テレビや小説や挙句の果てには社会運動家まで、「いじめや差別をするのは性格の悪い悪人だ」とか「○○という思想があればいじめや差別をしない」という迷信を抱えてる気がするが、いじめや差別は「善良な善人もやる」ということをそろそろ認めないとまずい気がする。
— 鐘の音@夏バテ中 (@kanenooto7248) 2019年9月15日
私の講義ではばっちりやる。
さてうまい例を見つけたので、メモ:
今日の大河ドラマで金栗師弟が「孫くんガンバレ、南くんガンバレ」と声援しながら街を走るシーンには考えさせられました。
— 司史生@がんばらない (@tsukasafumio) 2019年9月15日
金栗の人の好さはここで、「同じ日本人」に対する差別心の無さとして現れていて、孫基禎の朝鮮民族のプライドとは、実はすれ違っているわけです。
日本人にとっては善意である対等化や同化が、朝鮮人にとってはアイデンティティを否定する抑圧であった。孫基禎や南昇竜を見下すような仇役が出てこない代わり、誰もが善人として「日本選手の勝利」を喜ぶところに、一筋縄でない関係性を描いていたと思います。
— 司史生@がんばらない (@tsukasafumio) 2019年9月15日
これはお見事。
ああ、あと、『サイボーグ009』で、黒人キャラがなにかの都合で肌が白くなったのに対して「ま、よかったんじゃない?」と誰かがさらっと励ましかなにかで言った―なんてのも、うまい例ですね。
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