とりあえず,ヴェーダもプトレマイオスもたいへんだ(日本語版Wikipedia)。
一回も見てないのでなんですが,新ガンダムの設定は微妙なリアルを狙ったもののようで,なんだか脇ヒロインクラスの少女が戦闘行動に巻き込まれて左手切断だとか(どうもガンダム(?)パイロットがとある結婚式の情景をみてなんとなくムカついてちょっと攻撃してみたのに巻き込まれたということらしい,Google検索)。
設定とこの結果だけから推測すると―超お金持ちお嬢様タカビー留学生が(察するに気弱な)彼氏を振り回す日常を第一話から延々描き,その彼氏が一念発起,指輪をプレゼントしよう!というところまで行き着いたら,その時には彼女は左手も家族も失ったあとであった―。
鬱展開。
しかし意外に現実にもありそうなところが変にリアルではある。
でも二次元くらいはほわほわはにゃーんでいてくださいよまったくもう。
なんともうしますか,設定を見ている限りいろいろ各方面で頭を抱えたくなる気がします,たった4騎の超絶兵器で世界に平和を強制しようとか一体何それ,的な。兵器開発で迷走したジオン軍を絶対的な物量と標準化と量産化で圧倒した連邦軍は何処に行ったのー。
…まぁ「ククルス・ドアンの島」もあることですが。
なんでこんなメモを書いているかというと,たまに「ブラックホーク・ダウン」を真っ当な頭の持ち主が見るとどう読めるかという感じの記事に出合ったから。
ソマリアに絡めて話をするなら私も,と言いたいとこですけど,概ねこちら:「祝、9万ヒット!!と言うわけで、史実を基にCBの武力介入について考えてみる」さんの書かれるところで宜しかろう,という感じ。それがガンダム00と平和強制ソレスタル・ビーイングに連なっていくあたりがいかにもそっちの人っぽいところ。
そんなわけで読んでなるほどと思って,トラックバック歓迎と言っているので僕にしては珍しくトラックバック送ってみたので確認すると良いのです☆
つけ加えたいかもという点は,うん,ああした国では民兵と一般市民の区別が付けづらい,というところに今一歩突っ込みを,だろうか。いやもう,『銃を持っているか,いないか』『戦闘車両に乗っているか,いないか』『手榴弾を持っているか,いないか』くらいで,衣服は下手するとまったく変わらなかったりとか。
ふつう,戦闘要員は外見上それと判る服装をしないといけないわけでして。
そこからして,所謂民兵らは,戦争法規の外部に自らを置く存在だったりするわけだ。―捕虜になる権利がない,とも言える。だって兵士じゃないんだもん。
他方,平和維持軍側は戦争法規にがんじがらめなわけで。でないと,正義を主張する根拠が危うくなったりするわけで。
彼ら―国連軍なり,アメリカ軍なり―は,そうした点で明らかに不利なルールで戦っている。
突然自分が在イラクアメリカ軍参謀になったと想像してみればいい。思考実験開始直後に「アンフェアだ!」と叫びたくなるのは必定。
こっちの手駒は世界中から注視されてて配備地点も公然の秘密。
あっちは,何が手駒かも不明。
軍人将棋を,こっちだけ手の内晒してやってるようなものだ。
偵察能力を駆使して『よぉしここだ!』と爆撃すると,『ざんねんそこは一般人だった!』おいちょっとまてそれは駒の内に入れていいのか?
参ったなと思って長考してると,相手は突然ギャラリーに殴りかかったりする。おいおい,何してるんだ,そこに軍人はいないぞ? 『お前が手を拱いているのが悪い』。すいません,ギャラリーさん,私が悪いんですか? 『勿論,お前が手を拱いているのが悪い』。
これではよほどのマゾヒストでないとつとまらない。
閑話休題。
こんな具合に,『戦争法規は守らねばなりません』という常識も,実はお金持ちの人権大国(の間)であってはじめて常識なんであったりする。それは当該国家で命がどれほど高価かということに関係する。…ああいや,ナチドイツの西部戦線と東部戦線の違いを想起されたし。なんでも西部では,『後ろ手に縛られた捕虜が死んでいた』ということが外交上の重大問題になるのですってよ? なんて文化的なのかしら。
紛争地帯では,しばしば,人命なんか擂り潰して構わない,という考え方をするみたい。それは”成人”までのコストが安いことと関わるだろう。これに対して人道的な大国が「人道的な武力介入」なるものを行う―これは成り立つかどうか,非常に微妙なものではある。
大体が,今はアメリカの協力者たるアンバル・スンニ覚醒会議の暗殺された族長ですっけか,部族は「最後の子供の一人」に至るまでアルカイダと戦う,といったのは。ええっとそれ,不退転の決意以上の何ものか,場合によってはチャイルドソルジャーも辞さないぞ宣言に聞こえるんですが…。
…いやほんと,アメリカ軍の中の人の苦労が偲ばれるというか…。
一回も見てないのでなんですが,新ガンダムの設定は微妙なリアルを狙ったもののようで,なんだか脇ヒロインクラスの少女が戦闘行動に巻き込まれて左手切断だとか(どうもガンダム(?)パイロットがとある結婚式の情景をみてなんとなくムカついてちょっと攻撃してみたのに巻き込まれたということらしい,Google検索)。
設定とこの結果だけから推測すると―超お金持ちお嬢様タカビー留学生が(察するに気弱な)彼氏を振り回す日常を第一話から延々描き,その彼氏が一念発起,指輪をプレゼントしよう!というところまで行き着いたら,その時には彼女は左手も家族も失ったあとであった―。
鬱展開。
しかし意外に現実にもありそうなところが変にリアルではある。
でも二次元くらいはほわほわはにゃーんでいてくださいよまったくもう。
なんともうしますか,設定を見ている限りいろいろ各方面で頭を抱えたくなる気がします,たった4騎の超絶兵器で世界に平和を強制しようとか一体何それ,的な。兵器開発で迷走したジオン軍を絶対的な物量と標準化と量産化で圧倒した連邦軍は何処に行ったのー。
…まぁ「ククルス・ドアンの島」もあることですが。
なんでこんなメモを書いているかというと,たまに「ブラックホーク・ダウン」を真っ当な頭の持ち主が見るとどう読めるかという感じの記事に出合ったから。
ソマリアに絡めて話をするなら私も,と言いたいとこですけど,概ねこちら:「祝、9万ヒット!!と言うわけで、史実を基にCBの武力介入について考えてみる」さんの書かれるところで宜しかろう,という感じ。それがガンダム00と平和強制ソレスタル・ビーイングに連なっていくあたりがいかにもそっちの人っぽいところ。
そんなわけで読んでなるほどと思って,トラックバック歓迎と言っているので僕にしては珍しくトラックバック送ってみたので確認すると良いのです☆
つけ加えたいかもという点は,うん,ああした国では民兵と一般市民の区別が付けづらい,というところに今一歩突っ込みを,だろうか。いやもう,『銃を持っているか,いないか』『戦闘車両に乗っているか,いないか』『手榴弾を持っているか,いないか』くらいで,衣服は下手するとまったく変わらなかったりとか。
ふつう,戦闘要員は外見上それと判る服装をしないといけないわけでして。
そこからして,所謂民兵らは,戦争法規の外部に自らを置く存在だったりするわけだ。―捕虜になる権利がない,とも言える。だって兵士じゃないんだもん。
他方,平和維持軍側は戦争法規にがんじがらめなわけで。でないと,正義を主張する根拠が危うくなったりするわけで。
彼ら―国連軍なり,アメリカ軍なり―は,そうした点で明らかに不利なルールで戦っている。
突然自分が在イラクアメリカ軍参謀になったと想像してみればいい。思考実験開始直後に「アンフェアだ!」と叫びたくなるのは必定。
こっちの手駒は世界中から注視されてて配備地点も公然の秘密。
あっちは,何が手駒かも不明。
軍人将棋を,こっちだけ手の内晒してやってるようなものだ。
偵察能力を駆使して『よぉしここだ!』と爆撃すると,『ざんねんそこは一般人だった!』おいちょっとまてそれは駒の内に入れていいのか?
参ったなと思って長考してると,相手は突然ギャラリーに殴りかかったりする。おいおい,何してるんだ,そこに軍人はいないぞ? 『お前が手を拱いているのが悪い』。すいません,ギャラリーさん,私が悪いんですか? 『勿論,お前が手を拱いているのが悪い』。
これではよほどのマゾヒストでないとつとまらない。
閑話休題。
こんな具合に,『戦争法規は守らねばなりません』という常識も,実はお金持ちの人権大国(の間)であってはじめて常識なんであったりする。それは当該国家で命がどれほど高価かということに関係する。…ああいや,ナチドイツの西部戦線と東部戦線の違いを想起されたし。なんでも西部では,『後ろ手に縛られた捕虜が死んでいた』ということが外交上の重大問題になるのですってよ? なんて文化的なのかしら。
紛争地帯では,しばしば,人命なんか擂り潰して構わない,という考え方をするみたい。それは”成人”までのコストが安いことと関わるだろう。これに対して人道的な大国が「人道的な武力介入」なるものを行う―これは成り立つかどうか,非常に微妙なものではある。
大体が,今はアメリカの協力者たるアンバル・スンニ覚醒会議の暗殺された族長ですっけか,部族は「最後の子供の一人」に至るまでアルカイダと戦う,といったのは。ええっとそれ,不退転の決意以上の何ものか,場合によってはチャイルドソルジャーも辞さないぞ宣言に聞こえるんですが…。
…いやほんと,アメリカ軍の中の人の苦労が偲ばれるというか…。
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