フェミニズムについて、まあこういう記事が出始まったから、運動側は次の戦略を考えたほうがいいと思う。というか私はシフトすることにした。
BBC Japan 女優キーラ・ナイトリーさん、娘に一部のディズニー映画を禁止 2018年10月19日
普通に読んでて、「んう?」と首をひねりそうになるのはこことかじゃないか:
「「リトル・マーメイド」については、「だって曲は素晴らしいけど、男性のために声を引き渡してしまうなんて、どうなの!」と話した。」
…マーメイドって、アンデルセン以来の標準的な物語のそれだとすると、男性のために声を引き渡すのですっけか?
僕の記憶だと、愛する人と会いたいが故に声を放棄するのだと思ったが。自分が自分でなくなってしまう、自分の必須の構成要素の一部であろうと、とにかく愛するひとと会いたいが故に擲つ。そんな悲痛な恋心の物語だと思ったのだが。
例えば。
重い腎臓病で移植しか助かる道がない我が子がいた場合。
フェミニストの母親は、臓器適合バッチグーであるもの我が子が男子である場合、その子が男子であるが故に腎臓提供を拒むのであろうか。「だって親子愛は素晴らしいけど、男性のために自分の腎臓を引き渡してしまうなんて、どうなの!」と叫ぶのだろうか。
他方、その我が子が娘であれば、提供することは政治的に正しいので提供するのだろうか。
世の母親に聞いてみたい気もするが、『貴様、母親をバカにするのか』と激怒した世の母親たちにリンチされそうな予感がする。
同様に、人魚姫も、愛する個人に会いたいがために声を擲つのであって、男性に会うためにそうするのではない。と、私は理解するが、しかし世の中のフェミニストの一部は、ある男性を愛することと男性一般を愛することとの区別がつかないらしいのだ。
しかし彼女たちは、今現在なら先進的な見識による道徳的卓越性をもって他者にもその”見え方””モノの見かた”を広報し、時には強いる。
さてこの「先進的な見識による道徳的卓越性をもって」は、菜食主義・ヴィーガンの宣布にも見られたことで、彼らの「正義」の行動はどうも市民的見識から逸脱しつつあるようで、その極端な行動が上品なメディアにも出るようになった。
フェミニズム運動やセクシャルマイノリティ運動についても、恐らくはじきに、いまヴィーガンに吹く風と同じような風が吹くはずだ。今のうちから―いやまあ、日本におけるセクシャルマイノリティ運動はようやく市民権を得始めたあたりで、早速出口戦略策定を求められるのはキッツイと思うだろうが―次の戦略を考えるにこしたことはない、と私はおもうのだ。
BBC Japan 女優キーラ・ナイトリーさん、娘に一部のディズニー映画を禁止 2018年10月19日
普通に読んでて、「んう?」と首をひねりそうになるのはこことかじゃないか:
「「リトル・マーメイド」については、「だって曲は素晴らしいけど、男性のために声を引き渡してしまうなんて、どうなの!」と話した。」
…マーメイドって、アンデルセン以来の標準的な物語のそれだとすると、男性のために声を引き渡すのですっけか?
僕の記憶だと、愛する人と会いたいが故に声を放棄するのだと思ったが。自分が自分でなくなってしまう、自分の必須の構成要素の一部であろうと、とにかく愛するひとと会いたいが故に擲つ。そんな悲痛な恋心の物語だと思ったのだが。
例えば。
重い腎臓病で移植しか助かる道がない我が子がいた場合。
フェミニストの母親は、臓器適合バッチグーであるもの我が子が男子である場合、その子が男子であるが故に腎臓提供を拒むのであろうか。「だって親子愛は素晴らしいけど、男性のために自分の腎臓を引き渡してしまうなんて、どうなの!」と叫ぶのだろうか。
他方、その我が子が娘であれば、提供することは政治的に正しいので提供するのだろうか。
世の母親に聞いてみたい気もするが、『貴様、母親をバカにするのか』と激怒した世の母親たちにリンチされそうな予感がする。
同様に、人魚姫も、愛する個人に会いたいがために声を擲つのであって、男性に会うためにそうするのではない。と、私は理解するが、しかし世の中のフェミニストの一部は、ある男性を愛することと男性一般を愛することとの区別がつかないらしいのだ。
しかし彼女たちは、今現在なら先進的な見識による道徳的卓越性をもって他者にもその”見え方””モノの見かた”を広報し、時には強いる。
さてこの「先進的な見識による道徳的卓越性をもって」は、菜食主義・ヴィーガンの宣布にも見られたことで、彼らの「正義」の行動はどうも市民的見識から逸脱しつつあるようで、その極端な行動が上品なメディアにも出るようになった。
フェミニズム運動やセクシャルマイノリティ運動についても、恐らくはじきに、いまヴィーガンに吹く風と同じような風が吹くはずだ。今のうちから―いやまあ、日本におけるセクシャルマイノリティ運動はようやく市民権を得始めたあたりで、早速出口戦略策定を求められるのはキッツイと思うだろうが―次の戦略を考えるにこしたことはない、と私はおもうのだ。
> but do not give your voice up for a man
とあり、男性はひとりと確言されてはいる。
だが、まさしくある一人の、特定の男性the manにこそ会いに行きたいのだという想いを無視する点はかわらない。
the manを問題にする人なら、「あなたは愛を知らないのね」とでも言うことだろう。
だがそれに対して典型的フェミニストは「あなたは男a manに愛されることでようやく自分の価値を信じることができる程度の、人格的には未熟で、個人として自立しておらず、男性の価値に従属している存在なのだわよ」と答えるだろう。
つーか、解脱する事態に至る。
話題の元の女優さんは、えらいこと財産を持っているだろう。
さて、まあ娘さんが成人するまでは育てるだろうが、じゃあ娘さんが成人し、自立した大人になったとき、「個の自立」を金科玉条とする思想であればこの娘に財産分与・遺産の相続などするはずがない。
なぜなら、他人(母親)がつくった財産に依存するなど、自立した個人にあるべきではないからだ。
母親は、すると、その財産を喜捨でもするほかなくなる。
となると、その行動様式は、もはや「一人息子が出家してしまったジャイナ教徒の大富豪が、息子の出家を祝って財産のぶちまけ大盤振る舞いした」のと変わらない。
という極端を思うに、そこらの主義者の説というのは権力や資源をめぐる闘争の一部として捉えるほうが妥協がとりやすいのと違うかなあと最近とみにそう思う。