いつもいつも「アベ政治を許さない」と訴えている人たちは、安倍総理がNYで発言してる内容に興味がないのだろうか?じつは彼らの関心は、「日本の新聞やテレビに出ている安倍総理」なのではないか?右とか左じゃなくて、彼らが支持しているのは、新聞やテレビなのかも…。
— 斉藤久典 (@saitohisanori) 2017年9月20日
例のもり・かけ問題で、まあ権力者が恣意的に、自分のものでもないはずの(預かっているだけの)カネや権限を私物化した―とかいうのを批判するはずのひとが、私的に権限をふるって気に食わない他人をいびりますからな。もはやあれは、「報道の中の安倍」じゃないかとか疑ってもよいか。
そういえば、だれか他の人に幸運が舞い込んできたときなどに「ずるーい!」と言う人がいたりする。
…同じ心情なんじゃないかねえ、とかふと思った。
本当は、自分にもそういう幸運や特権があってしかるべきなのに、そのような幸運・特権に与るべきでないものに降ってくるのは「ずるい」、不公平だ、うらやましい…とか。
安倍首相はまあ、器が小さいといわれても仕方ない振る舞い・しぐさを示すことは(私の少ないTV視聴のなかでも)ちょっとあるようで―選挙速報のとき、彼の発言をひたすらさえぎるスタジオの声を、イヤホンを引き外して遮断する、あれは嫌われる可能性が結構あったなあとか―、あんな小物にあんな特権があるなら、オレにだって…!と思う向きが発生しても、まあひとの感情の予測可能範囲にあるかなあとか思った。
ということで、うん、そういう意味なら「アベ政治を許さない!」と言う言葉は腑におちる。恣意的な運用を許さないのだ、ということでJ-アラートの規則的運用は手続きどおりなので正しいことになり、「アベ~」の主張を言う人はJ-アラート運用自体について批判はできないことになりそうなのだが、まあいいか。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます