戦争したい人は例え話が好きだ。お前は自分の妻子や恋人が殺されても何もしないのかとか、近所の火事を黙って見てるのかとか。でも戦争なんだよ。会ったことも話したこともない人を殺すってことだよ。国が違うっていう理由だけで。そんな理不尽、妻子云々なんて話に例えられるわけがない。
— 中村賢作 (@KensakuNakamura) 2015, 6月 23
某所で見つけたので、メモ。
思うに、そこらの反戦論者の人々は、ここに述べられているような「戦争したい人」の相手をやめるべきだ。いや、こうしたものは床屋政談などという類であって、「なかよくけんかしな」のひとことなのかもしれないが。
なお私は反戦の立場であり、一定規模の防衛の実力、システム等を整備しておかなければならない、と考える立場である。
これは止むを得ないことである、と思われる。何しろ、危機がなくとも、平時であろうと、あるいは平時にこそ整備をしなければならないことが世界の共通認識であるらしいからだ:
読売新聞 「南シナ海に危機ない」と中国、米と溝埋まらず 2015年06月25日 14時34分
「閉幕式でケリー氏は「南シナ海での埋め立てや軍事化の可能性を巡る中国と近隣諸国の緊張の高まりについて協議した」と述べた。「米国は航行、飛行の自由や紛争の平和的解決に大きな国益を持つ」と強調し、埋め立てや軍事化の中止を求める立場を示した」
と、何十年とただのサンゴ礁であった島に敢えて滑走路を作ったりするのは問題だ、と米国が主張するのに対し―
「中国の楊潔チ国務委員(副首相級)は閉幕式で、岩礁埋め立てに関連し、「海洋問題において、中国は領土主権と権益を守る」との主張を繰り返した。鄭沢光外務次官補は閉幕後の記者会見で、「航行支援のために(埋め立てた岩礁に)灯台を建設する。我々の埋め立てに何ら問題はなく、南シナ海に危機はない」と述べた」
―危機はないにも関わらず、そこに新規に設備を備え付けることは安全の増大に資するといわれるのだ。こうした作業は、やはりサンゴ礁、ないしその周辺の環境に影響を与えずにはおかない:
ロイター アングル:中国の人工島建設、南シナ海の「生態系破壊」にも懸念 2015年 06月 26日 12:55 JST
「中国は現在7つの岩礁で人工島の建設を行っているが、南沙諸島の衛星画像を分析した専門家らはロイターに対し、サンゴ礁への損傷は建設現場の周辺にも広がっており、環境への影響は当初考えられていたより大きい可能性があるとの見方を示した」
…云々。
そりゃまあ環境の改変につながることは明らかなのである。にも拘らず、安全の増大には必要とされる。他国が何を言おうともだ、おそらく。
読売新聞 P3C投入、南シナ海で比軍と訓練…中国けん制 2015年06月23日 14時19分
「警戒監視能力に優れる海上自衛隊のP3C哨戒機を初めて投入した海自とフィリピン海軍の共同訓練が23日朝、南シナ海に面するフィリピン南西部のパラワン島で始まった」
「南シナ海の公海上で、フィリピン側の哨戒機とともに、洋上の遭難船を上空から捜索・救難する想定で行われている」
例えば、問題とされた中国の新設飛行場も、こうした航空機の緊急避難施設として共同利用するためのもの―とでも言えば、なるほど世界の安全をさらに増すものとして歓迎され得るだろう。あれば便利なのは間違いない。
だからこうなるだろう―できるだけ広い範囲の「みんな」の安全を保障し、増大させるものごとがよいものごとだ、と。
例えば、海上保安庁的なコーストガード用の船、しかも優秀な船を提供する、などはよいことといえるだろう。麻薬密売の阻止、違法漁業活動の取り締まり等、大変に有用なものだ:
日経新聞 造船大手のJMU、フィリピン向け巡視船10隻受注 ODAで 2015/6/4 20:24
「造船大手のジャパンマリンユナイテッド(JMU)は4日、政府開発援助(ODA)で支援するフィリピン向けの多目的船10隻を受注したと発表した。受注額は約128億円。巡視船として採用される見通し」
ところが我が国、日本は、永く武器を輸出するのを禁じてきた。コーストガードの船も武器の一種だ。最近、禁令がやや緩められたようだが、これは先に挙げた「できるだけ広い範囲の「みんな」の安全を保障し、増大させるものごとがよいものごとだ」の原則から「よいこと」といわねばならない。が、我らが憲法の精神に反するかもしれない…?
さて
「中国による岩礁埋め立てが進む南シナ海などで、海上の安全確保に向けた能力強化を支援する狙いがある」
となると生臭くなってきちゃったりする。
ところでこの際、日本とフィリピンとは国が違っているが、しかし上掲日経の伝える件では「国が違うっていう理由だけで」戦争する雰囲気ではなさそうである。
むしろ相互に理解をしているらしい。ならば、相互に信頼できるような雰囲気なり、説明の言葉なりがそこにあるのだろう。となると、この際、共通に懸念の対象となっている中国に何らかの言葉、態度を期待したくなるだろう。
この点、「中国の楊潔チ国務委員(副首相級)は閉幕式で、岩礁埋め立てに関連し、「海洋問題において、中国は領土主権と権益を守る」との主張を繰り返した」(読売新聞)というわけで、ではその具体的内容の説明と、他国による同意や賛同が求められることになるだろう。
でまあ、「物理的説得」が行われてしまっているので、これに対して物理的な用意がなされているわけだよなーという超おもしろくないお話になるなあ、これ。私みたいに、平和主義で自然愛好・自然保護に意識を持っているものこそコーストガードの増勢にyesということになる、という現状に、従来型の平和運動勢力がどう答えるか、興味深いことではある。
八重山日報 「中国は脅威でない」 抑止力論捨てよと森氏 政治 · 行政 · 2015年6月24日
「元静岡大平和学講師の森正孝氏が「中国軍事費の伸びは、経済発展に応じて抑制的だ」と「中国脅威論」を否定。「抑止力論を捨てなくてはならない。人間の英知は(戦争放棄を定めた)憲法9条に凝縮されている」と訴えた」
そりゃ微妙にやばげな話もあるし、抑制的にもなるだろうよ。
しかし、世界第二位の経済大国として、いままでにない責任を負うべき点があり、その負い方について諸国諸国民から注文がつくだろうよ(かつての日本が様々注文付けられたのと同様、ないしそれ以上に)。
「中国が軍事的な脅威だとする考えが日本に広がっていることについて「日本社会は、この問題では思考停止状態だ」と批判。中国軍事費の伸びを「ウェルカムではない」としながら「人口1人当たりにすると非常に少ない」と述べた」
そりゃ日本の自衛隊だってGNP比とかでみるとやたら小規模な軍隊なわけで。
ところでこの森正孝さんというのはこの森正孝さんだろうか:
CiNii 映画「侵略」上映運動で思うこと--反侵略こそ平和運動の原点だ (広がる反基地・反自衛隊闘争<特集>) -- (私の反戦活動--私はなぜ反戦を叫ぶのか) 森 正孝、月刊社会党 (337), p82-85, 1984-05 (日本社会党中央本部機関紙局)
もう30年もまえのものなのか。
私としてはありがたいことだと思うが、長年の平和運動のおかげであろうか、我らが軍隊・自衛隊は、どうにも侵略なんかできない軍隊として育ったようだ。空母はないし、飛行機のアシも短い。攻撃用のごっついミサイルもない。兵隊をよそに移動させようと思ってもその手の装備も碌々ないようだ。よしだれかとちくるった指導者がいて、”明日、○○へ侵略します!”と宣言しようと、物理的にやりようがない、戦争しようがない。侵略は、やはり罪だろう。罪あることを、そもそもしえない状況にあるのは、なんともありがたいことと思う。
「反侵略こそ平和運動の原点」、いい言葉であって、侵略がもし起きそうであるなら、抑止すべきなのだろう。
但し、この場合、どうしても保守、現状維持ということになる。新秩序を求めようとする者が居れば、彼はその他の者達にとって侵略者とみえようから(最近の例としては、イラク・フセイン大統領など)、これにどう対処するかは別の課題となるだろう。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます