日々のことを徒然に

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金正院の内裏雛

2014年03月04日 | 昔のお話し


 もう一日ほど内裏びな。2014年2月15日の「広報 いわくに」に、岩国の昔ばなしとして先に載せた「内裏びな1~3」のお話が載っている(全文)。

 その音、錦見の自銀屋孫三郎という商人が、広島の和泉屋という商人の娘を妻として迎えました。その際、和泉屋では何代にもわたって伝来していた雛人形を与えて嫁入りをさせたそうです。
 しかし、その娘は間もなく亡くなってしまったため、雛を入札で手放すことにしました。その結果、鍛冶屋町(現在の岩国二丁目)の長谷屋助右ヱ門が買い取ったのですが、雛があまりに大きかったために次の買い手がつかず、長い間、助右ヱ門の店にありました。
 その後、文化11(1814)年2月12日ごろ「体は人形遣いに売って、衣装は袋物(袋状の入れ物)などに仕立てて、ばら売りにするのが良いのではないか」という買い手がおり、助右ヱ門はそれに同意しました。
 ところが、15日の夜から、助右ヱ門の家でどこからともなく泣き声が聞こえ、籠(笛の一種)のような音がして、また次の夜も同じことが起こりました。そこで、近所の人たちと相談して、家の中をいろいろ探し、床板も剥がしてみましたが、何も見つかりませんでした。
 さらに詳しく調べていくと、戸棚の中から聞こえるようなので、開けてみると雛櫃(箱)があり、その中から聞こえるという結論になりました。
 ふたを取ってみると、女雛が額から汗を流して泣いており、皆が奇妙な思いをしたそうです。その後、これを伝え聞いた大勢の人々が集まるようになったため、助右ヱ門は雛を自銀屋へ返し、自銀屋はこれを金正院にあげることとしました。これが「金正院の内裏雛」です。

 なお『岩国沿革志(怪談録追加。実事談)』編者の藤田葆は、幼いころに金正院でこれを見て、2 ・3歳の子どもくらいの大きさがあるため処理に困っていたのももっともであること、その後、住職に確認したところ、半分くずれ落ちていたために川へ流した、と答えられ惜しいことだと記してぃます。

  金正院:大明小路(現在の岩国一丁目)にあった寺で、明治に入って川西の観音院と合併し、
       現在、同名の寺が川西にある。
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