不登校児が好き勝手気ままに振る舞うのを肯定したいわけではないですが、エジソンの母じゃないけど、学校に行かせたほうがいいか、行かせないでいいやり方があるならそちらを模索したほうがいいんじゃないかみたいな問いは、だんだん現実味を持って突き詰められはじめているのでは?
— 慈永祐士 (@jiei_yushi) 2019年5月6日
平野耕太先生のお言葉
三角関数元素記号は自分の人生ではいらんと決めたなら
— 平野耕太 (@hiranokohta) 2019年1月5日
その分のリソースは
ちゃんと別のところに傾注しないとダメなんじゃないですかね
逆に言えばその分、別のとこに傾注するんならいいんじゃないすかね
得手不得手あるもん
を参照すればよい。
別に不登校になっても構わんし、不登校を続けててもかまわん。完全引きこもり生活を一生保障できるほどの財産を親から分与されるのなら、まあそれも良かろう。家賃収入だけで月150万だとかな。
でまあ、
小学生革命家ゆたぼん君の父親(心理カウンセラー)はゆたぼん君と一緒に有料の講演会を開くようで、氏もまた社会規範の型に収まる事を「ロボットになる」と表現しており、完全にゆたぼん君が父親のロボットである事がわかる。かなり辛い案件だなこれ。
— ピンフスキー (@hideyosino) 2019年5月6日
それで食っていけるなら、それはそれでええでしょうけど、という話である。学校を辞めたいとかいう子は、一定程度発生するし、そういう子・親に対するセミナーで食っていける見込みがあるなら、まあ、それもひとつの人生の道だろう。
この子に対する批判が多い感じですが、私も詳しいことは分からないですが、「不登校の理想的なあり方」自体の模索の中途の一つのかたちに過ぎないので、批判、否定も、そに芽を潰すのはちょっと抵抗がある。というか、ブラック職場の職員が教える公教育のほうは不安じゃないのか。
— 慈永祐士 (@jiei_yushi) 2019年5月6日
「ブラック職場の職員が教える公教育のほう」の問題は別個ですから。
でまあ、「この子の自発的な試みを潰すことになりはしないか」という方向の懸念については
その承認を件の児童が求めようとした場所を用意したのが「大人」である、という現実を考慮に入れないと、理解してもらえない子どもは可哀想とか子ども頑張ってるのに批判している大人は酷い、となるんだなと思いました(・ω・) https://t.co/vM77t64gQH
— 高城悠紀 (@yannyanya) 2019年5月6日
これは上手い批判。
不登校をしたければ個人的にただ不登校をしていればよいのに、何故世間に不登校であることは素晴らしいと発信する必要があるのか。まずその辺りから引っかかるんで、世間に堂々主張する内容かと批判されるのは当たり前だと思いますよ
— 高城悠紀 (@yannyanya) 2019年5月6日
何かを作ったり素晴らしい技量を見せたりするのではなく「不登校という自分の状態が他者にも価値がある」とはどういう思考回路によりもたらされた考えか。彼の年齢が義務教育期間を過ぎたらその主張は全く意味を持たなくなることも含めて、何やってんでしょうかとおばちゃん思ってる(・ω・)
— 高城悠紀 (@yannyanya) 2019年5月6日
「彼の年齢が義務教育期間を過ぎたらその主張は全く意味を持たなくなる」とは限らず、”義務教育なんか受けなくてもこのように立派に大人になって立派に大金をセミナーで稼ぐことができている成功した人生ロールモデル”としての人生があるかもしれない。そんな姿をみせて、”君もこんな風になれるかも!”と、ドロップアウトを夢見る少年少女およびその親御さんからセミナー代を回収していくのだ。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます