日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

ダースという単位

2011年07月11日 | 生活・ニュース
           

日本に来たアメリカ人が不思議な顔をする。国情に文化や風習が違うからいろいろあって当然のことと思うし、それを疑問にも思わない。そんな話のひとつ。スーパーで買う卵、日本では10個入りのパックだ。アメリカではそれが12個になっている、そうだ。

なぜ1ダース12個でないのか、これが不思議というのだ。年金生活の夫婦2人だと、特別の卵料理でもしない限りこれで十分、購入サイクルが短ければ新鮮なそれが求められる。2Lのお茶は箱買いで半ダース、350ccの缶ものもは1箱で2ダース、箱入り瓶ビールの運びやすいのは半ダース、無意識でダース単位の買い物をしているようだ。

そのアメリカのシャトルが30年の歴史にピリオドを打つことになった。その最後を担うアトランティスがニュージーランド上空で国際宇宙ステーションと最後のドッキングに成功した。任務を終えて帰還するのは日本時間20日の夜になる。

宇宙への夢という意味では月面着陸。アポロ11号から月面へ降りたった時の2人の映像は今も記憶にある。ではアポロで月面に降りたった男達は何人でしょう、即座に答えれる日本人は少ないという。その時は1ダースということを思い出してください。

アポロ11号~17号が月面へ向かった。毎回2人が月面へ降りることになっていたが、13号は機械船の酸素タンク爆発で着陸を断念した。7回の飛行で6回着陸、12人となる。13号の事故のとき、飛行士は地上の管制官や技術者たちの援助で無事帰還できた。それにもまして飛行士ら自身の優れた危機管理能力が高く賞賛された。

国際宇宙ステーションへ日本製の有人飛行船がドッキングするのはいつだろう。それまでは補給機としての「こうのとり」に世界の期待がかけられている。そのひとつに観測機器などの大形機材が運べるという。宇宙の話しになるとつい長くなる。

(写真:最後のドッキングをしたアトランティス、netニュースより
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見事だ

2011年07月10日 | 生活・ニュース
           

サッカー・女子ワールドカップドイツ大会は日本時間の10日準々決勝をが行われ、日本は3連覇を狙う開催国のドイツを延長の末、1-0で下す大金星で日本女子史上初の4強へと駒を進めた。

試合は0-0で迎えた延長後半3分、沢の右サイドへのパスに走りこんだ途中出場の丸山がディフェンダーと競り合いながらゴール左隅に決めて1-0とリード、その後のドイツの猛攻をしのぎきった。実況とその解説者の我を忘れた声が喜びをあらわしている。街の声はあと2勝を願っている。それは優勝ということになる。

そんな嬉しいニュースに喜んだかのような梅雨明けの空、明け方のうす曇りを跳ね飛ばし抜けるような青空になった。それだけではない、喜びの熱気は気温を遠慮なく押し上げる。人と自然の思いが何かひとつになったようだ。エアコンは遠慮気味にしクールタイをサポーターに使っている。

ドイツに勝利した「なでしこジャパン」、この愛称は大和撫子という日本女性の美称から名づけら、2004年のアテネ五輪からという。日本限定をあらわす大和でなく世界に羽ばたく日本女性という大きな願いが込められている。

日本時間14日の未明、豪州とスウェーデンの勝者と準決勝を戦うという。また暑い日になるのだろうか。

(写真:撮った方角には雲ひとつなく真っ青だった)
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梅雨明け

2011年07月09日 | 自然 季節
           

山口県は中国地方でありながら北部九州地方に合わさせるのが気象台の管轄。梅雨入りもそうであったが「山口県を除く中国地方は梅雨明けです」と昨日発表された。昼前帰宅したら、今日、北部九州の梅雨が明けたので山口県も同じとローカルニュース。

今年は梅雨末期の大雨の心配をしなくて済んだ。しかし、明けたと聞くと蒸し暑さが、昨日までより増したように感じるのは身勝手だろうか。強風注意報が出ているぶん多少風があり、木陰に入ると汗が遠慮してくれるようだ。

近くで大きな工事が行われているが日陰はない。いま基礎の鉄筋が組まれている。L字に加工されたそれが組まれる。一般の住宅の幾倍もあり獣の檻のように仕上がっていく。積みおかれた鉄筋は日ざしで熱くなっているようだ。黙々と作業に取り組む人の額からは汗が流れる。

孫は中学1年。進級して初めての期末テストが済んだ、と嫁から家内へのメール。テストの様子は分からないが、またひとつ新しい経験を積んだ。部活などもあり、中学受験準備一色の昨年とは違った夏を過ごすだろう。昨夏は帰省しなかった。

今年はどんな夏がやってくるのか。いろいろな人のいろいろな夏がやってくる。

(写真:今年は天然の涼を探してみよう)

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失敗学2 怠るな

2011年07月08日 | 生活・ニュース
           

講演再録を読み始めてすぐ現役時代へ逆戻りした。建設から30年近く稼働していたあるプラントの休止が決まっていた。休止の理由について社内教育で工場長はこう説明した。

これまで安全安定運転に勤めてくれたプラント運転関係者の皆さんに休止することを、申し訳ないと誤らなければならない。休止の理由は「プラントの成就期に次へのスッテプに向けた検討を怠ったから迷惑をかけることになった。成就期の次の衰退期への対応が遅れた。経営の責任だ」

需要減や装置の老朽化などを休止の理由にすれば誰もが納得する。いつかは他社で競争品が生まれたりプラントは老朽化していく。それへの対応は常々するべきで、そこを怠っていた、という非常に分かりやすい説明だった。畑村教授は成就期の終わりは初めから30年位といわれる。

工場長は説明にあたり、横軸に時間(年)、縦軸に生産量をとり、時間の経過とともに生産量の増加を示した。30年目のころからその線が下降を始める。頂上にいたる前が成就期、下降線の側に衰退期と記入した。

一見すると安定して製品が生産でき、トラブルが起きなければ全てが上手くいっているように思える。そこに気付くには積み重ねた経験がいるのだろう。独占的な製品を生産しているとなおのこと疎くなっているだろう。

読み始めて、いきなり経験した事例と同じ説明に出会った。さらに読んでみようという気にさせた。

(写真:餌という目的を持って見逃さなように見つめるアオサギ)
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失敗学とは 1

2011年07月07日 | 生活・ニュース
           

政府の「東京電力福島原子力発電所における事故調査・検証委員会」の委員長に就任されたのは畑村洋太郎氏。現在は工学院大学国際基礎工学科教授、東京大学名誉教授。畑村創造工学研究所を主宰、またNPO法人「失敗学会」を設立されている。

専門はナノ・マイクロ加工学、知能化加工学。創造的設計論など文字がならんでもどんな学問か思いもつかない。主な著書の最初に「失敗学のすすめ」が載っている。成功への進めはなんとなく理解できるが。委員長に就任された時の記事の見出しは「失敗学の磯村教授」だった。失敗学って何だろう、興味が起きた。

「失敗学のすすめ」基調講演再録がネットで入手出来た。講演の再録なので話し言葉ということもあって、難しい専門用語や長いカタカナの言葉もなく、実に読みやすい。事例の解説も分かり易く、専門書のように投げ出すことなく読めた。

失敗学とは、少し長いが引用する。
「生産活動には、事故や失敗はつきものである。これらの事故や失敗は小さなものから、経済損失につながるもの、負傷伴う大きなもの、さらに多数の死傷者を出す大規模なものまである。こうした事故や失敗発生の原因を解明する。さらに経済的打撃を起こしたり、人命にかかわったりするような事故・失敗を未然に防ぐ方策を提供する学問である」。

なんだ、事故や失敗の原因究明のことか、そのようです。そう分かっていても面白い。読み終わって、冒頭の事故調査・検証委員会の結論が楽しみだと思った。

(写真:原因には原因がある、ひたひたと静かに迫ってくる)
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ツバメの集会

2011年07月06日 | 生活・ニュース
           

自宅前の四つ角の上には電気に電話、有線TVなどの線が何層にもなって4方向へ架線されている。幹線道路を外れているのにこれほど必要なのかと思うことがある。

梅雨の晴れ間の朝5時半ころ、突然ツバメの鳴き声がにぎやかになった。何事かと玄関を出る。4方向の線に50~60羽のツバメがグループ分けしたように止まっている。かなりの数、飛びかっているツバメもいる。合わせて100羽近いのではと思った。

飛びかうものと止まっているツバメは適宜交替しているようにも見える。少し小さなそれも何羽いる。見かけが少し大きめの1羽は止まっている所から動かない。その周りに近寄るツバメはいない。リーダーだろうか。

ツバメは南へかえる時、群れをなしていくという。その群れを作る場所へ飛ぶ相談をしているのだろうか。餌場の情報交換だろうか。動いたり音を立てると邪魔になると思い門扉の内側でじっと立って見ていた。その私の目の前を飛ぶツバメもいる。無視されて警戒されていないようだ。

開いていたPCを閉じに家へ入った。3分ほどして出たとき1羽のツバメもいなくなっていた。どの方向へどんな様子で飛び去ったのか確認出来したかった。PCをそのままにしておくべきだった、後悔先に立たず。

早朝のエコ集会、それも短時間で終わった。どんなことが決まったのだろう。都会では始発電車の時刻が早くなったり、サマータイムの企業もあったりと目新しいそうにおもうが、自然はいつもエコなのかもしれない。

(写真:小さなグループに分かれて止まっているツバメたち)
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それに徹する

2011年07月05日 | 生活・ニュース
           

スポーツ紙でなくてもイチロー選手の「オールスター出場出ならず」に紙面を割いている。今年はスポーツニュースでもあまり取り上げられなかったイチロー選手。11年目、芳しくない戦績に対しフアンは同情しなかった。

このイチロー選手を世に出したのは当時、近鉄の新井宏昌打撃コーチという。92年、新井コーチはオープン戦で打ちまくった鈴木一朗外野手を「イチローっていう名前にして売り出したら」と仰木監督に提案、「それはいい」と監督が同調した、という。

新井はPL学園在学中、近鉄にドラフト9位指名されたが、誰も挨拶に来ることなく自然消滅、法大に進んだ。大学全日本のメンバーになっても、誰もが小柄ということでプロには向かないとした。「そんなことはない、ミートが抜群。タイミングの取り方も並じゃない」と高く評価したのが、南海・野村克也監督兼任捕手だった。75年2位指名で南海へ入団した。86年近鉄に移籍、92年に引退。

通算打率0.291、通算安打2,308本なのに本塁打は88本。首位打者1回、同2位が2回ある。犠打300本はすごい記録だそうだ。その新井は脇役に徹してきたという。王や長嶋さんとは違うと「花束」を受け取ることを固辞したことがあったという。そんな新井は主役の道を進んできた今年のイチローへどんな言葉をかけるのだろうか。

(写真:挿したトマトの脇芽から花が咲き始めた、実になるか)
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そして今日

2011年07月04日 | 生活・ニュース
昼過ぎから雷に強い雨という予報通りの荒れもようになった。内視鏡検査をするか否かの返事を待つ身には何ともいやな予感をさせる。

検査準備をしておこう、とその確認を始めた直後、電話の着信音。ディスプレーに病院の名前。聞きなれた看護師さんの声が本人を確認し「検査なし」を告げてくれた。思わず頭を下げていた。この年になってと思いながらも、ほっとした気持ちは隠しようがない。家内も同じ。

見えないところを診ることができる現代医学。早期に診れることでより長寿への途が開けている。どこまで技術が進歩するのか分からないが、あまりの長寿も考えもの、そんなことを思うこともあるが、贅沢だろう。

医師は内視鏡で私の胃の内部を診ている。ベッドで横になり医師と同じ画面を見ながら医師の説明を聞く。初めは不思議な感覚だったが、いつの間にか内壁の様子やその色などを真剣に見ている。カメラが食道へと帰っていくときすっと縮まる画面、華やかな幕が降りた感じがする。

検査なしが続くよう、健康管理と今まで通りの定期検査は継続していこう。
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あした

2011年07月03日 | 生活・ニュース
           

幸か不幸かこの年になるまで入院したことがない。入院がないだけで病のつど医者にはお世話になっている。中学のころ深夜の往診を受けたこともある。定年までは産業医の指導を、退職後は家庭医のところへ定期的に足を運ぶ。

その家庭医から大腸の内視鏡検査を勧められた。これまで何度か便検査はしているが今回初めてのこと。検査を受けることにした。その前に胃などの便検査に悪影響を与えると思われる個所の検査をし薬も服用した。

服用の効果が確認できたところで改めて便検査をする。その結果次第で大腸の内視鏡検査をするか否か医師が判断する。その断の日が明日になった。

周囲の人にも何人か検査経験者があり「何ということもない」と私への優しい答え。安心して検査を受けやすくさせてやろう、という思いやりかもしれない。医師は経験豊富な方で図を描きながらの説明は分かりやすく、信頼している。

何かの発表を待つようでもあるが、検査をしないでいい、という断を待っていることはいうまでもない。1度検査を受けておく方がいいと薦める人も、前準備がいささか苦痛という。苦あれば楽ありを信じておこう。

(写真:昨年採種した朝顔は順調に咲いている)
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石への願い

2011年07月02日 | 生活・ニュース
                      

鳥居の笠木や貫に小石を投げてそこにのると「いいことがある、願いがかなう」、子どものころには誰からの言い伝えか分からないが、何度か試した。のったことがあるかどうか、定かな記憶がないから、成功をしていない、から、今のこのような状況なのかもしれない。

鳥居は神のもの、文化財である、石を投げるのは破損行為である、のっている石がいつ落下するか分からないので危険である、などなど子どものころに夢を託したの石投げは単なる投石ということになる。この風習は各地で見られるというから、それなりの意味があったのだろう。

灯篭の空間に積み上げた石もある。ここなら投げなくてもいい。よく見ると丁寧に置かれている。一気に積んだのか、お参りのたびに重ねていったのか、誰かが置いているのを真似て多数の人が繰り返したのか、確かめる方法はない。色も大きさもそして形もまちまちな石だが、ひとつひとつに何かの意味があるような気がする。

石のような奴というのは融通のきかない男、石にかじりついてもやるのはどんな苦労もいとわずになすこと、石に灸は効目のないことをあらわす。辛抱し成功すると石の上にも3年と讃える。日常生活の中に石にまつわる言い回しはいろいろある。

「雨垂れ石を穿つ」という。あの硬い石も同じところに落ちる雨垂れに長時間打たれると穴をあけらることを言い表す。「微力でも根気よく続けるとことは成就を約する」と教える言葉。大きなことを願うわけではないが、綺麗な石ころを拾い、人に見られないように1個重ねた。

(写真:灯篭に詰められた石のいろいろいろ)
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