
さて今日はどちらに行こうか、思案する程のことではないが散歩、散策、ウオーキングに出かける時、家の前の四つ辻でちょっと足を止める。南は旧城下のはずれで、戦国の頃、攻め込んだ敵を迷わせたという迷路のような小道に家屋が並ぶ古い町並み。北へ一直線に進むと、かって栄えた商店街を通り過ぎると錦帯橋畔に至る。
西、こちらは国木田独歩の住まいがあった一角につらなり、市内で最長の愛宕橋上流、河川敷にある自動車学校のコースが広がる。東に進むと小学校や図書館、公民館、郵便局や金融機関、交番もあり地域の中心的地域で他よりは開けた感じになる。
手のひらサイズのデジカメはポケットに、退職前から使って、電池は何度か交換したが長い付き合いの歩数計をバンドに留める。歩き始めるとたまに精度を確認する。200歩でわずか1歩か2歩の誤差しか生じない優れもので手離せない相棒となった。これに脅迫されて歩を進めているのかもしれない。
この時期はどちらに向かっても季節の花々が見られる。よく手入れされたもの、我がまま気ままに伸びたものや雑草に守られるように囲まれた花は自然のまんまで逞しく見える。洒落た鉢に植わっているのは育ちの良さを感じるが甘えん坊に見える。みんな違ってみんな面白い。
解体された家跡は空き地のままか貸し駐車場になり「売り地」の立て札も多い。土塀はブロック塀に変わり、庭の菜園は自家用車の車庫に変わる。歴史のままでは社会様式の変化について行けなくなる。古い街並みを残す、保存しようという声はよく聞く。そこに住む人の本当の声はどうなのだろう、車の通行も容易でない狭い道を歩きながら思うことがある。