
ところが、世の中には、よいことがあればその裏がえしのような悲しいことがまっているものです。その例にもれず白銀屋さんのいえにも悲しみごとがまっていました。というのは、このはなよめさんはふとしたことから病気になり、いく日もたたないうちに、なくなってしまいました。
さあ、たいへんです。今までのよろこびがいってんして大きな悲しみとなり、白銀屋さんのいえは、火の消えたあとのように、沈んでいきました。がっかりしたのは、孫三郎さんだけではないのです。いえのものもポカンとしてあっけにとられどうしたらよいかわからないくらいでした。
それからおそうしきもすみいく日かすぎていきました。むかしのことで、家のものが、しなもののしょぶんをすることになり、その中に内裏びなもはいっていました。いえのものが「このだいりびなも入札しようではないか。なくなったものは、しかたないから」と、いえば、孫三郎さんもしかたなくさんせいしました。
それから、買手をあつめて、きょうばいにしましたところ、かじや町に住んでいた長谷屋助左衛門さんという人が、内裏びなを買うことになりました。お金を支払って、おうちへもってかえるのに、とても大きくてもてあましたくらいでしたが、なんとか、お家までもってかえり、ながいあいだ、家のかたすみにどかりとおいて(その中なんとかしよう)と考え、しばらくそのままにしていたということです。
文化11年の2月の中ごろのこと助左衛門さんは、家族のものを一間にあつめて、「じつはな、白銀屋さんから買った内裏びなのことだがな。あまり大きくて、使いものにならない。わたしもながい間もてあましている。なにかよい方法はないかね」といいますと、おばあさんが、「大きな内裏びなで、じゃまものになるかも知らんけどな、これは広島の泉屋屋さんに伝わったもの、粗末にしてはなるまいのう」といいました。
「こういうようにご先祖から伝えられたものは、大切なもので、この内裏びなにも、しょうねがあるわいな、助左衛門や、おまえの考えはどうじゃな」と反対にたずねました。助左衛門はこれに困ってしまい、おいておくのもじゃまになるし、そのままではだれも買ってくれそうにないことがわかっています。
「おばあちゃん、わたしも困っています。じつは、内裏びなをとき売りにしたらという人もあるので、そのこともみんなに計ってみたらともかんがえたのよ」といってあとはだまってしましました。 (つづく)