homelandsのキャリーにはいつもハラハラドキドキさせられる。「もうやめとけ」という苛立ちも。そういう役なんだろうけどクレア デインズの演技には恐れ入る。まさに狂気と紙一重のところで演じきっている。オレだけかと思ったらアメリカでもキャリーはcrazy Ladyというのだそうだ。文化は違えども受ける印象は同じなんだね。当たり前のことかもしれないけど。一方ミャンマーにもキャリーのような女性がいて自宅軟禁や拘束にも屈せずこの度、ミャンマーの民主化へとミャンマー総選挙で自らが率いる「国民民主連盟」を圧勝に導いたアウンサンスーチー女史。このひともcrazy Ladyなんでしょうね。どうすればあんだけの強い意思がもてるのでしょうか。意志薄弱で軟弱を絵に描いたようなオレには遠く理解が及ばないところでありますがいよいよ世の中「Crazy Lady」の時代となったのでしょうか。そんな気がしてきました。
今年はフェイジョアが沢山なってうれしい。
カリウムとビタミンCが豊富な南米産の果物
ウルグアイあたりではボニータが朝食に
食べてるんだろうな
実は熟して木から落ちる
それを拾うそれだけのことだけど
香りが甘く拾うているだけで幸せな気分に
なってくる
大きさは金柑くらいかな黄色くはならないけど
なんか「やんごとなきお方」がほんの少し
聞こし召すような雰囲気を持った果物だ
朝食に「ほほほ」と言って食べている
カリウムとビタミンCが豊富な南米産の果物
ウルグアイあたりではボニータが朝食に
食べてるんだろうな
実は熟して木から落ちる
それを拾うそれだけのことだけど
香りが甘く拾うているだけで幸せな気分に
なってくる
大きさは金柑くらいかな黄色くはならないけど
なんか「やんごとなきお方」がほんの少し
聞こし召すような雰囲気を持った果物だ
朝食に「ほほほ」と言って食べている
雨が降っていた。立冬だと言うのに寒くはない。
額に蚊に刺された痕が残っている
寝てるときに刺されたらしい
とんだ間抜け面だ
ふと
サマルカンドって言葉が浮かんだ
どこだ?
ウズベキスタンの古都らしい
月即別
漢字での表記はそうらしい
シルクロードのオアシス
中央アジアの国
美しい国らしい
昔はペルシャであったり
元のハーンの国であったり
したんでしょうね
ペルシャンブルーっていうくらいだから
サマルカンドも青がきれいなんでしょうね
立冬の朝に
こんなこと思うなんて
冬はイメージする季節なんですかね
寒くて動きづらくなるからね
そういえば僕はまだ半袖のTシャツなのに
県外から来た友人は
ダウンジャケットを着ていたな。
季節の感じ方が受け入れると
挑むとでは違うんだね
もちろんボクは挑む方だけど
額に蚊に刺された痕が残っている
寝てるときに刺されたらしい
とんだ間抜け面だ
ふと
サマルカンドって言葉が浮かんだ
どこだ?
ウズベキスタンの古都らしい
月即別
漢字での表記はそうらしい
シルクロードのオアシス
中央アジアの国
美しい国らしい
昔はペルシャであったり
元のハーンの国であったり
したんでしょうね
ペルシャンブルーっていうくらいだから
サマルカンドも青がきれいなんでしょうね
立冬の朝に
こんなこと思うなんて
冬はイメージする季節なんですかね
寒くて動きづらくなるからね
そういえば僕はまだ半袖のTシャツなのに
県外から来た友人は
ダウンジャケットを着ていたな。
季節の感じ方が受け入れると
挑むとでは違うんだね
もちろんボクは挑む方だけど
バルというからスペイン風な居酒屋と思いきや「土佐バル」といって高知の地酒を3種セットで飲ます店だった。県外から友人が来たので土佐の酒自慢とばかりにここに連れて行った。まずは「90分でお願いします」との時間制限。それもそのはず土佐の酒飲みのながッチリにあったらかなわないよね。今日のセットというのがA,B,Cとあって酒の種類が決められている。まぁせっかく県外から来たんだから美味しい酒をという理由で司牡丹、美丈夫。亀井泉の3種を選んで勧める。ついでに自分の好みで志ら菊と南を加える。セットは各30ml追加の単品は60mlとのみやすい量なのがうれしい。そこへ清水鯖の刺身を頼んで土佐の宴会の始まりだ。土佐檜だろうか木作りのテーブルと木箱の椅子。枡のコースターと雰囲気は盛り上がる。金曜日とあって客が多い。外人さんの団体に観光客と次から次へとやってくる。「いつもこうなの」と聞くと「週末はね」とのこと。もう少し落ち着いてのみたいなと腰が浮き加減。それでも高知の地酒なんか飲んだことのない友達は大満足の様子。「ここは人が多いから出ようぜ」と言っても「まぁもう少し呑んでいこうや」とどちらがホストかわからない。そうだなあと1坪くらい広ければ「バル」って言ってもいいんだけどな。これじゃ立ち呑みバーと変わらないかな。でも高知の酒は美味しいね。
絵画教室土曜クラスで野見湾にスケッチに行ってきた。
スケッチといっても誰も絵を描くことはない
写真を撮ることに専念
そん写真を元に絵を描くから。
一応スケッチブックは持っているのだけど
ゆっくり落ち着いてはいないから。
野見湾ははじめてだ
いい景色。のんびりおだやかな海
魚屋は朝早くから店を開けていたんだろうか
昼前と言うのにもう店じまいしていた
この近くのお寺の階段の下が
県展の写真部門で特選になった作品の
現場ですよと教えてくれた
別に特別じゃない日常を切り取って
作品にまで仕上げる
芸術だねと感心。
ここが現場かと感激。
港に行くと潮の香りが
久しぶりだな海の匂い。
スケッチといっても誰も絵を描くことはない
写真を撮ることに専念
そん写真を元に絵を描くから。
一応スケッチブックは持っているのだけど
ゆっくり落ち着いてはいないから。
野見湾ははじめてだ
いい景色。のんびりおだやかな海
魚屋は朝早くから店を開けていたんだろうか
昼前と言うのにもう店じまいしていた
この近くのお寺の階段の下が
県展の写真部門で特選になった作品の
現場ですよと教えてくれた
別に特別じゃない日常を切り取って
作品にまで仕上げる
芸術だねと感心。
ここが現場かと感激。
港に行くと潮の香りが
久しぶりだな海の匂い。
仁淀ブルーで有名な「にこ淵」に行ってきました。車を停めて道路の上から底を見れば青い滝壺が見えてくる。そこに行く道に案内が出ているのでその道を進む。地面は湿って滑りやすい。アイゼンとまではいかなくてもストッパーが欲しいくらいの傾斜。ここから直線的に降りていくのかロープがぶら下がっている。ロープに捕まって下りる。下の地面がぬれてドロドロなので足に力が入る。人気スポットだからオバちゃんもオネェちゃんも降りる。登る。20代の女の子だろうかスカートで来てた。パンツ丸見えじゃないか。まぁ登る時に下に彼氏しかいなかったけどちょうど僕が降りる時にすれ違ったから「スカートでえらいね」というと「えへへ」だって。足元に注意して下りる。下りたらまたロープこれもキツイ。そしてまたロープ。こんどは短い。最後に梯子。梯子を下りると滝壺の岩場。この岩が苔がべっとり生えていて滑る。それでもここで弁当食べてるツワモノがいる。寒いのに。陽が当たるのを待つ。陽が当たらないとエメラルドグリーンなのかな。陽が当たると滝の下に虹がかかる。すると水面がブルーに。
これぞ仁淀ブルーと歓声を上げる
色は時間とともに変化する
帰りは一人ずつ登ってと待ってる間に写真を撮る
ロッククライミングの雰囲気だね。それにしてもオバちゃんたちはエライ。普段履いてるようなビニールの婦人靴でドンドン降りて来るコロンでも滑っても平気の平左。少々泥んこになっても気にしてない。「もう滑るちや」と道が悪いと言い切る。それでもこの青さに口をポカンと開けて呆然としているサマなんか「いとおかし」。「にこ淵」行ってみる価値はあるよ。
これぞ仁淀ブルーと歓声を上げる
色は時間とともに変化する
帰りは一人ずつ登ってと待ってる間に写真を撮る
ロッククライミングの雰囲気だね。それにしてもオバちゃんたちはエライ。普段履いてるようなビニールの婦人靴でドンドン降りて来るコロンでも滑っても平気の平左。少々泥んこになっても気にしてない。「もう滑るちや」と道が悪いと言い切る。それでもこの青さに口をポカンと開けて呆然としているサマなんか「いとおかし」。「にこ淵」行ってみる価値はあるよ。
冬が来る前にとあせっているのはヨーロッパだ。難民の受け入れがうまくいってないのに冬が来れば避難民は凍死の危機に直面するからだ。政権の暴動を許したことのツケとISISなんてわけのわからない連中に浸けこまれたツケとで避難する以外の道はなかったのかもしれないが彼らの前途に安らぎがくるのかはヨーロッパの受け入れ対策にいまのところかかっている。冬が来る前に解決するのだろうか気に掛かる。体制はどうであれ近くの中国に行けばよかったのにとも思う。なんせ世界第2位の経済大国なんだからそして高齢化で困っているんだから中国になだれ込めば中国も早期に変わったんじゃないかな。と夢想する。でも現実、避難民でさえ中国の共産党体制はいやだろうな。自由を求めて避難するんだろうから。それでもローマ帝国の崩壊はゲルマン民族の大移動から始まったんだから民族の移動の力は無視できない。例えば中国に避難民が行ったとしたら中国は射殺するだろうか。国際法上それは出来ないと思うのだが。なんせ無茶苦茶な論理で押し通す国だから予測不能。冬が来る前にどうにかなればいいが・・・と日本の冷たい対応も含めて案じるばかりです。
明治時代の小学校の教科書の国語の載っている本を図書館で借りてきた。「江戸かな」というのかこれが読めない。漢字は当用漢字ではなく旧漢字だからこれも読みづらい。小学校でこんな文を読まされてたのかと思うと日本人の知的レベルの高さがわかって面白い。「信の一字は人間に欠くべからざる必要のものにしてこれをければ厚き交際は決して成り立つことあたわず」とかの内容を旧漢字と江戸かなで書いてある。修身というかなんか演歌に通じるものがあるのかな。これじゃ今ほど悪いヤツは育たなかったんだろうとおぼろげながらに感じた。日本人の強さの基本が教科書に表れているようだ。グローバルではないけど内省的能力を高めるように江戸時代から続いている日本人の精神の継続だったんでしょうね。それは大正をへて昭和初期にと続いていったんでしょうね。となんとか苦労をしながら明治高等小学校の教科書を読んでいる。なんだか背筋をのばして姿勢を正しくしなければという気になってくる。教育の力は大きい。
自分はまだまだ半袖のTシャツに半パンなのですがマーチンの家に行くとストーヴがついていました。ビックリ。そろそろ冬支度なんでしょうか世間様は。そういえば猫が度々家に戻ってきます。やたらと膝の上に乗ったりします。寒くなったのでしょうかね。猫は思いのほか寒さに弱いと聞いてますが我が家ではそういう弱気では生きていけないということを分かってるはずなのに寒くなると家に何回も戻ってきては少し体を温めて出て行く事を繰り返す。毛布を構えてあげなくっちゃと思うもののオレが半袖なのにとブツブツ。半袖ももうそろそろだね。だから猫には毛布を構えてやろう。ストーヴはまだ先だけどとまたブツブツ。猫もその辺はよくわかってるのか毛布を貰って包まってスヤスヤ。出て行かなくなった。もう一匹はまだ外にいるけど。今日は腰が痛くて起きた時歩行困難だった。これも体が冷えているせいかな。気をつけよう。いつまでも若い時のまんまではいけないんだから。今日は長袖着ようかな。
美術の秋というわけでこのところ絵画教室では街中で開かれている小さな絵画展を自転車で巡ってます。ママチャリと不快車とおんぼろロードレーサーで。やはりというか当たり前というか絵を描くヤツは自己主張が強いから絵が上手い下手は別として自力で会場借りて個展を開くのだ。今日もその一つ。今まで行った個展で良かったものはない。一人よがりの度がすぎてというのが感想なんだろうか。でも人の欠点を見つけるのでなく良かった点を覚えて帰れとある本に書かれていたからそれを実践するように心掛けている。小さな会場だと作者がいていろいろと話ができるのがおもしろい。自信たっぷりに製作過程を滔々と話す人がいればやたらと謙遜しながら説明してくれる人もいる。たいてい謙遜している人のほうがいい絵を描いている場合が多い。もちろん主に水彩画展を中心に見に行くわけだが「うちも負けてないね」というのがせっちゃんのいつもの感想だ。この日も水彩画展を見終わった後で「目治しに日本画展を見に行こう」とのたまわった。異議なし。小さな美術館の館長の日本画個展。こっちはレベルが違う。芸術作品。参考になりましたとばかりのせっちゃんの感想。でもこじんまりと纏めすぎて迫力が伝わらないと僕の感想。絵ってむつかしいね。技術がなければ話にならんし。伝えたいものが伝わらないと絵ではない。それにその人の生きザマが関わってくるからややこしい。安全圏にいた人の絵は安全だしアウトローならアウトローのエネルギーが垣間見える。最近そんなエネルギーの滾った絵にお目にかからない。これも時代かなと何でも水に流す水彩画をやってるわりにはそのエネルギーをどこかで求めている。「もうちょっと心に響く絵が見たいな」「あたし、大丸でオカズ買うて行くき」とせっちゃん。「なんだそりゃ」現実はこんなもんですけどこれがうちの絵画教室のいつもの姿です。絵画教室の中では一番上手い絵を描くせっちゃん。信じられん。