ここのところ話題の沖縄戦に関しての教科書の記述の削除の問題。
政府の姿勢は、小泉から安倍内閣では考えられなかったこと。
私もよく知らなかったけど、教科書検定の手続きも紹介。
となると、あの歴史教科書はどうなるの?? と気になるところ。
扶桑社・・あの教科書出版社が内部で分裂、他の出版社に移るという
話も紹介。次は「自由社」とのこと。
人気ブログランキング→→ ←←ワン・クリック10点
今は10位あたりを迷走
ここのところ、引用している首相官邸のWebページ
第168回国会における福田内閣総理大臣 所信表明演説 から
● 「福田首相、所信表明演説で民主党との協調路線を表明」
産経 10月1日
・・・外交問題では、海上自衛隊によるインド洋での補給活動と北朝鮮問題の解決を喫緊の課題に挙げた。補給活動では活動継続の必要性を国民や国会によく説明し、理解を得るようにしていく姿勢をあらためて表明。
北朝鮮問題は「すべての拉致被害者の一刻も早い帰国を実現し、『不幸な過去』を清算して日朝国交正常化を図るべく、最大限の努力を行う」と国交正常化への強い意欲をにじませた。
このほか、国と地方の基礎的財政収支(プライマリーバランス)の黒字化を平成23年度までに達成することを明言。一方で、消費税引き上げなどの税制改革の論議は「早急に本格的な議論を進める」と述べるにとどめた。総裁選でひとつの政策の柱に掲げていた男女共同参画社会では、育児休業など子育てを支える環境の整備に努める考えを示した。・・・・
● 民主、検定やり直しの決議案提出も・「集団自決」問題 日経10月2日
民主党の菅直人代表代行は2日の役員会で、沖縄戦で旧日本軍が住民に集団自決を「強制した」との記述が教科書検定で削除された問題について「代表質問の答弁などによっては国会決議も考えなくてはならない」と述べ、政府の姿勢次第で検定やり直しを求める決議案を提出する考えを示した。
教科書検定を巡る民主党の姿勢について、町村信孝官房長官は2日の閣議後記者会見で「本質的に何が大切か。しっかりした教科書をどう作るのか、民主党の考えを聞いてみたい」と語った。(14:01)
● 教科書検定、訂正申請あれば再審議も・文科相示唆 日経 10月2日
太平洋戦争中の沖縄戦で日本軍が住民に集団自決を強制したとの記述が削除された教科書検定を巡り、渡海紀三朗文部科学相は2日の閣議後記者会見で、「教科書会社側から訂正申請が出れば丁重に真摯(しんし)に対応したい。場合によっては再度、教科書検定調査審議会から意見を聞くこともあり得る」と述べ、改めて審議会を開く可能性を示唆した。
渡海文科相は「検定制度への政治的介入は避けなければならない」と繰り返し指摘。「私だけの判断で決めたら政治の介入にならないか。事実関係に明確な誤りがある場合は判断できるが、今回はそうではない」と述べ、学者らでつくる審議会の意見も聞くべきだとの考えを示した。
沖縄県側が求めている検定意見そのものの撤回については、「審議会は公正な手続きに基づいている」として慎重な姿勢を崩さなかった。(14:01)
● <教科書検定>沖縄の集団自決強制、教科書会社も訂正を検討 エキサイト・ニュース 10月02日
太平洋戦争末期の沖縄戦で起きた住民の集団自決をめぐる教科書検定で、文部科学省が日本軍の強制性に関する記述の見直しを決めたことを受け、複数の教科書会社は2日、「訂正申請」する方向で本格的な検討を始めた。関係者によると、教科書印刷の日程上、今月中にも申請するとみられる。一方、渡海紀三朗文科相は同日の閣議後会見で、「(記述の)中身については、教科用図書検定調査審議会(検定審議会)で検討いただきたい」と述べ、訂正申請が提出された後、改めて検定審議会を開く考えを明らかにした。
対象となる教科書会社は、山川出版(日本史A)▽東京書籍(同)▽三省堂(日本史AB)▽実教出版(日本史Bを2冊)▽清水書院(日本史B)。集団自決をめぐる記述は5社分8冊に記載され、7冊に検定意見が付された。
記述内容は各社それぞれ異なっており、例えば清水書院の日本史Bでは、地上戦となった沖縄戦の説明を「非戦闘員の犠牲者も多かった。なかには日本軍に集団自決を強制された人もいた」と記述。検定意見が付いた後、「非戦闘員の犠牲者も多かった。なかには集団自決に追い込まれた人々もいた」と修正した。
別の出版社の執筆者は「表現は工夫することになる」としており、単純に「日本軍」の表記を復活させる形にするか、別の表現を使って日本軍の強制性を明記するか検討している。
現行の教科書検定制度で検定合格後の教科書を修正する場合、これまでは教科書会社が訂正申請してきた。今回の問題は、誤字や脱字など単純な訂正ではないことから、渡海文科相は検定審の開催が必要だと判断した。【高山純二】
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
文部科学省のWebページ から、抜粋引用
5.教科書検定の手続等
1. 教科書検定の手続(図2参照)
(1) 検定の申請があると、文部科学大臣は教科書調査官にその図書の調査を命じ、教科用図書検定調査審議会に教科書として適切であるかどうか諮問します。審議会においては、先述したように検定基準に基づいて適正かつ公正に審査が行われ、教科書として適切か否かを判定し、これを文部科学大臣に答申します。文部科学大臣は、この答申に基づいて合否の決定を行い、その旨を申請者に通知します。
(2) ただし、審議会において、必要な修正を行った後に再度審査を行うことが適当であると認める場合には、合否の決定を留保して検定意見を通知することとなります。
検定意見の通知を受けた申請者は、検定意見に従って修正した内容を「修正表」によって提出します。文部科学大臣は、修正が行われた申請図書について再度審議会の審査に付し、その答申に基づいて合否の決定を行い、これで検定手続は終了します。(なお、検定意見の通知については、検定の透明性を一層高めるため、平成12年から文書で通知しています。)
(3) 以上の検定手続を経て検定合格決定の通知を受けた者は、図書として完成した見本を作成して、文部科学大臣に提出することとされています。
(4) なお、文部科学大臣は、検定審査不合格の決定を行う場合には、事前にその理由を通知し、申請者に反論する機会を与えることになっています。また、検定意見に対し異議がある場合にも、申請者は意見の申立てができることとなっています。このように、申請者の権利が十分尊重されるとともに慎重な検定が行われるような仕組みがとられています。
2. 検定済図書の訂正
教科書の発行者は、検定済図書について、誤記、誤植又は客観的事情の変更に伴い明白に誤りとなった事実等の記載があることを発見したときは、文部科学大臣の承認を受け、訂正を行わなければなりません。また、学習を進める上に支障となる記載又は更新を行うことが適切な事実の記載若しくは統計資料の記載又は変更を行うことが適切な体裁があることを発見したときは、文部科学大臣の承認を受けて訂正を行うことができます。これらの事項のうち一定のものは届出により訂正することができます。検定の申請はおおむね4年毎に受付がありますが、検定済図書の訂正の申請は随時行うことができます。
なお、文部科学大臣は、これらの記載があると認めるときは、発行者に対して訂正の申請を勧告することができます。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
当時の政府の報道発表 から
2001/07/09 中学歴史教科書修正要求に係る検討結果等に関する文部科学大臣コメント
________________________________________
平成13年7月9日
1 平成14年度から使用される中学校社会科教科書「歴史的分野」については、近隣のアジア諸国との国際理解と国際協調の見地からの必要な配慮を求めたいわゆる「近隣諸国条項」を含む検定基準に基づき審査し、本年3月30日付けをもって検定決定を行いましたが、その後、5月に韓国政府及び中国政府から、これらの教科書の記述について修正を求める要求がなされました。
両国政府からの修正要求については、これを真摯に受け止め、検定済教科書について誤った事実の記載がある場合などはこれを訂正することができるという我が国の教科書検定制度の枠組みの中で、誠意を持って検討を行ってまいりました。
2 両国政府からの修正要求の内容の検討に当たっては、外部の18人の専門家から延べ22日間にわたり意見を聴き、専門的・学問的見地から十分精査を行ってきました。
その結果、修正要求項目のうち、朝鮮古代史に係る2箇所については明白に誤りであることが明らかになりました。その他の箇所については、(1)様々な学説があるなど我が国の学界における学説状況から見て必ずしも誤りとは言えないもの、(2)いわゆる解釈の問題であって検定済教科書について訂正を求めることはできないもの、(3)学習指導要領において必ず取り上げるべき事項とされてはおらず、検定制度上記述を求めることはできないもの、であり、これらは、我が国の教科書検定制度上、検定済教科書の訂正を求める対象とはならないものでした。
3 また、文部科学省における検討過程とは別に、修正要求の対象となった記述のうち、扶桑社の教科書の一部については、去る7月2日付けで自主訂正の申請が発行者から行われたところであります。我が省としては、今回の自主的な訂正申請については、できる限りすみやかに承認する方向で対処したいと考えています。
4 さらに、今回のことを重く受け止め、今後、朝鮮史、中国史関係の審議会委員を追加・補充するなど、教科書検定により一層の正確性を期し、今回のようなことが再び起こることのないように努めることといたしました。
5 我が省としては、2002年に日韓で共催するワールドカップを始め、教育、学術、スポーツ、文化面での交流を一層深め、韓国、中国を始めとする近隣諸国との間で、21世紀にふさわしい関係を構築していくために、今後、より一層努力していきたいと考えています。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
●「新しい歴史教科書をつくる会」は分裂していましたが、新たな出版社が決まったそう。
● 次期の教科書、自由社から出版 つくる会が発表 朝日新聞 2007年09月07日
「新しい歴史教科書をつくる会」(会長・藤岡信勝拓殖大教授)は7日、次期の教科書は自由社(東京)から出版する、と発表した。年度内に予定されている学習指導要領改訂を受けて、中学の歴史と公民の教科書を出す予定。藤岡会長は「数社から名乗りがあり、つくる会の教科書を出すのに最もふさわしいと判断した」と語った。自由社は月刊誌「自由」などを出版している。
これまでつくる会の教科書を発行し、現在は断絶状態となっている扶桑社(同)は、新しく作った子会社の育鵬社から別の教科書を出す方針。
● 「新しい歴史教科書をつくる会」、自由社から教科書出版へ 読売新聞 9月7日
「新しい歴史教科書をつくる会」(藤岡信勝会長)は7日、2011年度から使用される可能性がある中学校の歴史と公民の教科書を、「自由社」から出版すると発表した。
自由社は、雑誌「自由」などを発行している。現行の教科書の発行元・扶桑社から、教科書の発行継続を拒否されたとして、別の出版社を公募していた。
藤岡会長は「数社から出版の申し出があったが、保守系言論機関の草分けである自由社が最もふさわしいと判断した」と話している。(2007年9月8日0時46分 読売新聞)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「自由社」のことは、例えば 西尾寛二のインターネット日録 の中に
「自由社の『自由』について」 として次のように説明してあります。
西尾氏は「つくる会」に肩入れ。
「自由社の『自由』は『諸君!』『正論』の母胎」(西尾)とか。
詳しくはリンク先をどうぞ。
以下、 自由社の「自由」について から引用
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「・・・日本人自身が、自国が自由主義陣営の国家であることをなかなか自覚できなかった時代、戦争が終ってまだ10年たつかたたぬ時代から一貫して自由主義の立場を唱えてきた雑誌『自由』の編集長であり、自由社の社主・石原萠記氏の大著『戦後日本知識人の発言軌跡』(909~911ページ)から、次の言葉を引用し、掲示します。・・・」
(中略) 私としては『日本文化フォーラム』で発行するのが一番良いと思ったが、一般から機関誌視されるおそれもあり、また執筆陣の幅も狭くなるとの意見もあったので、別組織をつくり編集代表を竹下道雄氏にお願いすべく交渉した。幾たびかの交渉のなかで、「編集委員会」制をとるならという提案が出されたので、竹山氏を中心に委員として木村健康、林健太郎、関嘉彦、平林たい子、別宮貞雄、河北倫明(のちに福田恆存、西尾幹二)の各氏に承諾願って発足した。誌名『自由』は他に『フォーラム』をはじめ、幾つかの提案があったが、最終的には、笠信太郎氏の意見もあり『自由』に決った。そして、四号目から発行所として「自由社」を設立したのである。
この誌名の決定については、いくつかの秘話がある。当初、1951年1月に廃刊になった『改造』の商標権を買ってはという話があった。そこで三輪寿壮先生の関係で、私を援助してくれていた小島利雄弁護士が、商標権を預っているといわれた栗田書店の栗田確也社長と懇意であったので、打診してもらったが、何とも大きな金額で話にならず、ご破算になった。そして漸く『自由』に決ったので登記しようとしたら、この商標はS社がもっているという。そこで、弁護士をたてて交渉、譲渡料を支払って決着がついた。
その後の『自由』の活動評価については、立場によって相違するが、『朝日新聞』(62・3・19)紙上で、横山泰三氏が政治漫画を描き、右に『自由』、左に『世界』そして、「両誌には相互排除的なところがある」と、わが国の思想界の対立状況を解説しており、更に都留重人氏(一橋大教授)も『朝日ジャーナル』(63・12・29)誌上で、
「著者のなかに雑誌に対する選択性があるんだね。『自由』に書く人は『世界』に書かない。この両誌には相互排除的なところがある。『文春』も多少選択しますね」
と語っていることを紹介すれば、60年安保後数年の『自由』が、それなりの役割を果たしたことを知って戴けると思う。なお、『自由』の創刊の辞は、竹山道雄氏の筆になる。
「・・・・・・立場として守りたいのは、正しい事実の認識の上にたつ、正しい論理の追求である。真理の基準は、教義への適合ではなくて、事実と合致していることなのだから、事実と論理への誠意さえあれば、たとえどんなに立場がちがっていても、すべての人が話し合うことができるはずである。・・・・・もし他日になってふたたび社会の状勢が変って、万一にも、この立場を棄てて、ある特定の教義を強いられるようなことがあっても、それには従わない。時流によって性格を変えて左し右しはしない・・・・」
というもので、これが雑誌『自由』の基本的立場である。
---------------
『自由』を主導したメンバーが日本文化会議を創立し、その機関誌を文藝春秋から出す計画がありました。最終的には、機関誌ではなく、普通の雑誌スタイルにしたいとの社側の意向があって、月刊誌『諸君!』が発刊されました。
『自由』を主導したメンバーは自由主義の立場を唱えるより自由な発言の場をさらに求め、産経新聞のコラム「正論」が立ち上げられました。新聞のコラムを月刊誌に再録したいという要望があって、雑誌『正論』が誕生しました。『正論』はむかし永い間コラム「正論」の記事を収録していたのを覚えている人は少なくないでしょう。
自由社の『自由』は『諸君!』『正論』の母胎なのです。(文・西尾)
| Trackback ( )
|