思うに一般の方と話が合わない理由の一端は,まずは「休み」という言葉の意味合いにあるとはかねてより知ってはいたのだが,このたび「お給料」の位置づけ,「生活の安定」なる言葉の意味する(と当人が理解するところの)事柄にも差異があり,ここで一般人との会話が難しくなることが分かった。
土曜午後,例えば兄から電話で「今どこにいる?」などと問われて非常に違和感を感じる。これは以前からのこと。だってそんなアナタ,学会に行くとも出張するとも言ってないでしょう,つまり研究室にいるということだよ,それは。なんで自宅にいると思えるんだ。
平日22時? 寝てるわけないでしょう。そりゃ研究室にいるよ。携帯電話ならうるさいからその辺に放置した。
でまあ,最近は保険の営業さんとかマンション売りとか来るんだが,判で押したように「定収があって」だの「お給料が入ってきて」「余裕もできて」,そこで保険は如何です老後のためのマンション経営はなんたら。
そこですよ。
以前は多少のバイト代で収入があると『さあ,本を買うか,コピー代を払うか,文房具を買うか,学会出張旅費としての積み立てに加えるか,それとも追加の食料を買おうか,さあどうしよう?』
だったのです。
どれかはできました。シャーペンの芯を今日買うか明日買うか1週間後にするか迷うのはしばしばでしたが。つまり他の多くはできなかったりしたわけですが。概ね本は買えないし。
「定期的に収入がある」,しかも割と良い目のが。それは本を買えるし文房具は山と買えるし学会出張なんか年数回でも(…と書くあたり,学会にも碌々いけない貧乏学生風味満載)平気だし参加学会の数を増やすのさえ可能だし,あれもこれもなんでもできるのです! ど専門からちょっとずれた分野の専門書さえ購入可能だ! コピー代なんか,相当部分公費でいけるっぽいです!
私にとってはそういう意味なんであって。
保険とか老後とか,いみわかんねぇんですけど。
…いやね? 一般論としてはわかるんだ。『多少の蓄え』なんて単語の意味も知ってはいるんです。でも,それがわが身にどのように関係するのかが理解できなかった。
ああそう,言われてみて初めて気づいた。お給料って,労働力の再生産のために支払われてるんですね。いわゆる余裕ある生活ってぇのを味わってもいいらしい。1gあたり1円(以下)で肉が買えるかどうか計算しながら買い物する必要ってのも,さほどないわけですね? 1kg1000円チョイのラム肉を買ってちまちま削りながら食べつなぐなんて(冷凍庫はあるので),わりと素敵な食生活のつもりだったんですが。
いやあ…新鮮な驚きでした。
その他,『科○費は別口から貰えるお給料である』,言い得て妙だなあと思っていたんですが(※1),この認識も間違ってるんでしょうね。どのお財布から出てこようが,最低限の生活維持費を除いた分は研究に使うに決まってるはずで,財布の名前はいままでさほど気にしてこなかったんですが…。
…いや,寧ろ皆さん,どのようにお給料を使ってらっしゃるのか,そっちが疑問に思えてきた。
※1:無論,科○費購入物品はその当時の所属組織にお召し上げになることが多々あるわけだが(消耗品とは言えない本とか),どっち道,そのモノは研究中自分の手元に常時あるわけだし。学校のものとしておけば管理等々は学校に丸投げできるし,いいことづくめではある。つまり途中で転出する可能性を考慮すれば,完全にわがものとしどこに行くにも備付状態にしたいものは私費にしたりするのです。実際個々の場面では,「財布」の違いは意識されてるんですが―「あーこれ要るのに。しかしなんで学校に欠けてるんだ。じゃ科○費で買って学校登録にしよう」とか「これは科○費的に目的外使用になるだろう,私費,私費…」とか―,やっぱり「必要な時に必要なものを必要な手段で調達する」選択肢のひとつ扱いなのはやむをえない面があるかと。だって書類的には交付日から研究が開始し,2月末とかに科○費の研究は終わって(予算執行が終わって)しまうんですが,なんて実情に合わないことか…。
混ぜたりはしない(できない)ですけどね。
ところで公費(さらに別口)で学会出張できそうですが,大都会で途中下車して研究教育用書籍を纏めて調達とか,これは寧ろ公費の有効利用として賞賛されるべきことと思います,はい。…都合をどうにかすれば,神田に1時間くらい居るのは不可能ではない…と思う…。
土曜午後,例えば兄から電話で「今どこにいる?」などと問われて非常に違和感を感じる。これは以前からのこと。だってそんなアナタ,学会に行くとも出張するとも言ってないでしょう,つまり研究室にいるということだよ,それは。なんで自宅にいると思えるんだ。
平日22時? 寝てるわけないでしょう。そりゃ研究室にいるよ。携帯電話ならうるさいからその辺に放置した。
でまあ,最近は保険の営業さんとかマンション売りとか来るんだが,判で押したように「定収があって」だの「お給料が入ってきて」「余裕もできて」,そこで保険は如何です老後のためのマンション経営はなんたら。
そこですよ。
以前は多少のバイト代で収入があると『さあ,本を買うか,コピー代を払うか,文房具を買うか,学会出張旅費としての積み立てに加えるか,それとも追加の食料を買おうか,さあどうしよう?』
だったのです。
どれかはできました。シャーペンの芯を今日買うか明日買うか1週間後にするか迷うのはしばしばでしたが。つまり他の多くはできなかったりしたわけですが。概ね本は買えないし。
「定期的に収入がある」,しかも割と良い目のが。それは本を買えるし文房具は山と買えるし学会出張なんか年数回でも(…と書くあたり,学会にも碌々いけない貧乏学生風味満載)平気だし参加学会の数を増やすのさえ可能だし,あれもこれもなんでもできるのです! ど専門からちょっとずれた分野の専門書さえ購入可能だ! コピー代なんか,相当部分公費でいけるっぽいです!
私にとってはそういう意味なんであって。
保険とか老後とか,いみわかんねぇんですけど。
…いやね? 一般論としてはわかるんだ。『多少の蓄え』なんて単語の意味も知ってはいるんです。でも,それがわが身にどのように関係するのかが理解できなかった。
ああそう,言われてみて初めて気づいた。お給料って,労働力の再生産のために支払われてるんですね。いわゆる余裕ある生活ってぇのを味わってもいいらしい。1gあたり1円(以下)で肉が買えるかどうか計算しながら買い物する必要ってのも,さほどないわけですね? 1kg1000円チョイのラム肉を買ってちまちま削りながら食べつなぐなんて(冷凍庫はあるので),わりと素敵な食生活のつもりだったんですが。
いやあ…新鮮な驚きでした。
その他,『科○費は別口から貰えるお給料である』,言い得て妙だなあと思っていたんですが(※1),この認識も間違ってるんでしょうね。どのお財布から出てこようが,最低限の生活維持費を除いた分は研究に使うに決まってるはずで,財布の名前はいままでさほど気にしてこなかったんですが…。
…いや,寧ろ皆さん,どのようにお給料を使ってらっしゃるのか,そっちが疑問に思えてきた。
※1:無論,科○費購入物品はその当時の所属組織にお召し上げになることが多々あるわけだが(消耗品とは言えない本とか),どっち道,そのモノは研究中自分の手元に常時あるわけだし。学校のものとしておけば管理等々は学校に丸投げできるし,いいことづくめではある。つまり途中で転出する可能性を考慮すれば,完全にわがものとしどこに行くにも備付状態にしたいものは私費にしたりするのです。実際個々の場面では,「財布」の違いは意識されてるんですが―「あーこれ要るのに。しかしなんで学校に欠けてるんだ。じゃ科○費で買って学校登録にしよう」とか「これは科○費的に目的外使用になるだろう,私費,私費…」とか―,やっぱり「必要な時に必要なものを必要な手段で調達する」選択肢のひとつ扱いなのはやむをえない面があるかと。だって書類的には交付日から研究が開始し,2月末とかに科○費の研究は終わって(予算執行が終わって)しまうんですが,なんて実情に合わないことか…。
混ぜたりはしない(できない)ですけどね。
ところで公費(さらに別口)で学会出張できそうですが,大都会で途中下車して研究教育用書籍を纏めて調達とか,これは寧ろ公費の有効利用として賞賛されるべきことと思います,はい。…都合をどうにかすれば,神田に1時間くらい居るのは不可能ではない…と思う…。
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