車いす市議に「ブルジョア障害者」、審議紛糾https://t.co/WrV0aYRKQF
— もうれつ先生 (@discusao) 2018年10月20日
さいたま市の吉田一郎市議(2月に文教委員会で「首つって死ね」と発言し謝罪した人)が19日の市議会本会議で、車椅子の伝田ひろみ市議を念頭に「ここにも年収1354万5千円の車椅子の方がいる。ブルジョア障害者」などと発言した。 pic.twitter.com/DLT1jcIIzs
すげえ。とりあえず、意味がわからないパワーワード感もすげえ:
読売新聞 車いす市議に「ブルジョア障害者」、審議紛糾 2018年10月20日 07時36分
「さいたま市の吉田一郎市議は19日の市議会本会議で、車いすを使っている伝田ひろみ市議を「ブルジョア障害者」などと表現し、審議が一時紛糾した。新藤信夫議長は本会議休憩中に本人に厳重注意した」
「発言が出たのは、「市心身障害者医療費支給条例」の一部改正案に対する賛成討論。吉田氏は討論で、支給に所得制限を設ける改正に賛意を示した上で、伝田氏を念頭に「ここにも年収1354万5000円の車いすの方がいる。ブルジョア障害者」などと発言した」
全く不要な場面で全く不要な個人攻撃をするあたり、まったくもってセンスがない(デグレチャフ少佐風に)。
とりあえず意味がわからないが、個々の要素を取り上げてその連結の具合をみて、なにをどういいたかったのか忖度すれば、「障害者」なのに「ブルジョア」すなわちカネモチであるのは、諸々の保護施策に「支給に所得制限」がないからではないか、不当に公金をくすね取る盗賊めが、と言いたいわけか、と、おそらくこれが文脈上読み取りえる読み方と思われる。
…うんまあその、精一杯好意的に読めば、”健常者”から保護を受けるべき”弱者”であるはずの・あるべき”障害者”なのに高所得である当該の議員は、実は社会的強者であって、特にこの人物が弱者のごとく自己意識をもっていたりするのは不当な権力行使に繋がる―という問題意識があったかもなあと頑張れるには頑張れるのだが、ここまでもっていけば乙武氏批判と同じ文脈にもっていけるのだが―
―そっちにもっていけないあたり、理論的水準が低すぎて話にならない。
むしろ、ふつーに行き渡っているかと思われる、『障碍者と言うのは健常者に保護される可哀相なひとたちなのでちゃんとかわいそうにしていてください。健常者である私たちがちゃんと、保護されるべき者を保護したという倫理的な満足感を得るために。あと保護する気を起こして欲しかったら、健常者である私たちより幸せそうにするなよ』という欲望にもとづく発言かとおもわれ、まーあまり面白くない―が、社会的に地位のある人がここまでこういう下劣な欲望丸出しにするのも珍しく、記録しておく。
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