よくできたもんで、この頃になると気持ちも落ち着いてきて、親父の時は、「無念」であったけれど、母親の場合は「感謝」なんだなと朝、思った。どちらかというと母の直接の死因は、医療ミスだったから無念さが増すものだけど不思議と感謝の念しかうかばなかった。医者は、スミマセンと言ったけれどスミマセンと言われてもな。医療従事者は、結果でしか判断されないからこのことを考えて仕事しなけりゃね。でもパンプは「そんなこといってはいけない。みんな一生懸命やっていただいたんだから」ときっと言うからと思って「お世話になりました」としか言ってない。病院で死ぬということは
考えさせられるね。
初七日の今日は少し寒くて3月初旬並みだという。原発事故は、ロボットも入れないと聞いた。「水棺」と言う言葉もはじめて聞いた。また、日本特有の安全対策が動こうとしている。言葉だけの安全対策が。これにもう騙されてはいけない。人のすることだからミスはある。そのミスを庇うのがウソの言葉だけであってはならない。「水棺」というとそれだけで完璧なイメージで捉えがちだけど誰も見たこともやったこともないんだから冷静に考えなければまた同じことを繰り返すことになる。
今日は、初七日。三途の川のほとりに着く日。緩流か急流か激流か 死んでからも試練があるんだ。でも、パンプならそんなこと気にしない。長い竹竿を川の真ん中に立てて飛び越えるか川の水を飲み干すだろう。「そんなことせられん。ここは、有名な三途の川なんだから」というと「あら、そうかね」で終わっているだろう。彼岸に行くと大変なことになる。だからパンプには、「還流」がいいのかも知れない。