愛知トリエンナーレ「表現の不自由展」、脅迫の犯人も捕まったみたいだし、なるべく早い時期に再開して欲しい。再開しないと中止理由が脅迫以外にもあるのではないかと邪推が広がる。
— 山口貴士 aka無駄に感じが悪いヤマベン (@otakulawyer) 2019年8月8日
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つまりまあ、津田大介が今回、えらく嫌われたのは―一般・穏健派にまで嫌われているらしいのは、この文化収奪者の属性をでろでろと垂れ流しにした点にある、といってもよかろう。
まあ、もとからそうだったでしょう、いまさら何を言ってるんです、という意見は大いにあろうが:
私が津田大介を許せないのは、愛知の件でもなく、ファクトチェック福島の件でもなく、ネットランナー誌で散々「激生ぶっこ抜き」等とコンテンツの違法コピーや違法ダウンロードを奨励していた事。
— めがです -繊細だんびら- (@megadeth0907) 2019年8月9日
そんな事をやっていた人が、総括もなしに文化だ表現だアートだのをやっているのを見ると反吐が出る。
自分がどれだけコンテンツ、知的財産に対して打撃を与えて駄目にしてきたか分かってるんだろうか?
— めがです -繊細だんびら- (@megadeth0907) 2019年8月9日
「エロゲもアドビも動画も落とせ(ダウンロードしろ)」を合言葉に「購入厨(買うやつは馬鹿、の意)」なる蔑称まで登場した。津田大介は日本のデジタルコンテンツを滅茶苦茶にした張本人なんだよ。
わたしとしても、違法ダウンロード推奨芸で一世を風靡したひと、という認識なもので、なんで文化人のマネをしているんだろう、このひと?と延々と思っている。
宮台真司の批判に全く同感。”愛知トリエンナーレ企画展中止問題で、宮台氏の指摘が的確だと思います。 ・テロに屈して中止してしまった未熟さ ・エログロが無い「表現の不自由展」は政治オンリーのプロパガンダ”https://t.co/hZG9RMEcmf
— 高村武義 #WalkAway (@tk_takamura) 2019年8月10日
宮台氏が「エログロが無い「表現の不自由展」は政治オンリーのプロパガンダ」とも纏めるようだが、これ。芸術の話をすべき場面で、『芸術表現のなかには政治的主張のものもあるだろう、ということで僕の選んだこの政治的作品も芸術だ!』とプロパガンダの手段に芸術展を利用したところ。これは「芸術」という形式に直接、水準に達しない制作物で侵略をしたわけであり、まあ、いろんなプレイヤーから嫌われるよね、と。
レベルを、水準を超えていれば、受け入れられるのよ―しばしば、なんらかのルートで。『東方』シリーズをあげておけばいいだろうか。あの絵も、テキストも、それ自体では天下をとるようなものでないのは納得されるだろう―だが現に総合的には大ヒットであり、天下をとったといえる。多数の模倣者を発生せしめたものだが、じゃあ今回、渦中の制作物たちは、それほどの質であるものかどうか。
―「政治的に正しいから、それに対する批判的言動は政治的に制圧される」というアタマでいやしなかったか?と問われているのだ。
【真っ当な批評軸の例として】
これに始まる東郷さんの一連のtwが、表現の不自由展に関する問題・課題を端的に表しており、併せて評価の真っ当な姿勢を体現されていると思います
— bass_ikeda (@bass_ikeda) 2019年8月4日
こういう形の評価を積み重ねるべきでした
抗議によって展示を中止させたのは全くの愚策だったと思います
これで終えて十分なんですが、一応思ったことを。まず、コンセプトと作品が乖離しすぎ。「表現の不自由」から考えるさまざまな不自由性、絡め取られてる感じが一つ一つの作品から感じられない。スペースは狭く作品数も少ないのだけど、しかしその少ない作品ですら関連が読み取れなくて。
— 東郷正永 (@TOGO_Masanaga) 2019年8月3日
つまりこの件に関して最初に「天皇の写真を焼いた」のは富山近代美術館だ、ということを指摘するためにその時に発表した天皇の写真を一部に使ったコラージュを燃やす映像を作った、ということが(ものすごくものすごく)好意的な解釈です。なんで好意的かっていったらこの映像が超つまんないから。
— 東郷正永 (@TOGO_Masanaga) 2019年8月3日
で、最高にホッテストな話題になった慰安婦問題ですが、これちょっと考えるとわかると思うんですが「国内で表現を拒絶された」記憶なんてあります?僕はなくて、どういうことなんだろうと思ってたんですが、まあこれが。まずオリジナルは在韓日本大使館前に作られたブロンズかなんかの像です。
— 東郷正永 (@TOGO_Masanaga) 2019年8月3日
もう一度言うけどこれは造形的には出来がよくて、ていうか他の作品、ていってもほんと少ないしょぼい展示なんだけど、あの中では白眉といっていいでしょう。隣に同じ椅子が置いてあって座って写真とっていいのも現代の作品ぽかった。撮ったけどわSNSに上げるなとあったので自重しますけど。
— 東郷正永 (@TOGO_Masanaga) 2019年8月3日
あまりにも公平な見解である:「これは造形的には出来がよくて」「あの中では白眉といっていいでしょう」。実際、わたしにも同意できる。
しかし、問題はコンセプトです。「表現の不自由」それはよいと思います。例えば、前回の2015年の「表現の不自由展」以降の3年ちょっとで抗議により展示からはずされた差品をできるかぎり網羅していたら(そしてそれが僕が期待していたものですが)、これがまあ恣意的すぎてわらっちゃう。
— 東郷正永 (@TOGO_Masanaga) 2019年8月3日
横尾忠則のもう一つは、ニューヨークのMOMAでの展示について。横尾忠則はよく作品に旭日旗のようなデザインをするんだけど、このこと在米の韓国系市民団体が噛み付いた。ちなみに作品自体はないです。ただひっかかるのは、これはMOMAで抗議により撤収はされてない。少なくともその記述はなかった。
— 東郷正永 (@TOGO_Masanaga) 2019年8月3日
「美術展で展示されていた作品が抗議により撤収された」ことを網羅的に、もちろん徹底しきれないかもしれないけど機械的な態度でやったらめちゃくちゃ面白くなったと思うけど、ぜんぜんそんなことはなく。そもそもレプリカとか撤収騒ぎがあったことを描く後追いの作品を展示するのはどうかと思うよ。
— 東郷正永 (@TOGO_Masanaga) 2019年8月3日
もともと、プロテスト系のアートというのは一段落ちると思ってて、それはテーマが社会から与えられてるからです。自分の中から出てきてない。逆にそれでもすごいものを作る人がいて、小林多喜二なんかはそうです。あと同じ理由でプロパガンダもだけど、レニ・リーフェンシュタールみたいな天才がいる。
— 東郷正永 (@TOGO_Masanaga) 2019年8月3日
これなんだよなあ:「自分の中から出てきてない」。どうしてもこれは自分がやらなきゃ世に出ない!というような、なにか燃える魂かなにかがないと、論文だって美術作品だって面白くない。それがなくともなんとかできちゃうような天才はいたりするが。
ということで、今回、①美術家の内発的な止むに止まれぬなにかの発露といったものでないのでつまらない、しかも②ある政治的立場からの要請に従ったものというのが丸分りで、それ以外の立場から見るとどうもうまくない、そして③せっかくの機会なのにそうした作品群を選出した、選出者側(監督)ならではの統一的テーマだの哲学だのという雰囲気がどーも希薄である(「監督に人を得なかった」ということだが)―
―なんかひどい評価を言いそうになるので、「ある文化領域を利用したり収奪したりその価値を剽窃しようとしたことは分るが、その手法が稚拙に過ぎた」、そういう文化収奪の一例と見てはどうかなあ、とメモしてみる。
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