鳥居の笠木や貫に小石を投げてそこにのると「いいことがある、願いがかなう」、子どものころには誰からの言い伝えか分からないが、何度か試した。のったことがあるかどうか、定かな記憶がないから、成功をしていない、から、今のこのような状況なのかもしれない。
鳥居は神のもの、文化財である、石を投げるのは破損行為である、のっている石がいつ落下するか分からないので危険である、などなど子どものころに夢を託したの石投げは単なる投石ということになる。この風習は各地で見られるというから、それなりの意味があったのだろう。
灯篭の空間に積み上げた石もある。ここなら投げなくてもいい。よく見ると丁寧に置かれている。一気に積んだのか、お参りのたびに重ねていったのか、誰かが置いているのを真似て多数の人が繰り返したのか、確かめる方法はない。色も大きさもそして形もまちまちな石だが、ひとつひとつに何かの意味があるような気がする。
石のような奴というのは融通のきかない男、石にかじりついてもやるのはどんな苦労もいとわずになすこと、石に灸は効目のないことをあらわす。辛抱し成功すると石の上にも3年と讃える。日常生活の中に石にまつわる言い回しはいろいろある。
「雨垂れ石を穿つ」という。あの硬い石も同じところに落ちる雨垂れに長時間打たれると穴をあけらることを言い表す。「微力でも根気よく続けるとことは成就を約する」と教える言葉。大きなことを願うわけではないが、綺麗な石ころを拾い、人に見られないように1個重ねた。
(写真:灯篭に詰められた石のいろいろいろ)