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2020東京オリンピック&パラリンピック(東京オリパラ)開催まで半年余りになった。メダル有望選手の紹介頻度が画面や紙面で増えた。大会への盛り上がりを図るには欠かせない企画だろう。見る方、読む方をいかに引き付けるか編集者の腕の見せどころでその冥利に尽きるだろう。ただ、演出過剰、メダルを獲得したかのような表現を感じることもある。演出過剰は戒めたい。
報道で知る選手のメダルへに向けての闘志、それを知ると頑張れといつのまにか応援をしている。その努力する姿には、現在は死語かもしれないがかっての「根性」という気概を感じる。練習に立ちはだかる、記録アップを妨げるなどの困難に挫けず立ち向かう精神は根性があってこそと思うのは古い考えだろうか。
根性を入れろ、と言われ押し付けられて向かう鍛練では根性物語は成功しないだろう。報道で紹介される選手らは「メダル獲得という高く大きな目標を持っている」からきつい練習に励める、これを根性だと思う。ある調査で「根性論は必要か」という問いに4割近くが肯定し、年代があがるにつれて高いという。意外なのは10代女性の肯定割合が少なくないという。根性論は支持されているようだ。
と言いながら、自分に当てはめるとどうだろう。何かにつけて年齢を言い始める。後期高齢者に公認されているので年齢をはばかることはないが、それに甘えることなく、年齢や体力に見合った目標を定め根性の限りと言いたいが、身にあった生活をしていくことだろう。根性とは「物事を成し遂げようとする精神力」、この解釈が好きだ。