本滅亡の一端を担わされていた。東京の電力消費のために原発を動かしていたなんて田舎は、東京の犠牲でいいのかということを目の前に示してくれたことは福島県民の目をさまさせるに十分だったであろう。IAEAのウクライナ当局者が「日本は、問題点をはあくしているのか伝わってこなかった」と言ったと言われているが、日本でも伝わってこないんだからそれはそれで正解なんだろう。学者は、学問の自由でいろんなことを言うだけで役に立たないと言うことも分かったし、土建屋は儲けたいだけで原発はいるといってるだけだし、原発に群がる利権の構図と言うのもこの事故のおかげで見えてきた。こんな制御不能のものは、持ってはいけない。東京が暗くても何の文句もない。原発は、止めるかやめるかの二者択一しかないとラジオで言っていた。まさに明快な回答だと思う。
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