空野雑報

ソマリア中心のアフリカニュース翻訳・紹介がメイン(だった)。南アジア関係ニュースも時折。なお青字は引用。

「ヤマトのリベラル」についての山口二郎評

2018-02-08 00:50:42 | Weblog


 この自己批判は尤もなことであり、率直なものであり、賞賛すべきものと思う。
 この裏返しの例がいつ・どこにあったか―と考えてみるべきなのだ。
 戦後、権力の暴虐に対して立ち上がり、現場・地元の人々と寄り添いながらともに戦い、信頼を得て、勝利した運動はあったのか、どうか。

 もちろん、存在した。

 そして今、”リベラル”を声高に自称する人々の多くは、かつての先人たちのようには活動していないのではないのか。
 他方、この”リベラル”によって御用学者と誹謗される種の人々こそ、かつての先人たちのように活動しているのではないのか、どうか。例えば福島をめぐって信頼を得てきたのはどのような人々であっただろうか。

 東北沿岸諸県は、はたして、避難所まできてブルーシートにひざついて被災者と語った天皇と、例えば社民党と、いずれを支持するのか、どうか:



 どういう客層を想定しているのかな、という重大なメルクマールだったりしましたね。
 で、他の類例を想起するに―





 ―こうして私は、山口二郎氏が、類例たちのなかでは一頭地を抜いて優秀なひとなのだという認識を新たにする。たとえば「具体的に自分自身では何もできないヤマトのリベラル、左派」が、沖縄の運動の(まあ悪い言い方をすれば)寄生虫になっていて、沖縄の運動を力づけることができなかったということを自認するのである。勇気ある判断というべきじゃないか。危機を単にあおったり、他人を責めているだけの人々とははるかに水準を異にする。

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