なんだか青プリン氏がアレなことになってるらしい(※本人による事情公開をだれぞがまとめたTogetter)件(頭を抱えながら)。1,2点見てみようと思って,彼がまとめたらしい「避難せよ、一揆せよ」を見たら…うん,まあ(疲れながら)。
とりあえず,つ おおやにき「ダメのひと」(2010年3月12日)
以下数件引用:
「まあきつく叱りおいて内々に問題を納めるかねえと関係者一同が恩情をかけたら本人は何が問題にされたのかまったく理解しておらず」
「普通の人を想定して決めた「最善の対応」が普通でない人には通じないと、まあそういう話である」
「また学問研究の自由というのがあり「おまえの研究業績は質が低すぎる」というような評価を一方的に下すことも難しい。もちろんこれ自体は本来ポジティブな意味を持っていることで、時の政府の気に入らない研究をしている人間が軒並み左遷されるとか大学からクビになるという状態が望ましくないことは言うまでもない。戦前への反省を元にして個々の研究者の独立と自由を保障するシステムにしたところ、それはそれでいいのだが、その自由を濫用する人間への備えがなくなってしまいましたということではあるわけだ」
で大学の人事の特徴としては:「ダメだとわかった人を排除する仕組みが大学の場合にはきわめて弱いので、発生した場合の被害が累積するという点に特徴があるわけ」
以上,引用終わり。
まー学者・研究者の発言の自由は相当程度認められており,認められるべきである(一般論)。ただまあ,所謂「品位を欠く」発言は避けられるべきでもあり(一般論),どこがその品位のありかなのか線引きについては自由に考えるとよいよでも自由に考える権利は他の人にもあるけどねえという話でもある。「わたしはそうは思わない」と明言するだけで完全無欠の反論が行われたと思いたいならまあそれもいいんじゃないの(投げやり)。
とりあえず,彼は現時点で(さすがに,所謂)”著しい不品行”を犯したわけでもないので,懲戒解雇なんて事態にはならないでしょうよね,とは思う。
…勤務時間中の専念義務違反で怒られる,って線は…ぁぁぁぁぁぁ…ありえそう…だけど…。
でまあ,『学者なら専門領域にいろよー』とかいう意見もあるかと思うが,(それなりの)公けのお金を費やして活動しているからには,それはそれなりの責務があるのであって,そりゃあ積極的に社会的問題にコミットするべき場面も存在するかと思われる。
例えば言論の自由のために戦う任務だなんて,大学人がこそ担うべき,極めて名誉あるものではあるまいか。
自由のために戦う先覚者。このような名誉はまずもって大学人が率先して取るべきものではあるまいか。
燦然たる栄光を敢えてわが手に引き受ける,そのような傑物であってこそ,ひとはその姿に頭を垂れるものだろう。
例えば『ゲッティンゲンの七教授』なんて例もあることだ。彼らは―学問的業績もさることながら―身を賭して自由のため戦ったからこそ,その栄誉が称えられるのではあるまいか。
そんなわけで青プリン氏は己の行為がまさしく人間として正しいと確信するのであれば大学に抗議文書でも出すといいのです(投げやり)。
ところで学問の世界は民主主義では運用されない。良貨が悪貨を駆逐することを是とし,(少なくとも基本的には)そうある世界である。この点,コリアーの謝辞がなかなか奮っていて:
「基本的に,研究者たちは名声をめぐるゼロサム・ゲームを演じており,名声を得る最短ルートは傑出した業績を覆すことである。評価を求める研究者たちが,本書の主張を打破しようとするのはまちがいないだろう。そして,もちろん私も彼らの攻撃を心底恐れ,精一杯誤りを排して自衛にこれ努めた。巷ではアカデミズムの正統性から外れた思想家たちが,思わず支持したくなりそうな主張を売り歩いている。しかし,そうした主張には用心深く接しなければならない。彼らの意見は学会でまともに相手にされてはいないし,そうした主張を論破したところでなんの栄誉にもならない」(『民主主義がアフリカ経済を殺す』310f.)
…良貨はさらなる良貨によって駆逐される。悪貨?なにそれ?貨幣のなかに入れてませんが?とゆー態度である。
原則論として,言論を理由に解雇されたり抑圧された人がいたら,私は共闘する側に立つでしょう。といって,もし彼が私に『やあ君も僕を支持してくれるんだね?』とか言って近づいてきた日には,私は彼に「私をあなたと同じ枠に入れないでください!」と絶叫するだろう(※私の授業を受けた学生の一部は,そーゆー私の姿をリアルで見てたりする)。
えーとその,なんで私が彼に共感の情を持たないかというのは,あの,その,お察しください。
…で。
あんまりモノを見ず言うのもなんだかなーと思ってもう一つみてみたんだが「日本はいま内戦状態にある 」を見たら御本人のお言葉「セシウムまみれの干し草を牛に与えて毒牛をつくる行為も、セシウムまみれの水田で稲を育てて毒米つくる行為も、サリンつくったオウム信者がしたことと同じだ。福島県の農家はいま日本社会に向けて銃弾を打ってる。」…だそうで…うん,まあ(もっと疲れながら)。
追記:
なお青プリン氏がネットに張り付くのは彼の研究の一環でもある(一応仮にも):
KAKEN インターネットを活用した情報共有による新しい地学教育
代表者:早川 由紀夫・群馬大学・教育学部・教授(2011年度~)
分野的には科学教育。だから地学を巡る話題を振ってみて,その反応・受容した人の理解度を見るのも,重要な調査・検討であるといえよう(投げやりに)。あまりにも明かな科学的データを目の前にした際の一般人の反応を見る―どういえば通じるか,どういえば誤解されるのか,一つ一つが実は,彼の研究の重要な一手であるという可能性はあるのである(そうとう投げやりに)。
なんかもーやたらめったヘイトスピーチやってる雰囲気がするんだが,実はそれも,地学的事実に付随して巻き起こった社会的現実に対する考察の一手法であるかもしれない(たいへん投げやりに)。
基盤Cでしょ。創意工夫で試行錯誤した結果,ひょっこり面白い結果が出て,本来の研究目的でない成果が出ちゃうこともまたよかろう(いやそれを目的にしちゃダメだろうが。次の研究課題にする,だろうなあ,正道としては)。
とりあえず,つ おおやにき「ダメのひと」(2010年3月12日)
以下数件引用:
「まあきつく叱りおいて内々に問題を納めるかねえと関係者一同が恩情をかけたら本人は何が問題にされたのかまったく理解しておらず」
「普通の人を想定して決めた「最善の対応」が普通でない人には通じないと、まあそういう話である」
「また学問研究の自由というのがあり「おまえの研究業績は質が低すぎる」というような評価を一方的に下すことも難しい。もちろんこれ自体は本来ポジティブな意味を持っていることで、時の政府の気に入らない研究をしている人間が軒並み左遷されるとか大学からクビになるという状態が望ましくないことは言うまでもない。戦前への反省を元にして個々の研究者の独立と自由を保障するシステムにしたところ、それはそれでいいのだが、その自由を濫用する人間への備えがなくなってしまいましたということではあるわけだ」
で大学の人事の特徴としては:「ダメだとわかった人を排除する仕組みが大学の場合にはきわめて弱いので、発生した場合の被害が累積するという点に特徴があるわけ」
以上,引用終わり。
まー学者・研究者の発言の自由は相当程度認められており,認められるべきである(一般論)。ただまあ,所謂「品位を欠く」発言は避けられるべきでもあり(一般論),どこがその品位のありかなのか線引きについては自由に考えるとよいよでも自由に考える権利は他の人にもあるけどねえという話でもある。「わたしはそうは思わない」と明言するだけで完全無欠の反論が行われたと思いたいならまあそれもいいんじゃないの(投げやり)。
とりあえず,彼は現時点で(さすがに,所謂)”著しい不品行”を犯したわけでもないので,懲戒解雇なんて事態にはならないでしょうよね,とは思う。
…勤務時間中の専念義務違反で怒られる,って線は…ぁぁぁぁぁぁ…ありえそう…だけど…。
でまあ,『学者なら専門領域にいろよー』とかいう意見もあるかと思うが,(それなりの)公けのお金を費やして活動しているからには,それはそれなりの責務があるのであって,そりゃあ積極的に社会的問題にコミットするべき場面も存在するかと思われる。
例えば言論の自由のために戦う任務だなんて,大学人がこそ担うべき,極めて名誉あるものではあるまいか。
自由のために戦う先覚者。このような名誉はまずもって大学人が率先して取るべきものではあるまいか。
燦然たる栄光を敢えてわが手に引き受ける,そのような傑物であってこそ,ひとはその姿に頭を垂れるものだろう。
例えば『ゲッティンゲンの七教授』なんて例もあることだ。彼らは―学問的業績もさることながら―身を賭して自由のため戦ったからこそ,その栄誉が称えられるのではあるまいか。
そんなわけで青プリン氏は己の行為がまさしく人間として正しいと確信するのであれば大学に抗議文書でも出すといいのです(投げやり)。
ところで学問の世界は民主主義では運用されない。良貨が悪貨を駆逐することを是とし,(少なくとも基本的には)そうある世界である。この点,コリアーの謝辞がなかなか奮っていて:
「基本的に,研究者たちは名声をめぐるゼロサム・ゲームを演じており,名声を得る最短ルートは傑出した業績を覆すことである。評価を求める研究者たちが,本書の主張を打破しようとするのはまちがいないだろう。そして,もちろん私も彼らの攻撃を心底恐れ,精一杯誤りを排して自衛にこれ努めた。巷ではアカデミズムの正統性から外れた思想家たちが,思わず支持したくなりそうな主張を売り歩いている。しかし,そうした主張には用心深く接しなければならない。彼らの意見は学会でまともに相手にされてはいないし,そうした主張を論破したところでなんの栄誉にもならない」(『民主主義がアフリカ経済を殺す』310f.)
…良貨はさらなる良貨によって駆逐される。悪貨?なにそれ?貨幣のなかに入れてませんが?とゆー態度である。
原則論として,言論を理由に解雇されたり抑圧された人がいたら,私は共闘する側に立つでしょう。といって,もし彼が私に『やあ君も僕を支持してくれるんだね?』とか言って近づいてきた日には,私は彼に「私をあなたと同じ枠に入れないでください!」と絶叫するだろう(※私の授業を受けた学生の一部は,そーゆー私の姿をリアルで見てたりする)。
えーとその,なんで私が彼に共感の情を持たないかというのは,あの,その,お察しください。
…で。
あんまりモノを見ず言うのもなんだかなーと思ってもう一つみてみたんだが「日本はいま内戦状態にある 」を見たら御本人のお言葉「セシウムまみれの干し草を牛に与えて毒牛をつくる行為も、セシウムまみれの水田で稲を育てて毒米つくる行為も、サリンつくったオウム信者がしたことと同じだ。福島県の農家はいま日本社会に向けて銃弾を打ってる。」…だそうで…うん,まあ(もっと疲れながら)。
追記:
なお青プリン氏がネットに張り付くのは彼の研究の一環でもある(一応仮にも):
KAKEN インターネットを活用した情報共有による新しい地学教育
代表者:早川 由紀夫・群馬大学・教育学部・教授(2011年度~)
分野的には科学教育。だから地学を巡る話題を振ってみて,その反応・受容した人の理解度を見るのも,重要な調査・検討であるといえよう(投げやりに)。あまりにも明かな科学的データを目の前にした際の一般人の反応を見る―どういえば通じるか,どういえば誤解されるのか,一つ一つが実は,彼の研究の重要な一手であるという可能性はあるのである(そうとう投げやりに)。
なんかもーやたらめったヘイトスピーチやってる雰囲気がするんだが,実はそれも,地学的事実に付随して巻き起こった社会的現実に対する考察の一手法であるかもしれない(たいへん投げやりに)。
基盤Cでしょ。創意工夫で試行錯誤した結果,ひょっこり面白い結果が出て,本来の研究目的でない成果が出ちゃうこともまたよかろう(いやそれを目的にしちゃダメだろうが。次の研究課題にする,だろうなあ,正道としては)。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます