立秋を過ぎた8月は少しづつ日が短くなっているのでしょう、
5時起床時の窓の外は真っ暗。
禅堂に着く5時50分、もう明け切った秋の空。
堂内では、すでに老師の坐禅姿が見える。
6時定刻には少し早いが、
仲間と静かに禅堂内へ、着座。
午前6時の時報(梵鐘)、今朝は坊守様の担当か、
老師は着座のまま。
着座して8分、小鐘3つ、坐禅会のスタートである。
コロナ感染防止のための坐蒲(サブ)の位置もディスタンス
少し遅れた参禅者の足音以外は、静寂の世界。
いつもは老師の坐中のお話が始まるのですが、
今朝は無い。
坐の姿勢を検査される「検単」もない。
私は、しからばと、「坐禅の3要素」、
姿勢・整息・心の持ちようをしっかり自己復習。
特に「出し入れする呼吸に注目」
その長さは個人により自由ですが、
「素早く吸いゆっくり長く吐き出す」その動作は決められ、
口を閉じ、鼻のみの動作となります。
平素は無意識の呼吸、簡単そうでこれがなかなか難しい、
「両手を合わせた法界定印」この中に意識を集中
この動作がうまくいっているのかを意識するのです。
静寂の禅堂、意識がずれると、
せみ時雨、野鳥の声も雑音として耳に入る、
集中出来るとこれらはかき消される、
不思議な世界を感じで業ずるのです。
無意識でする呼吸を、意識してする、これだけでもいい経験になります。
こんな繰り返しで、老師の無言の30分。
(坐中のお話の無い無言の30分は長い)
突然の小鐘2つ、?、この鐘「径行鐘(キンヒンショウ)」、
坐禅を中止して、道内をゆっくり静かに歩行する業、
「立禅」へ移行する合図。
右回り、「1息半歩」右足から出る、ひと呼吸に足半歩前進する、
ゆっくりとした歩行になります。
15分、小鐘1つで終了。
1炷(チュウ)40分、立禅が入り、
足の痛さなど、普通起こることもある苦は起きない時間でした。
「高砂百合」が随所に咲く「義宣寺境内」。
今朝は仲間2人でモーニングへ、
市内のレストランも感染対策ステッカーが。