事務室でうちの部署の不手際を指摘され,あんまり慌てて「うにー,あうあうあう」とか言ったら別の生き物を見るような目で見られました(日記)。まぁ私の責任じゃないからいいか。
さて今日は,まあ最近説明にいい記事を見かけたことでもあるし,いい機会だからソマリア再解放連盟(ARS)とイスラム法廷連合(UIC)とアル・シャバブ(al Shabaab,UIC青年武装部門)との区別を,ちょっとメモしときましょう。
まず,UICとゆーのはイスラム法廷,これは2006年に南ソマリアをほぼ統一した勢力。代表者はHassan Dahir Aweys(過激派)とSheikh Sharif Ahmed(穏健派)。既にこの時期から過激派・穏健派の差異は一応あって,アメリカは穏健派Sheikh Sharif Ahmedに工作していたといわれます―暫定政府と妥協するように,というわけだ。
だけどご承知の通り,UIC政権は無謀な攻勢をわざわざ自分から仕掛け,あっというまに潰走,首都陥落。無論,こんなあっさり進攻できたってことは,エチオピア・ソマリア暫定政府側の準備は万端だったわけで(エチオピアは介入する気満々だったでしょうねー。アメリカから,『うちにとってのイラクみたいになるぞ』と警告されていたにも関わらずやっちゃうんだからー),まーIndha Adeを無謀無策の愚か者扱いするのは可哀想ではあります。
勝てないんだから。やる前から,んなこと分かりきってるんだから。
んで,UIC残党は,最終的にはエリトリアに逃れ,ここでUICを発展的解消,国外の反暫定政府勢力を糾合してソマリア再解放連盟ARSを結成。
これには,Sharif Hassan Sheikh Aden(彼に言及する記事メモ:AllAfrica.com,Shabelle MM Somalia: Sheikh Sharif Meets U.S. Envoy in Kenya )やアイディードなど,暫定政府を離脱した人々が合流しています。だからUIC = ARSという式は不正確です。ほとんど同一だけど。
そんなわけで,結局はARSはUICメンバー中心なわけですが,やっぱり穏健派・過激派の対立止み難く,結局ARSジブチ派が(事実上)成立。こちらのトップはSheikh Sharif Ahmed。代わりにエリトリア派のトップはAweysがとった。
この二派の決定的な相違は,『ジブチ合意を認めるか否か』。2008年6月サインのジブチ合意は,停戦合意成立後のエチオピア軍撤退を定めます。ですが,ARS過激派としては,『最初にエチオピア軍が撤退するのが筋だろう。AU軍も,イスラム教国で編制されるならまぁいいが』という立場。ジブチ合意は認めることができません。
んで。アル・シャバブは,UICの青年武装組織ということで,ARS/UICの指揮下にちゃんと収まっているかというと微妙にしからず。この点は昨日お伝えしたので別項参照(「UICとal Shabaabとの間に意見の相違が:ソマリア」)。
…これがねぇ…Ayroが生きていれば…避けられたかもしれない事態ですよねぇ…。AyroはAweysを心の師としてたそうで,Ayroが生きていれば,ARS過激派の意向はもっと伝わりやすかった可能性が…。
閑話休題。
つまりアルシャバブはアルシャバブで,ある程度の独立性を保持しているわけです。南部で作戦中のTurkiはアルシャバブのelderになりたいと希望をもらしています。武装闘争の先達Turkiは,その位置に相応しいかもしれませんけど,さらにアルシャバブの独立性を強めるよーな気もせんでもない。
昨日の記事でUIC系武装勢力って話題がでましたが,つまり昔ながらの勢力もあるってわけですね。彼らは,しばしば寧ろ各部族ごとに帰属意識のある民兵で,ARSリーダー(寧ろ文民方向)たちと運命共同体なんでしょう。
だからSheikh Sharif派民兵は,寧ろ未だ戦闘を続けるアルシャバブを犯罪者呼ばわりするわけだ。和平交渉の成果が出ているのに,わざわざそれを破壊するのはウォーモンガー以外の何ものでもない,というわけだ。
他方,アルシャバブにとって見れば,抵抗運動真っ最中に離脱する大人たちって汚い!なわけで。
さらに問題を困難にするのは,暫定政府軍といえど,一枚岩ではなかったりするのです。
ある時,アルシャバブがとある政府軍基地を攻撃,数名を死亡させる大戦果を挙げたところ,ハウィエ氏族会議議長Diriye氏が猛烈に怒りまくり,アルシャバブを非難したことがあった。
なにがあったって,ハウィエ氏族会議は,反政府側としては早期に政府と一定の妥協をみて,氏族民兵を暫定政府軍として供出してたってわけですね。
そこでDiriyeさん,自分のところの若いのが纏めて何人も殺されtechnicalは奪われてで大激怒。うちを狙い撃ちにするってのは,これはうちへの宣戦布告とみていいって訳かこの若造ども,ってわけ。
まー私が把握してる限りの関係は,ざっとこんなところ。
纏めると,
○UICとARSとは完全に一致はしない(ARSには暫定政府からの離脱組とか混ざるよ!)
○ARSはエリトリア派とジブチ派の二つに事実上分かれる(ジブチ合意が分かれ目)
○アルシャバブは必ずしもARS/UIC本部のいうことは聞かない
○UIC側の武装勢力も現存。アルシャバブとは距離をとる
○暫定政府軍にはハウィエ民兵とか混ざってるぽいよ!
なお,キスマユはアルシャバブが取ったということです。市長には,ソマリランド出身の人物を据えた由。氏族の柵を離れた大胆な起用というべきで,アルシャバブはもしかしたら,ソマリア全土を視野に入れたイスラム的国民運動を目指しているのかもしれない―そう考えることも可能です。
まぁなんだ,学生運動を思わせるとか,そーいうことを思わなくもないが。
その理想は高いものがあると,言ってあげるべきではあるでしょう。多分。
あの暴力の垂れ流しは大問題で,おいそれと国を任すわけにはいくまいな,とも思いますが。キリスト教会破壊とか,いつぞやのタリバンの轍を踏んでる感もないではないしー。
さて今日は,まあ最近説明にいい記事を見かけたことでもあるし,いい機会だからソマリア再解放連盟(ARS)とイスラム法廷連合(UIC)とアル・シャバブ(al Shabaab,UIC青年武装部門)との区別を,ちょっとメモしときましょう。
まず,UICとゆーのはイスラム法廷,これは2006年に南ソマリアをほぼ統一した勢力。代表者はHassan Dahir Aweys(過激派)とSheikh Sharif Ahmed(穏健派)。既にこの時期から過激派・穏健派の差異は一応あって,アメリカは穏健派Sheikh Sharif Ahmedに工作していたといわれます―暫定政府と妥協するように,というわけだ。
だけどご承知の通り,UIC政権は無謀な攻勢をわざわざ自分から仕掛け,あっというまに潰走,首都陥落。無論,こんなあっさり進攻できたってことは,エチオピア・ソマリア暫定政府側の準備は万端だったわけで(エチオピアは介入する気満々だったでしょうねー。アメリカから,『うちにとってのイラクみたいになるぞ』と警告されていたにも関わらずやっちゃうんだからー),まーIndha Adeを無謀無策の愚か者扱いするのは可哀想ではあります。
勝てないんだから。やる前から,んなこと分かりきってるんだから。
んで,UIC残党は,最終的にはエリトリアに逃れ,ここでUICを発展的解消,国外の反暫定政府勢力を糾合してソマリア再解放連盟ARSを結成。
これには,Sharif Hassan Sheikh Aden(彼に言及する記事メモ:AllAfrica.com,Shabelle MM Somalia: Sheikh Sharif Meets U.S. Envoy in Kenya )やアイディードなど,暫定政府を離脱した人々が合流しています。だからUIC = ARSという式は不正確です。ほとんど同一だけど。
そんなわけで,結局はARSはUICメンバー中心なわけですが,やっぱり穏健派・過激派の対立止み難く,結局ARSジブチ派が(事実上)成立。こちらのトップはSheikh Sharif Ahmed。代わりにエリトリア派のトップはAweysがとった。
この二派の決定的な相違は,『ジブチ合意を認めるか否か』。2008年6月サインのジブチ合意は,停戦合意成立後のエチオピア軍撤退を定めます。ですが,ARS過激派としては,『最初にエチオピア軍が撤退するのが筋だろう。AU軍も,イスラム教国で編制されるならまぁいいが』という立場。ジブチ合意は認めることができません。
んで。アル・シャバブは,UICの青年武装組織ということで,ARS/UICの指揮下にちゃんと収まっているかというと微妙にしからず。この点は昨日お伝えしたので別項参照(「UICとal Shabaabとの間に意見の相違が:ソマリア」)。
…これがねぇ…Ayroが生きていれば…避けられたかもしれない事態ですよねぇ…。AyroはAweysを心の師としてたそうで,Ayroが生きていれば,ARS過激派の意向はもっと伝わりやすかった可能性が…。
閑話休題。
つまりアルシャバブはアルシャバブで,ある程度の独立性を保持しているわけです。南部で作戦中のTurkiはアルシャバブのelderになりたいと希望をもらしています。武装闘争の先達Turkiは,その位置に相応しいかもしれませんけど,さらにアルシャバブの独立性を強めるよーな気もせんでもない。
昨日の記事でUIC系武装勢力って話題がでましたが,つまり昔ながらの勢力もあるってわけですね。彼らは,しばしば寧ろ各部族ごとに帰属意識のある民兵で,ARSリーダー(寧ろ文民方向)たちと運命共同体なんでしょう。
だからSheikh Sharif派民兵は,寧ろ未だ戦闘を続けるアルシャバブを犯罪者呼ばわりするわけだ。和平交渉の成果が出ているのに,わざわざそれを破壊するのはウォーモンガー以外の何ものでもない,というわけだ。
他方,アルシャバブにとって見れば,抵抗運動真っ最中に離脱する大人たちって汚い!なわけで。
さらに問題を困難にするのは,暫定政府軍といえど,一枚岩ではなかったりするのです。
ある時,アルシャバブがとある政府軍基地を攻撃,数名を死亡させる大戦果を挙げたところ,ハウィエ氏族会議議長Diriye氏が猛烈に怒りまくり,アルシャバブを非難したことがあった。
なにがあったって,ハウィエ氏族会議は,反政府側としては早期に政府と一定の妥協をみて,氏族民兵を暫定政府軍として供出してたってわけですね。
そこでDiriyeさん,自分のところの若いのが纏めて何人も殺されtechnicalは奪われてで大激怒。うちを狙い撃ちにするってのは,これはうちへの宣戦布告とみていいって訳かこの若造ども,ってわけ。
まー私が把握してる限りの関係は,ざっとこんなところ。
纏めると,
○UICとARSとは完全に一致はしない(ARSには暫定政府からの離脱組とか混ざるよ!)
○ARSはエリトリア派とジブチ派の二つに事実上分かれる(ジブチ合意が分かれ目)
○アルシャバブは必ずしもARS/UIC本部のいうことは聞かない
○UIC側の武装勢力も現存。アルシャバブとは距離をとる
○暫定政府軍にはハウィエ民兵とか混ざってるぽいよ!
なお,キスマユはアルシャバブが取ったということです。市長には,ソマリランド出身の人物を据えた由。氏族の柵を離れた大胆な起用というべきで,アルシャバブはもしかしたら,ソマリア全土を視野に入れたイスラム的国民運動を目指しているのかもしれない―そう考えることも可能です。
まぁなんだ,学生運動を思わせるとか,そーいうことを思わなくもないが。
その理想は高いものがあると,言ってあげるべきではあるでしょう。多分。
あの暴力の垂れ流しは大問題で,おいそれと国を任すわけにはいくまいな,とも思いますが。キリスト教会破壊とか,いつぞやのタリバンの轍を踏んでる感もないではないしー。
先走ったARSから『エチオピアに虐殺されたDiriyeのことを忘れまい』とか死人扱いされたものの,直後にエチオピアから生還。
あれは笑ったな,うん。