タイトル曲、カップリング曲を含め、気に入った曲がなく、記事にするのも遅くなった。
『願いごとの持ち腐れ』。
NHK学校音楽コンクールの中学生の合唱課題曲。そのことを意識しすぎて、つまらない曲になっている。
歌詞が妙に道徳的というか、「中学生らしさ」を勝手に想定していて、ずれている感じがする。それでいて、よく聞くと、支離滅裂な歌詞である。
冒頭では「魔法が1つ使えたら世界中が幸せになる」と言っておきながら、自分が使える願い事は「何に使うか迷ってしまって持ち腐れ」と言う。そしてそれが楽曲タイトルにもなっている。そうかと思えば2番の冒頭でいきなり、喧嘩している2人に「仲良くして」と迂闊に使ってしまう。それでも「悔いはない」と言い切る。他人のために使ったので満足なのか、使うつもりがなく持ち腐れていたから権利放棄したのと同じと言いたいのか不明。そして最後には「魔法なんかほしくない」「本当の願いが何か見つけられたら幸福」と強引にまとめている。
結局この曲が言いたいのは何なのだろう。
「自分のことより他人を思いやれ」という博愛精神か。
喧嘩している2人は実在の国家の比喩で「世界平和」を訴えているのか。だったら、最初から「世界が平和になるように」という願い事にすればよかったのにと突っ込みたくなる。
「魔法や他力に頼らず自力で何かを成し遂げろ」という訓示なのか。
いずれもピンと来ないし、タイトルが主題を表していると思えない。
『サイレントマジョリティー』や『不協和音』のような明確なメッセージソングと比べると、散漫でぼんやりした歌詞だと思う。
そしてタイトルの「持ち腐れ」。わざとそういう言葉を使っているのだろうが、「犬のうんち」と同様、面白さより嫌悪感の方が先に立つ。
曲調はワルツで、洗練された感じがして悪くない。同じワルツで物語調だった『強い花』を合唱曲にアレンジした方がよかったのではないか。あるいはかつて合唱に挑んだがテレビでは生歌ではなかった『桜の栞』に再挑戦するとか。いずれにしても「普段着のAKB」の楽曲で勝負すれば良かったのにと残念に思う。せっかく全国の中学生に歌ってもらえる大きなチャンスを得たのだから。
NHKみんなのうたの『履物と傘の物語』も、同じように「みんなのうたらしさ」を意識しすぎて失敗していた。NHK朝ドラ主題歌『365日の紙飛行機』は成功したので、NHKがらみは1勝2敗である。
『前触れ』。
渡辺麻友がセンター。渡辺の曲はだいたい好きになるのだが、この曲だけはどうしても好きになれない。
まず歌い出しが暗すぎる。メロディーも渡辺の声も暗い。「友達だった ずっと前から」という何でもない歌詞が、何だかものすごく悲劇的なことを歌っているかのような陰鬱なメロディー、歌声だ。柏木由紀『ショートケーキ』の歌い出しが「子どものころから 兄妹みたいに」と同じようなことを歌いながら幸福感に溢れているのとは大違いだ。
歌詞の内容は、幼馴染の友達が恋人に変わる瞬間の「前触れ」を描いたものだが、軽い。「君には彼が」の部分は「君に別れが」に聞こえるし、「異性とは見れなかった」というら抜き言葉はこういう重々しい曲調だと気になる。とどめは「ビビッと来た」。松田聖子じゃあるまいし、相当安易に作られた歌詞だと思う。
暗い歌い出しから、徐々に盛り上げていき、神々しいフィナーレというドラマティックな曲調を狙っていると思われるが、歌詞があまりに不釣り合いである。
『イマパラ』。
指原莉乃がセンター。タイトルは「今どきのパラパラ」といった意味だろうか。パラパラが流行った時は生まれていなかったけど、なぜか自然に踊れてしまうといった内容の歌詞。ミュージックビデオでは、当然メンバーが踊りまくっているのだろう。指原の得意げな顔が目に浮かぶ。
コンサートなどで一緒に踊ると盛り上がるのだろうが、音だけヘッドフォンステレオで聴くと微妙だ。
『点滅フェロモン』。
松井珠理奈がセンター。安っぽいタイトル通りで、フェロモンをまき散らして男を誘惑している歌だ。歌詞にはあまり深い意味はなく、サウンド重視の楽曲だ。イントロでエレキギターが叫んでいるフレーズがあるが、歌唱が始まるとそのフレーズにも詞がついているのに驚く。「唇 どう動くか」という部分だ。無理やり言葉を当てはめているが不自然だ。
エロスとモラル、デビルとエンジェルが点滅していると歌っているが、エロス一色、デビル一色に聴こえる。
『あの頃の五百円玉』。
山本彩がセンター。ここまでの4曲は全て、それぞれのセンターらしい曲だが、とりわけこの曲は山本ワールド全開だ。祖母にもらった五百円玉を大切にしていた少年時代の思い出を歌っている。最初は同じ関西人の『トイレの神様』のような曲かとも思ったが、祖母は五百円玉をくれただけで、それ以外には出てこない。少年自身の五百円玉への思いが中心となっている。その割には思い出に具体性がなく、どんな少年時代だったのかがよくわからない。山本の歌唱は相変わらず達者だが、楽曲が生かしきれていないのでは。
『瀬戸内の声』。
STU48の初めてのオリジナルソング。HKT48の『初恋バタフライ』やNGT48の『Maxとき315号』と比べると随分インパクトのない曲だ。楽曲だけ何回聴いてもピンと来るものがなかった。
ミュージックビデオを見てようやくわかった。このミュージックビデオは良くできている。瀬戸内各地でロケを敢行、空撮を多用し、美しい瀬戸内の風景、街並みを瑞々しく描き切っている。その中でメンバーも可愛く撮れており、グループの自己紹介映像としては最高の出来だ。そしてこの曲は、その映像作品のBGMとして作られている。だから映像抜きで聴くと物足りないのだろう。
ミュージックビデオには指原と岡田奈々も出演している。兼任だから当然ではあるが、2人だけ髪も染めていて、黒髪で初々しいSTUプロパーメンバーとは全く印象が違っている。よく言えば存在感があり、悪く言えば浮いている。
気に入った曲がない割には長文になってしまった。
『願いごとの持ち腐れ』。
NHK学校音楽コンクールの中学生の合唱課題曲。そのことを意識しすぎて、つまらない曲になっている。
歌詞が妙に道徳的というか、「中学生らしさ」を勝手に想定していて、ずれている感じがする。それでいて、よく聞くと、支離滅裂な歌詞である。
冒頭では「魔法が1つ使えたら世界中が幸せになる」と言っておきながら、自分が使える願い事は「何に使うか迷ってしまって持ち腐れ」と言う。そしてそれが楽曲タイトルにもなっている。そうかと思えば2番の冒頭でいきなり、喧嘩している2人に「仲良くして」と迂闊に使ってしまう。それでも「悔いはない」と言い切る。他人のために使ったので満足なのか、使うつもりがなく持ち腐れていたから権利放棄したのと同じと言いたいのか不明。そして最後には「魔法なんかほしくない」「本当の願いが何か見つけられたら幸福」と強引にまとめている。
結局この曲が言いたいのは何なのだろう。
「自分のことより他人を思いやれ」という博愛精神か。
喧嘩している2人は実在の国家の比喩で「世界平和」を訴えているのか。だったら、最初から「世界が平和になるように」という願い事にすればよかったのにと突っ込みたくなる。
「魔法や他力に頼らず自力で何かを成し遂げろ」という訓示なのか。
いずれもピンと来ないし、タイトルが主題を表していると思えない。
『サイレントマジョリティー』や『不協和音』のような明確なメッセージソングと比べると、散漫でぼんやりした歌詞だと思う。
そしてタイトルの「持ち腐れ」。わざとそういう言葉を使っているのだろうが、「犬のうんち」と同様、面白さより嫌悪感の方が先に立つ。
曲調はワルツで、洗練された感じがして悪くない。同じワルツで物語調だった『強い花』を合唱曲にアレンジした方がよかったのではないか。あるいはかつて合唱に挑んだがテレビでは生歌ではなかった『桜の栞』に再挑戦するとか。いずれにしても「普段着のAKB」の楽曲で勝負すれば良かったのにと残念に思う。せっかく全国の中学生に歌ってもらえる大きなチャンスを得たのだから。
NHKみんなのうたの『履物と傘の物語』も、同じように「みんなのうたらしさ」を意識しすぎて失敗していた。NHK朝ドラ主題歌『365日の紙飛行機』は成功したので、NHKがらみは1勝2敗である。
『前触れ』。
渡辺麻友がセンター。渡辺の曲はだいたい好きになるのだが、この曲だけはどうしても好きになれない。
まず歌い出しが暗すぎる。メロディーも渡辺の声も暗い。「友達だった ずっと前から」という何でもない歌詞が、何だかものすごく悲劇的なことを歌っているかのような陰鬱なメロディー、歌声だ。柏木由紀『ショートケーキ』の歌い出しが「子どものころから 兄妹みたいに」と同じようなことを歌いながら幸福感に溢れているのとは大違いだ。
歌詞の内容は、幼馴染の友達が恋人に変わる瞬間の「前触れ」を描いたものだが、軽い。「君には彼が」の部分は「君に別れが」に聞こえるし、「異性とは見れなかった」というら抜き言葉はこういう重々しい曲調だと気になる。とどめは「ビビッと来た」。松田聖子じゃあるまいし、相当安易に作られた歌詞だと思う。
暗い歌い出しから、徐々に盛り上げていき、神々しいフィナーレというドラマティックな曲調を狙っていると思われるが、歌詞があまりに不釣り合いである。
『イマパラ』。
指原莉乃がセンター。タイトルは「今どきのパラパラ」といった意味だろうか。パラパラが流行った時は生まれていなかったけど、なぜか自然に踊れてしまうといった内容の歌詞。ミュージックビデオでは、当然メンバーが踊りまくっているのだろう。指原の得意げな顔が目に浮かぶ。
コンサートなどで一緒に踊ると盛り上がるのだろうが、音だけヘッドフォンステレオで聴くと微妙だ。
『点滅フェロモン』。
松井珠理奈がセンター。安っぽいタイトル通りで、フェロモンをまき散らして男を誘惑している歌だ。歌詞にはあまり深い意味はなく、サウンド重視の楽曲だ。イントロでエレキギターが叫んでいるフレーズがあるが、歌唱が始まるとそのフレーズにも詞がついているのに驚く。「唇 どう動くか」という部分だ。無理やり言葉を当てはめているが不自然だ。
エロスとモラル、デビルとエンジェルが点滅していると歌っているが、エロス一色、デビル一色に聴こえる。
『あの頃の五百円玉』。
山本彩がセンター。ここまでの4曲は全て、それぞれのセンターらしい曲だが、とりわけこの曲は山本ワールド全開だ。祖母にもらった五百円玉を大切にしていた少年時代の思い出を歌っている。最初は同じ関西人の『トイレの神様』のような曲かとも思ったが、祖母は五百円玉をくれただけで、それ以外には出てこない。少年自身の五百円玉への思いが中心となっている。その割には思い出に具体性がなく、どんな少年時代だったのかがよくわからない。山本の歌唱は相変わらず達者だが、楽曲が生かしきれていないのでは。
『瀬戸内の声』。
STU48の初めてのオリジナルソング。HKT48の『初恋バタフライ』やNGT48の『Maxとき315号』と比べると随分インパクトのない曲だ。楽曲だけ何回聴いてもピンと来るものがなかった。
ミュージックビデオを見てようやくわかった。このミュージックビデオは良くできている。瀬戸内各地でロケを敢行、空撮を多用し、美しい瀬戸内の風景、街並みを瑞々しく描き切っている。その中でメンバーも可愛く撮れており、グループの自己紹介映像としては最高の出来だ。そしてこの曲は、その映像作品のBGMとして作られている。だから映像抜きで聴くと物足りないのだろう。
ミュージックビデオには指原と岡田奈々も出演している。兼任だから当然ではあるが、2人だけ髪も染めていて、黒髪で初々しいSTUプロパーメンバーとは全く印象が違っている。よく言えば存在感があり、悪く言えば浮いている。
気に入った曲がない割には長文になってしまった。